2008-08-10

『二十歳の原点』、酷暑も一休み このエントリーを含むはてなブックマーク 

 今日(9日(金))は久しぶりに午後からラピュタ阿佐ヶ谷へ。中野までバス、中野からJR。結局降らなかったけれども、都内近郊では雷雨の地域もあったらしく、その影響なのか曇り空でかなり涼しく、ようやく酷暑も一休み。

 観たのは、「シネマ紀行・京都ものがたり」という企画の一つとして上映された、『二十歳の原点』(監督:大森健次郎、原作:高野悦子、出演:角ゆり子、地井武男他、1973年)。

 http://www.laputa-jp.com/laputa/program/kyoto/sakuhin3.html#19

 原作は、1969年6月24日深夜二時に二十歳で鉄道自殺した、立命館大文学部史学科の学生だった高野悦子さんが綴った日記。それを死後発見した彼女の父親が出版、最終的には71年に新潮社から刊行されてベストセラーになったという(『二十歳の原点』。現在でも新潮文庫で購入可能)。

 「デモ」、「自由」、「民主化」、「解放」、「闘争」といった、現在日常生活ではまずお目にかかれない言葉が、未だ二十代だと思われる出演者の口から繰り返し飛び出す。学内でのアジ演説やヘルメットと角材姿の学生と機動隊の衝突シーンが何度も映し出される。主人公の悦子は最初はシンパとして、後には自らヘルメットを被り角材を持って機動隊に向かっていく。

 また彼女は、自分なりの抗議運動の一環と称して、学費納入を拒否。

 「勉強が必要」だと言って、分厚いマルクスの翻訳を購入し、タバコを吸いながら(未だタバコを吸うことが格好良かった時代!)、熱心に読む。…とは言え、後に古本屋に売ってしまうシーンも入るのだが。

 親からの自立を目指して、友人達と一緒の女子学生用の下宿からアパートに移り、ホテルのウエートレスとしてのアルバイトを始める。

 他方で、精神的に不安定で意志と行動を一致させることが出来ず、妻子あるホテルの主任(地井武男が若い!)に惹かれるが寂しさからかバイト仲間の大学生と付き合い、機動隊との衝突で負傷した傷が癒えぬ状態で実家に帰った際には、「今度帰郷した時には見合いしてもよい」と笑顔で両親に請け合う。

 映画では最終的に、イマジネーションと危険な冒険心に呑み込まれてしまい、睡眠薬を大量摂取して、深夜の鉄道を歩いて列車に轢かれて亡くなる。

 死の直前の悦子役の角ゆり子の見開いた目が非常に印象に残った。

 七十年代前半の風俗と風景が懐かしいと同時に新鮮な感じ。また政治的であることがファッショナブルでカッコイイことでもあった時代が三十年ちょっと前に日本でもあったことが少し信じられない気もする(とは言え最近再度特に若い世代ではそうなりつつあるような感じもするが)。ただ、71年生の僕には実体験としては分からないのだが、それが多くの人々の場合一過性のファッションに留まり、内外の根本的な変革に、あるいは例えばエコロジー運動や反原発運動といった、個別イッシューのオルターナティヴ運動には繋がらなかったことが、その後の日本の、文化的には兎も角政治的・社会的・経済的な「保守」化と反動化を止めることが出来なかった一因であるような気がする。

 主演の角ゆり子は、その後引退してしまったようだが、はっきりとした目鼻立ちが印象的な浅黒い美人。ああ、こういうタイプが好きだったんだよな、オレ…なんて、暗い夢のような調子の作品を観ながら、ちょっと不謹慎なことを考えたりもした。
 
 ホールは満員で補助椅子も出ていた程。人口密度が高く、おまけに後の席の男性が変に落ち着きがなくてちょっと不快。

 久しぶりの阿佐ヶ谷は、特にラピュタ周辺の北口ロータリーからちょっと入った辺りは、入ってみたくなるような個人経営の茶店や飲食店も多く、とても魅力的。勿論表通りはチェーン店ばかりだし、南口は七夕祭りで大賑わいで人混みの苦手な僕には大変だったけど。

 涼しいこともあり、帰りは途中何度も寄り道しながらウォーキング。全然勉強しなかったけれど、いい気分転換になったような気もする。

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知世(Chise)

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