2009-05-03

小泉改革=『自殺を伴う改革』 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 清志郎さんみたいな人類遺産が亡くなってしまう一方で、どうしてブッシュとかチェイニーとかラムズフェルドみたいなREALガン野郎がガンにならずのうのうと生きているのか? それは既にそいつらがガンだからだろう。ガンそのもの、ガンそれ自体だから、今さらガンにかかる事も無い(うらやましい話だな)。

 ツタヤがレンタル半額フェアをやっていたので何本か借りた。そのうちの一つが『華氏911』。アメリカのイラク侵略をテーマにした、マイケル・ムーアの映画。
 劇場でやってたのは2005年だったろうか? たしか平日の昼、恵比寿のガーデンプレイスへ観に行ったものだ。冬だったと思う。迷彩柄のジャケットを羽織っていったのを覚えている。たかが服とはいえ、何の配慮もない服装だ。映画を見終わった後、「こんなアメリカ軍仕様の服を着ていくなんて!」と強く恥ずかしくなったのも覚えている。

 当時の私は迷彩ジャケットとか迷彩パンツを、多くの若者がそうであるようにファッションとしてまとっていた。戦争関連の服装である事に、特に疑問も持たなかった。広島にある『アメリカの栄光センター』に初めて行ったのは2001年だったが(注)、そのときもアーミーパンツをはいて行ったのだった。アメリカの栄光をたたえる気持ちなんて全くなく、ただ単に普通の、ごく日常的な服装としてそれをはいていったのだった。

 ・・たかがファッションと言えばそうかもしれないし、そんな服装で行く人がいるとしてもべつに否定はしない。人格を疑ったりもしない。自分はもうしないからと言って、「まだ気づいてないんだな」と思ったりもしない。自分とは感覚が違うのだろう、くらいに思うだけだ。
 私は、アーミーパンツとか迷彩ジャケットとか、もう今は持っていない。捨てた。「こんなものはどっかに行け!」と。当時住んでいたたまプラーザで、燃えるゴミの日に出した。だからもう今は持っていない。着ることもない。

 でも、かと言ってその頃と比べて今のほうがまともになった・・なんて言わない。人殺しの服装がいやになったから着なくなったわけだが、まぁそれ自体は悪くない事だと自分では思っていて、その頃に比べれば良い方向に行ったのかなぁと少しくらいは思ってる。

 でも言ってみればたかが服装。それを変えただけ、とも言える。別な面ではその頃犯していなかった新たなデタラメや良くない事をしているのかもしれない(「誰それは人類のガン」とか普通に書くこと自体、そうなのかも)。全体的に見れば、前よりも悪くなっているのかもしれない。どっちなのかは分からないし、特に興味もない。スターバックスやマクドナルドにも、以前とは違って行くことはない。

 ぼんやりとした考えだけれど、その二つの店が増えれば増えるほど、日本は生き辛い社会になっていくだろうと思っている。でかい電器屋が増えれば増えるほど(つい先日も渋谷に一つドカーンとできたが)、日本は生き辛い社会になっていくだろう。

 小泉・竹中・オリックスの宮内みたいな連中が「これからの社会はこうあるべきだ」と色んな改革を仕切ったり、日本がどう変わっていったら良いのかの方向性に強い影響を与えようとする限り、そいつらの考えがこれからの社会作りに反映される限り、日本は相変わらず生き辛い社会のままだろう。窒息寸前、狭いゲージに押し込まれたブロイラー心理のような市民の息苦しさは、相変わらず続いていくだろう。真の敵は隣りのブロイラーなのか、それとも自分らをこんな状況に押し込めた連中なのか、と言うことだ。

 小泉、竹中、オリックスの宮内、国際基督教大学の八代、トヨタの奥田やキャノンの御手洗が進めてきた経済のあり方、社会の方向性は、すでに息の根を止められた。福祉や教育、医療や地方経済を犠牲にして、トヨタとかキャノンなど世界の中でも競争力のある強い企業をもっと強くすることによって日本経済を成長させよう、貧乏人どもにはそのおこぼれを・・という戦略、「おこぼれ経済システム」は、死んだ。一般市民がガマンを強いられてきた成長戦略は、死んだ。

 年間の自殺者三万人をずっと出しながら続けられてきた小泉・竹中改革、すなわち『自殺を伴う改革』は、死んだ。

 カネのない者にもクレジットカードを作らせ、ローンを組ませてまでモノを買わせることで成り立ってきたアメリカのシステム。そんなローンさえも新しい金融商品として売り出し、買い取った会社がまた別のローンと組み合わせて商品にし、誰かに売りさばいて・・とワケの分からない所にまで値段を付け、売り物とすることで成長を続けてきたアメリカの経済。そんな社会にモノをたくさん買ってもらうことで成り立ってきた日本の経済システム。
 両方とも、死んだ。
 地震の多い国に原発を建てていけばどうなるか明らかなように、自爆した。爆発した。ドッカーン、と逝った。デカイ花火とともに大勢の人々を巻き込んで、立ち直り不可能の人たちをたくさん出して、破爆した。

 アメリカ経済のブッ潰れは地震の多い国に原発ガンガンブッ建てていけばどうなるかの良い見本。良い手本。日本の将来を暗示している。だからそこからなにを学ぶか、だ。

「歴史が教えるのは、人間ってやつが歴史からさっぱり学ばないし、学べないということだ」・・だっけ? 人間の真理を言い当てているとされる名言。何に載っているのか忘れたが・・

 日本はどうだろうか?

 私の考えとしては、「やっぱり学べなかった」となるのが順当な結果だと思っている。
「日本はアメリカの破綻から学ぶことができず、地震で原発ドカーンで逝っちゃった。国そのものがチェルノブイリとなりました」というのが順当だろうと思っている。

 幸いにしてそれはまだ来ていない未来なワケで、順当に行くか、それとも行かないかは、これからの一人ひとりの心がけとか行動次第になってくる。

「歴史が教えるのは、順当だろうと思われていたことが必ずしも順当には終わらなかったと言うことだ」。これもまた真理だろう。

 日本はそれを勝ち取ることができるだろうか? 時間はどれだけ残されているだろうか?

注 どこか分かりますか? 

キーワード:

小泉 / 竹中 / 改革 / 清志郎 / ブッシュ / 原発


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菊田純一郎

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