2009-02-27

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キジメッカの絵画展《精神負債賤役》
(文/Mistress Noohl)

キジメッカ……、この不思議な響きを持つ名前に、誰もがふと思いを馳せるに違いない。遙か異国の聞き慣れぬ言葉なのか、何かのアナグラムなのか、はたまた作家自身の造語なのかしら?と。それは、「十六歳のときに夢に出てきた音(アトリエサード刊『トーキングヘッズ叢書No.37』掲載インタビューより)」だという。「起きた瞬間にこの音がいいと思って、紙にメモしたんですね(同前)。」

自分の領域でありながら自分の与り知らぬ物事が展開する「夢」という場所、大抵は覚醒とともにその内容は忘れてしまうことが多いが、私達の身体にはきっと、そこでの経験が印象や感覚という曖昧な皮膚となって何層にもまとわりついているはずである。キジメッカという響きに思わず反応してしまうのは、単に聞き慣れないというだけではなく、幾層もの皮膚に眠る夢の記憶のひとひらが覚醒を始めたからかもしれない。

印刷物や写真でキジメッカの作品群を観る時、ともするとその奇抜な絵柄にのみ目を奪われてしまいそうになり、名前の響きとは反対に、それらは曖昧さを許さない具象として迫ってくる。そしてその強さゆえに、観る者は先入観を反射的に発動してしまうかもしれない。

しかし、画廊に展示された作品群からはなによりもまず、キャンバスに油絵の具が定着されているという、マチエールの無条件の美しさと得も言われぬ物質感が発散されている。そしてそのマチエールが静止ではなく振動している感触として実現され、室内に漂う絵の具の匂いと相俟って、観る者を具象ではなく抽象の世界へ、曖昧だけれども現実感のあるまさに夢の場所へといざなう。

黒の深い照り返し、ブルーの鮮やかなグラデーション、肌色が持つ生々しい艶、赤い筋の盛り上がり、ナイフによって削られた傷跡のようなライン、無彩色を印象づける色彩構成の魔術、等々……いままさに描き上げたような息づかいの感じられるマチエールの複雑からは、キャンバスを行き来する筆やナイフの擦過音とともに、「キジメッカ」という音が重なり合って反響してくる。

「そこに投影しているのは欲望じゃない」「そこにあるのは社会に対する私の『意見』」「モヤッとした部分の『意見』を描いている」(全て同前)という観察者の意志こそが、現実を写実ではなくもうひとつの姿として丹念に描くためのメチエとなり、素通りできない確かなものとして観る者の内面を底光りさせる。

《精神負債賤役》をはじめとした新作6点と旧作の初出品1点を含む24点が展示されている貴重な機会、この複雑多彩な現実の風景を前に、貴方の何が底光りするでしょうか?

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