2008-09-11

ニューロックという言葉があった このエントリーを含むはてなブックマーク 

 同時代を体験した人間として興味シンシンで観た。
 やはりこれは60年~70年代にあった文化革命や反乱の時代と無縁ではないと思う。個人的体験を語れば、現代美術を専門として雑誌「美術手帖」の70年にでた一冊が「ROCK IS」という特集ではなかったか。あいにく手元にないので確認できないが、たしかウッドストックネーションなどヒッピー文化などカウンターカルチャーやサブカルチャーの波が起きて、アカデミックな傾向の雑誌さえもロックの特集をするようになった。

 余談だが、当時はアングラ文化も開花した時代で小劇場運動や暗黒舞踏などを雑誌がとりあげはじめたころである。

 東京の大学に通っていた兄がなぜか田舎に帰ってきたとき、それを持っていて読ませてもらったが、哲学的な話はさっぱりおもしろくなくてレコード評の部分だけを読んでいたように記憶している。
 その後「ニューミュージックマガジン」というミーハーチックではない音楽雑誌を知り、ちいさな活字の雑誌をむさぼり読んでいた。その後の雑誌はニューという言葉がとれてしまったが、これは当時ニューロックとして表現されていた音楽があたりまえのスタイルとして定着したことと関係あるのではないだろうか。

 映画の話だが、当時のライブ演奏の記録を見ると、やはり気恥ずかしいものがある。これは私が当時を体験した人間ゆえしかたのないものだが、それでも今のバンドで「ラブサイケデリコ」や「スーパーフライ」という、もう60年代ロックのフォロワーがでているところをみると、やはり当時のロックにはパッショネートな魅力があり、人間の叫びを直截あらわすような原初的な力強さがあるのだと思う。
 
 当時の演奏のあいだに関係者のインタビューが挟まれる。残念なのはミッキー・カーチス自身のミュージシャンとしての話がないことだ。彼はロカビリーブームからニューロックそしてプロデューサーとなっていったが、「サムライ」というバンドを率いてヨーロッパで活動して質の高い音楽をつくっていた時があった。そのあたりの話をぜひ聞きたかった。
 
 近田春夫の「コマーシャルなものと自己表現の二律背反するもの」としてのロックというとらえかたは内田裕也とも共通するもので、コマーシャルな商品としての音楽と反社会的なアウトロー的スタイルの矛盾が共存できた時代としてもみることができる。それは、やはり60年代の反乱の時代、価値観の変わっていくときだったから可能だったのだろう。

 その後はすっかり資本主義のなかにおさまってしまった商品=ポップミュージックとしてのロックには、やはり内田裕也としては違和感があるようだが、いっぽうビジネスとしてのロックも成立させたかったようで、そのあたりは矛盾しているようにもみえるが、それが「ロケンーロール」というものなのだろう。
 
 外道のギタリストが語る「暴走族が道路を封鎖して自分たちを通した」という話はけっこう有名な気がする。それはいいのだが暴走族とメタルハードロックの取り合わせがまるでアメリカのようでカッコいいと思っていたことがある。
 
 フラワー・トラベリング・バンドの演奏は貴重だしテンションの高いものだと思う。
 はっぴいえんどについては確か最初に好きになったバンドで、はじめて買ったLPがかれらの『風街ろまん』だったが、あまりに日本的・文芸的なものなので面くらった思い出がある。

 中村とうようについては、もうすこし当時の状況などを聞きたいところではある。「日本語のロック論争」の本質はなんなのか? ということも知りたいが。ササンなどがでてきた時点で無効なのかもしれない。

 四人囃子は姉と弟がファンで、森園勝敏のボーカルにイカれていた。私自身はさほど興味がなかったがギターサウンドなどはおもしろいと思った。
 
 このように出てくる人やバンドについて、あれこれと当時を回想しつつ突っ込みをいれて懐かしがったり、恥ずかしがったり、まじめに考えたりとするのであった。

キーワード:

ドキュメンタリー / ロック / 音楽


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デザイン室レフ

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