2009-04-11

僕はここにいる このエントリーを含むはてなブックマーク 

『ミルク』と『ハーヴェイ・ミルク』。二つの映画を観た今、鮮やかに脳裏に映るのは、生きる楽しさ、恋のせつなさ、社会運動の興奮だ。

ミルク本人は、けっして真っ白で善良なだけの人ではない。人間臭いしたたかさと弱さも、描かれている。でもやはり、その衝動の源は、僕は生きたい、という叫びだったように思う。それが、多くの人たちの願いと共鳴したとき、ああいう時代の寵児が生まれたのだろう。

あのころ、二つの“恐怖”のぶつかり合いがあったと、かつての戦友が証言していたのが印象的だった。
ゲイの人々は、「このままでは、自分たちはこの社会から抹殺されてしまう」という、ものすごい恐怖を抱いていた。
かたや、それと相反する価値観の人たちも、同じように恐怖心を持っていた。「 “正しく” “道徳的に” 生きてきた自分たちの社会に、 突如 “変態たち” が現れ、町が乗っ取られてしまう」。

今回ミルクを通して、自分の中に、長い年月をかけて刷り込まれた、“常識” の存在を認めた。自分の信じている正義を疑い出した。
私の信じる常識が、誰かを抑圧しているかもしれない。
私の誇りが、まっすぐな正義感が、誰かを死に追いやっているかもしれない。

しかし何よりも、この映画を見てよかったと思わせてくれたシーンは、ミルクが殺された後、無数のろうそくの灯りが町の大通りを埋め尽くした光景だ。大河を流れる言霊のようだった。圧巻だった。それぞれの灯りが、無言で訴えていた。私はここに生きている、と。

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