僕の価値観からすると圧倒的に僕の作品がベストなんだけど、どうやら作品に込めた冗談まじりの皮肉すらもスルーされているようだ。美術館側から直接発生している問題というよりは、積極的に見に行こうとする観客のきどった「お芸術鑑賞」的な態度もかなりの強度で悪なのだなと感じる。まあその態度を醸成してるのも美大芸大の美術教育や、延いてはその延長としての美術館の在り方なんだろう。
僕はアーティストだが、美大の教育に幻滅して一度完全にドロップアウトした経緯があるから本当はよく知らないんだけど。そんな個人的な理由からか美術館にも行かないし、人の作品も見ようとあまり思わない。でも一度完全に外側にいた(今も周縁で野次ってるけど)からこそ冷静に観察できているんじゃないかなとも思う。とはいえ、単に搾取される側としてのアウトサイダーにはなりたくないので、いけ好かない芸術熱の過剰な人々よりも、あるいは同等の知識は持っておきたいのでそれなりに勉強、という程でもないけど、それに似たようなことはしている。まあ、以下に述べる人たちに比べるとほんの基礎レベルなんだろうけど。だいたい僕はドロップアウトしてからは基本的に音楽の人間だから、周囲の美術に関わる美術のことで頭がいっぱいになって視野の狭くなった、音楽に感度のない人間をまったく信用していない。
現代美術というのは、かなり幅のある領域だけれど、そこには必ずある種の前衛性がある。それに関わる人々のその前衛的指向が音楽や映画や文学などに接点を持っていないという感性が全く理解できない。そういう人がとりわけ日本に多い気がする。実際去年1ヶ月滞在したベルリンのスペースでの経験を言えば、そこを主催するアーティストは、僕が作業中にかけてた音楽を聴いて、「これ何だっけ?オレも持ってるはず」と言っていたし、駆け出しのアーティストでもあるそこで働くバイトの女の子も、音楽をよく知っていたし、オープニングに客として来てくれて僕の作品を気に入ってくれた、唯一仲良くなったアーティストもめちゃくちゃ詳しかった。不思議とその逆で、音楽の人は頭が柔らかいから特に実験的な音楽をやっている人は美術にも関心があったりすることが多い。事実、Facebookにアップロードする作品の画像に好意的な反応を示してくれるのはだいたいがミュージシャンだ。最近だとBASTARD NOISEのEric Woodさんがものすごく気に入ってくれていてめちゃくちゃうれしい。だって僕は高校生くらいからもう16,7年も彼のファンなんだから。最近連絡をくれて仲良くなって今年一緒に仕事をすることになりそうな美術品のコレクターNick Suttonは僕の本を既に6冊買ってくれていて、さらに作品も買おうとしてくれてる。その彼も現代音楽〜ノイジーなエレクトロアコースティック〜実験的なテクノなどを作っている作曲家だ。それと数年前に来日した際に仙台で同じイベントに出演したフィラデルフィア出身の実験的でかなりドープなテクノを作っているデュオMetaspliceのうちのひとりも僕のドローイングを買ってくれたし、送った本もとても気に入ってくれていた。
音楽を作りかつ音楽の熱心なリスナーは、音楽を熱心に聴いているアーティストの作品に対しての強い感度が備わっている。これは事実だ。
以上いくらか脱線したが、日本における美術と音楽の関係についての日頃の違和感や憤りをこの際吐き出しておく。もうひとつ加えておくと、音楽に通じていないアーティストは自作のインスタレーションに安易に音を用いるな。僕は視覚と聴覚をいかに等価に用いることが可能かということについて学生時代ずっと考えていたが、結論はそんなことは不可能だというものだった。だから僕はそれぞれの活動は完全に切り離して行っている。
音楽活動についてひとつ断っておきたいことがある。よく僕のソロ活動をきいて「ノイズ」と言われたり、自分でも説明が面倒なのでノイズって言ってしまったりもするけど、ちゃんと音楽をやってるつもりです。信念を持って活動してる方々もきっとそう思っているはず。
さて、本題のVOCA展についてだが、オープニング当日にもらったカタログをさらっと、審査を行った選考委員の所感というかたちの文章を読んでみた。
はっきり言って、なんら批評性のない本当につまらない文章だった。中学生の感想文レベルの雑感とさえ読めるし、それでかつ字数を埋めるためだけに受賞作品の大雑把な説明や感想を並べただけのものだった。多少の差は当然あれど、それを6人全員がやっていて重複の連続なのだから始末に負えない。加えていくつかの文章では、いくつかの過去の(それもだいぶ前)欧米の美術における動向や傾向を示す呼称を、的外れに引き合いに出したりしていた。そんなものは現代美術入門的な本を読めば誰だってこじつけて述べることができる。まるで学生のレポートのようだ。がっかりを通り越して呆れてしまった。あんなものわざわざカタログに英訳付きで(その英語はどこへ向けてのものなのか)載せるほどのものじゃない。
