2008-10-19

孤高の国、クルジアからの世界への投げかけ。 このエントリーを含むはてなブックマーク 

最近、この様に重く、深く考える映画を通して、感じたことはなかった。
この時代のロシアはどうであったか、スターリン時代の人々はどのように生きていたのか等、本から新たな知識を得たいと思った。
戦争ではなく、1人の指導者が変わっただけで、不幸のどん底へ家族の崩壊が始まる。他人では抗うことができない運命がのしかかって来るという恐怖を感じる。、
しかし、懺悔という映画はそのことをいっているのではない。1人の家族の崩壊を通してそれを与えた人間がいる事、その人間がどう感じ、どう懺悔をしていくのか?という事が本当のテーマなのかもしれない。
指導者を選ぶのも国民、その指導者がならず者であったとしても抗議する事が出来るのか。
この社会において、人は皆、今が安泰であることにほっとしている。それをすてて、悪をどれだけの人が言えるであろうか。又、人は人の意見に真摯に耳を傾けることが出来るのか。
これは社会を構成するイロハ、一人ひとりに問うているように思えた。

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斉藤光子

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斉藤光子

“映画ファン”