2008-08-10

ラチュウミア聴こっ!12 いまさらですがLTM Les concerts de Les Temps Modernes このエントリーを含むはてなブックマーク 

気がつけばもう8月も半ば、6月のフェスティヴァルなんてもう束の間の幻影、光年の彼方…にもかかわらず、いまさらですが、アンサンブル・レ・タン・モデルヌのコンサートの、遅ればせながらの報告です。

レ・タン・モデルヌは、リヨンのコンセルヴァトワールの教授たちを中心に結成された、現代音楽の演奏をそのアイデンティティとしている室内楽合奏団で、メンバーは、フルート・クラリネット・2ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・ハープ・ピアノ、それにハーピストでもありこのアンサンブルの音楽監督でもある指揮者の9名です。さまざまな編成でさまざまな作品を聴かせてくれました。

プログラムです↓。
6月28日(かながわアートホール)
 Ph・エルサン : 3つのノクテュルヌ [2000] fl. va. hp.
 P・ドゥ・モンテーニュ : サルン第4番 [1996] 2vl. va. vc.
 M・ラヴェル : 序奏とアレグロ [1905] hp. fl. cl. 2vl. va. vc.
★野平一郎 : もうひとつの…月 [1999] fl. cl. vn. vc. pf.
★Ph・ルルー : コンティヌオ(ン) [1994] fl. cl. vn. vc. pf.

6月29日(かながわアートホール)
 C・ドゥビュッシィ : 宗教的な踊りと世俗的な踊り [1903] hp. 2vl. va. vc.
 P・ドゥ・モンテーニュ : サルン第5番 [2003] cl. 2vl. va. vc.
★細川俊夫 : ヴァーティカル・タイム・スタディ [1992] cl. vc. pf.
 T・ブロンドー : 「盆栽」 [1995] fl. solo
★B・マントヴァーニ : 遮られるダンス [2000] fl. cl. vl. va. vc. pf.

ラヴェルとドゥビュッシィ以外は全て1990年以降の作品という、とんでもないプログラムです。そのラヴェルとドビュッシィも、演奏される機会の少ない作品。このふたつの曲に、多くの人が「素敵!!」と嘆息の声をもらしておられましたが、おそらく、ふつうにこのコンサートを聴いて、即座にコメントのできるのが、この2曲だけだったというのが真相ではないかと思われます。

しかし、確かに、素晴らしかった。こういうラヴェルやドビュッシィをあまり聴いたことがない。ハープという、どちらかといえばリリックな響きを持つ楽器を編成に含みながらも、作曲家が構想した音階や旋律の特徴が際立ち、20世紀音楽の先駆者であるフランスの二人の作曲家の作品の、明晰な解釈としての演奏とはかくのごとしかと、唸らせられました。
ステージ上のフォーメーションも独特で、中央に正面を向いたハープが配され、その両サイドに、扇型に他の楽器が(直線的に)並んで、非常に美しかった。これは、さまざまな配置を試してみて、音の響きとしても、視覚的にも美しいこの形にしたそうです。

ウィレムのピアノを編成に含む曲は、前掲のプログラムの、★印のついている4曲。

「もうひとつの…月」(野平一郎)は、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」へのオマージュとしての作品。作曲家自身が〈…曲全体に見られる重層的で目のつんだ書式のへの好み、特に全音域へと波及していく「狂乱的」なピアノの書き方も、シェーンベルクの無調時代の所産である〉と書き記しています。緻密なアンサンブルの響きの中で、断片を散らばせるようなピアノは、確かに狂乱的といってもよいけれど、狂乱「的」に調和させるコントロール力は、ウィレムの面目躍如といったところ。

「コンティヌオ(ン)」(フィリップ・ルルー)
ルルーはメシアン、ドナトーニ、ジョラス、クセナキスなどに師事した現代作曲家。この曲のタイトルは、〈連続した執拗な拍に多く見られるバロック音楽の技法〉を意味し、〈引き継がれる共通の応力をお互いが助け合いながらも、錯綜した完璧性が作り出す絶対的な連続性を喚起させる〉。聴くと、この解説が、なるほどね、と納得できちゃう。上向し下向する音階が多用された、それぞれの楽器の掛け合いが、意外と楽しい曲でした。

「ヴァーティカル・タイム・スタディ I」(細川俊夫)
今回演奏されたもうひとりの日本人作曲家の作品。ふたつの作品はとても対照的で、こちらは、能楽に深い影響を受けたという作曲家が、能楽における垂直的・非連続的な時間の音楽化を試みたシリーズの一曲。なんていうか、音は実体はないけれど具体的な現実の物理的現象で、音化された「垂直的な時間」という観念を聴くことになるわけですね、この場合。プログラムノートを読んでも垂直的な時間は聴こえないかもしれず、何も知らなくても垂直的な音を聴くかもしれず。作曲家に端を発するその音の響く場の諸相で、それは起こる、あるいは起こらない。そのひどく具体的な現実としての音の、聴かれる響きのそのグラデーション、その網の目をつくることを、いとをかし、と聴きながら思ったのです。ということが起こりえたのは、そのとき、水平的に連続的によどみない時間が流れていなかったから、なのかもしれない。

