2009-01-10

『パレスチナ1948NAKBA』アーカイブス版完成報告と試写会他 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 8日(木)文京シビックホール・小ホールにて、『パレスチナ1948NAKBA』アーカイブス版完成報告と試写会へ。

 http://www.hiropress.net/index.html

 http://www.daysjapan.net/

 7日は12時間も寝ていたので、7日の夜からは一睡もせず、8日も午前中掃除・洗濯をして、お昼にウォーキングで渋谷へ行き、まんだらけとブックオフで漫画本とDVDを売り、東急と西武で食料品と酒を買い…と昼間も忙しくしていたせいか、試写会で周囲が暗くなったら、急に眠気に襲われて、船を漕いでしまい、断片的にしか観れなかった。アホか…。

 上映後行われた、イスラム研究者の板垣雄三さんと『パレスチナ1948NAKBA』制作者であり『DAYS JAPAN』編集長の広河隆一さんのコメントで、特に印象深かった点を少し。

 板垣
 現在ガザで行われているのは、重武装の軍隊によって普通の人々が標的にされているという事態。こういうことをするのが現在のイスラエル国家の実情。しかしこのような振る舞いをするような国家は決して長続き出来ない。
 1970年代以降テロ/反テロ戦争の時代が始まった。「テロとの戦い」という形で、パレスチナ人を押さえ込もうという戦略の始まりもこの時代である(「パレスチナ人はテロリストだ」)。このきっかけとなったのが、他ならぬ1972年5月に、後に日本赤軍を名乗ることになる、奥平剛士、安田安之、岡本公三による、テルアビブ空港乱射事件である。
 日本での報道で「自爆テロ」と訳されている外国の報道の原語は、“Kamikaze (Bomb)”。

 広河隆一
 どんな被害も自らの罪を正当化しない。ヒロシマが日本軍による中国での振る舞いを、アウシュヴィッツがイスラエルによるパレスチナでの振る舞いをそうしないように。

 
 帰りは丸ノ内線を淡路町で降り、地下道を十分くらい降りたり上ったりして千代田線・新御茶ノ水へ乗り換えて、代々木上原へ。新年会シーズンなのか、十時過ぎの車内は赤ら顔の男性の占める率が高く、酒臭く閉口した。

 明日の午後は、ガザでの即時停戦を求めるピースパレードに行く予定。

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知世(Chise)

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知世(Chise)

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