2016-11-08

「亘理ビエンナーレ」始動!毎日開催! このエントリーを含むはてなブックマーク 

 東京デザインウィークとやらで火災が起き5歳の子が亡くなったというニュースを聞いて憤慨している。

 乱立するデザインやらアートやらの語を掲げて行われる昨今のイベントは、いかにしてたくさんの一般の観客を動員し、また参加を促すかということに主眼が置かれているような気がしているのだが、それは本当に必要なことなのか。もっとも重要なコンテンツをおざなりにしてはいないか。リレーショナル・アートやコミュニティ・アートなどの文脈で行われる観客参加型の作品が重宝される昨今の潮流にひどい吐き気がする僕としては、観客の参加を成立要件とする作品が持つ、作家による参加者に対する搾取、つまり作家の中央集権的な振舞いによって排他的に設けられる規定の上で転がされる参加者への無自覚な抑圧、その極端な例として今回の事故があるような気がしてならない。
 
 専門的な議論やそれに基づくイベントなどは相応に一般に開かれるべきかもしれないが、いたずらに解放すればいいというものではないのではないか。ただしそれは自らの特権性を卑しく維持するためであってはならないとも思う。ポピュリズムでもなくエリートの特権によるものでもない、主催者も参加者も等しく意志を持ったインディペンデントな姿勢が必要なのではないか。上記のような参加者は、いわば無賃労働をさせられてしまっている。
 
 以下の文章は今回の事故とは関係なく、上述の僕が嫌悪するものへの茶化しとして1ヶ月前に書いたものだ。これは「ひどいイベント」の人材募集のビラと一緒に配布する予定だ。配布の際は僕の住所と電話番号も併記する。画像はビラの表で裏に下記の文章を載せる。


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「亘理ビエンナーレ」始動!毎日開催!

 いい子ちゃんなアートイベントが多すぎる。どこもかしこも風紀委員の群れだ。

 アートが本当に役に立てるのは、クソ大金持ちの虚栄心を満たすことだけであって、その金で芸術家は飯を食う。それ以外は今や全部建前だ。ただこの国にはそんな乙な金持ちがいない。だから全ては非営利で清貧こそ正義というわけだ。

 田舎暮らしは退屈で刺激がない。だからといって、アートがそれを補おうなんて余計なお世話だ。その愚かさの極端な再現として、俺は実家でビエンナーレを毎日開催することにした。とりあえず2年先まで毎日開催していれば2年に1度という条件は満たせるというわけだ。だから別にトリエンナーレでもいい。とりあえずタイトルを掲げてみたが、要は俺の家で遊ぼうということだ。

 レコードも聴けるし縄跳びもある。ビデオもあるしメダカもいる。ある程度なんでもできるから、下の住所に直接来るか電話をくれ。
 大概家にいるが、いないときもある。いなければ帰ってくれ。親がいるとすこし気まずいが我慢しよう。電話にでないときはたぶん寝ている。困ったときは役場に行くといい。ポカンとされるだろう。来るのが面倒なら、いくかどうかは別として呼びつけてもらってもいい。とにかく遊ぼう。

 ついでに言ってしまえば金がほしい。よかったらカンパしてくれ。その金で美味いものを食おう。レッツ・コミュニケイト。震源地はおまえだ。VIBES 高めろ。

文:まつたけの浜(菊地良博)
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http://yoshihirokikuchi.org

キーワード:

美術 / アート


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菊地良博

ゲストブロガー

菊地良博

“宮城県在住 美術家/実験音楽家 ”


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