「遮られるダンス」(マントヴァーニ)。
1974年生れの若い作曲家で、独自の新しさを感じさせる作品をつくる、面白い作曲家です。
ちなみに、今年のフォル・ジュルネで、「シューベルトの名による8つの楽興の時」(委嘱作品)が、トリオ・ヴァンダラーによって演奏されています(これも非常に面白かった)。
「遮られるダンス」は、あるアンサンブル、とりわけピアニストのために書かれ、ピアノが重要な役割を担っている作品。参照項としてのジャズなどさまざまなポピュラー音楽が時折出現し、想像的バレエを楽しむディヴェルティメントを企図しながら、そのバレエは〈遮られる〉、その遮断の音楽的要素や構造や動きがこの作品を構成し…あれ?遮断が構成するってなんななんだ?というような重層的な作品です(ああ、また煙に巻いたような巻かれたような…)。
世代でくくって何かを語れるとは思わないけれど、ウィレムとマントヴァーニは同じ世代。軛から解き放たれたかのような(何の?)、いともやすやすと飛び越えてしまうかのような(何を?)、新しい時代の二人の音楽家の超秒速の出会いに、私の動体視力は追いつけずに呆然と虚空を見つめる、でもサブリミナルに何をかインプットされたような…のであった。

このほか、このアンサンブルにゆかりの深い作曲家P・ドゥ・モンテーニュのサルン第4番、第5番は、それぞれ趣を異にしながらも、弦楽カルテット(第5番はこれにクラリネットが加わる)の緊密なアンサンブルに、目をみはり耳をそばだてさせられる。
フィリップ・エルサンの「3つのノクチュルヌ」は、ドゥビュッシーの同名の作品へのオマージュ的作品。また尺八をイメージしたフルート・ソロの「盆栽」(ブロンドー)では、フルートのストイックでありながら豊かな音色に、強い精神性を感じさせられました。

それからもうひとつ、3人の新進作曲家(森山智宏、佐藤岳晶、神本真理)の新作初演の企画も行なわれました。あらかじめ楽譜をリヨンに送り、6/27のワークショップで、演奏者と作曲家が意見を交わしながら作品(の演奏)を完成させ、6/28に初演コンサートを行なうというもの。レ・タン・モデルヌは、新作初演をその活動のひとつの要としており、その創造の現場に立ち合えるという意味で、非常にエキサイティングなものでした。

このアンサンブルを創設したクラリネットのジャン=ルイ、フルートのミシェル、そして初期に参入したヴァイオリンのクレール、それに指揮者のファブリスが、老練に・虎視眈々と・緻密に・大胆にアンサンブルの骨格をなしつつ、若いメンバーたち(チェロのリュック、ヴィオラのマリ=アンヌ、ヴァイオリンのクロティルド、ハープのソフィ、そしてピアノのウィレム)のはじける洗練が鮮やかな彩りとなる。現代音楽への企図、演奏の技術、作品への理解、そういったことを明確に共有しつつ、世代を超えて構成された、開かれた系として演奏家集団。といったら褒めすぎか?

舞台裏の話を少々。「世代を超えて」と書いたけど、この人たち、なんだかとても仲が良いのです。ウィレムとリュックは若者二人、というか悪ガキ二人でつるんではしゃいでいるし、かと思えば、年長のクレール(とても居ずまいのキレイな人なのだ)とウィレムがなぜかとても仲が良く、楽しげに談笑している。それぞれスタジオや楽屋で個人練習をしているときにはそりゃもう真剣なのだが、休憩タイムにはみんな集まってきてワイガヤ。(そういえば、誰かが差し入れに持ってきた、オー・ボン・ヴュー・タン(古き良き時代に、の意)のお菓子を、レ・タン・モデルヌ(現代)の面々が、あっという間に平らげていたのはおかしかった。) 食事に行くのも全員一緒。一度、中華街に行きましたが、タクシーがたまたま止まったお土産もの屋さんに、みんなたちまち吸い込まれるように入っていき、おみやげを物色しはじめるし(ここにあるのは全部、メイド・イン・チャイナでっせ)。中華街から桜木町の駅近くのホテルまで歩く!と、マネージャーのマリマリちゃんが、地図を片手に先頭に立ってズンズン行くのに、みんなついていく。そして、コンサートの翌日に帰国する3人のうちのひとりが、コンサート後に鎌倉に行きたいと言うので、着くのは夕方でお寺も閉門すると説明しているのに、29日のコンサートが終わると、マリマリが「これから全員で鎌倉に行く!」と言い残して、疾風のように10人のフランス人は去っていったのであった。あとで聞いた話によると、まず電車を間違えて、ようやくたどり着いた鎌倉は雨、目指すお寺は閉まっていて、小町通りで食事だけして、すごすごと帰ってきたらしい。
異国に来たせいかもしれないが、団体行動のできるフランス人がいるのか!と驚きましたね。
(ちなみに、マネージャーのマリマリちゃん、マリ=マリーヌは、来日直前に、「日本に到着後、すぐに日光に行きたいんだけど」とか言ってきたりする、ちょっとしたオトボケちゃんなのだが、今回のコンサートのために、リヨンでも横浜でも、東奔西走してくれました。この場を借りて、メルシ・ボク!)

フランスでは、先生をやったり、他の演奏団体に所属したりしつつ、助成を申請してはレ・タン・モデルヌとして演奏活動を行なっている、テンポラリーなアンサンブル集団です。が、おそらく、このアンサンブルの存在が、彼らそれぞれにとって、ある種の幸福な拠り所となっている、のかもしれません。

そして、ソリストとして引く手数多のウィレムが、アンサンブルでもその真骨頂を発揮する、つまり他者の音に耳を傾ける術を知っているのは、貴重なことであると、ワタシには思われる。内なる音は外側に響き、私の奏でる音は他者の音である…あれ?「隻手声あり、その音を聴け」、禅の公案みたくなってきた?

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