そんな程度のモチベーションで関わった審査委員に評価されなかったというのは僕にとって本当に救いだ。だからこそ観客のうちの反応にこそいくらかは期待していたんだけど、到底無理な話だったようだ。VOCA展というのはどうやら若手アーティストの登竜門と言われているらしいけど、正直、去年推薦の話をもらうまで全く知らなかった。そんな僕が参加しちゃうんだから出品を目標にしてる人には皮肉ですよね。実際の展示をさらっと見て回ったけど、この展示に賭けてる感が半端じゃなくて引いてしまった。僕の作品の数十倍の大きさだったりするんだから。
「審査の評価やその価値観の外側にいることに救いを感じた」という話に戻るけど、今回投入した作品は、組織まがいの、なんとなくの空気を共有している日本の保守的でドメスティックな、業界まがいの軸のない空気を中心としたふわふわとした幻想にもとづく諸々の現象に対する決別の表明の意味合いもあった。表面的には冗談めいて見えるかもしれないが、僕の作品こそが徹底的に考え抜いた一番コンセプチュアルでクリティカルな作品であるはずだ。ざまあみろ。
ドメスティックな価値観を堅持したいのならそれをきちんと言語化し国際的に発信するべきだ。それを怠り続けた結果のひとつがこのVOCA展なんだろう。これは自分にも多少当てはまることだが、欧米の動向に準ずるだけの西洋コンプレックスも捨てた方がいい。だから僕は、好きなアーティストや尊敬するアーティストはいるけど、彼らが行った過去の動向を参照することはしない(どんな文脈に位置づけることが可能かということは考えるが、それはあくまで作品を作った後の話だ)。ユニバーサルな視点を持ちつつも、いつでも制作の動機は僕個人にある。それは常に意識している、僕にとって重大な要素だ。なぜなら個人の確立こそが、この国で生きる以上、政治的・文化的な発展の上で急務だからだ。経済的・技術的には立派な現代だが、個人レベルでは前近代の状態にある。その確立された個人の集合としてある社会が、近代を経た本当の健全な現代社会じゃないだろうか。3.11のメモリアルなテレビ番組に感傷を煽られている場合じゃない。自己憐憫をアイデンティティにしてどうする。
上記の僕の主張は、こう言い換えることができる。ここにも以前書いたが、「日本にポスト・モダニズムは存在しない」ということだ。個人が前近代の状態にあって、その総体としての社会が正史を持たない以上、ポストなんて概念が存在するはずがない。とりわけ現代美術においては80年代以降、この都合のいい便利な言葉が多用されてきたが、その主たる使用者と適用先である欧米の動向と日本の動向を表層的な判断で同一視しては駄目なのだ。この特殊な状況を国際的に説明する人間が必要なはずだが、誰もやらない。何でもありの状況を肯定する言葉として乱用するのは恥ずべきことだ。だから僕は、僕個人の純粋に「内発的な」動機で作品を作る。ただしその作品の性質が、個人的なものとして閉じず、普遍的な価値を持つための工夫を施すことは怠らない。これを集約したコンセプトはきちんと明文化してある。
だから、西洋コンプレックスとは別の姿勢で—―それは僕の意図としては近代以降の枠組みである国という概念の外側という意味でユニバーサルな、しかし、それでもなお上述のこの国の病理である個人の確立の問題に注意を払いつつ—―今後はもっと海外で発表する機会を持つべく最大限努力していきたい。それに必要なことに対する助言には(上記と多少矛盾するが)誰の言葉であれ素直に耳を傾けるつもりでいる。
というわけなので、4月にケルンで開催されるアートフェア「アートケルン」に持っていってもらう作品と、5月に香港で開催する個展のための作品制作に完全に切り替えたいと思う。
※画像は同展示の物販として投入したCDRのジャケットのうちのひとつ。CDRはハンドメイドだが、正規に流通していてもおかしくない体裁に、つまり美術館に置くことを拒否されないための工夫として、かなり念入りに作った。
このジャケットのものは、どうせ誰も気づかないだろうが展示している作品3点のうちふたつとセットになっている。中身はゴミだ。
計8種類納品した販売物と、敢えて的を外したとんちんかんな閲覧用の作家資料は、それぞれを見れば全て作品との相関関係が理解できる仕組みになっている。
もしこれを読んで会期中に来場される方には、それらを全て見ていただきたいと思います。とんちんかんな作家資料だけでなくステートメントも配布用として預けてあります。見当たらない場合は、受付のスタッフなどに遠慮せずたずねてみてください。
ちなみにですが、会場で邪気を吸い込みまくったのか翌日ゲロとゲリが止まらなくなって2日間寝込みました。そういえばゲロゲリゲゲゲの新作が15年ぶりくらいに出ますねー!楽しみ!
追記・修正:選考委員は5人じゃなくて6人でした。興味のなさが露見しました。一応反省します。