2009-05-23

表現とヒューマニズム このエントリーを含むはてなブックマーク 

Aプログラムを観劇、2点、共通した感想を持ちました。

一つは「抑圧されている」こと。
シニカルやプロパガンダを越えた、有無を言わさぬな圧力は
製作者側の想像を絶する生死の闘いなのでしょう。
心のバランスを欠いた中で出口を探し
どの作品もヒューマニズムに救いを求めている結果になっている。

もう一つは「音楽の使い方が秀逸」
初期の何作品かはソ連を称える曲想で(たぶん歌詞も)
マーチングがメイン。ブラスとドラムで国威発揚を促す
軍国賛歌のようなマンネリ化した作りなのだが
ある時期になると、現代音楽調で効果音を駆使したり、
ジャズをメインにしたり、精巧な作りになっていた。
音楽の場合は歌詞がない限りは、検閲が緩かったのでしょうか。
そして、たぶん、作曲家達は音楽で
鬱憤を晴らしていたように感じてならなかった。

「ソ連がナンバーワン」と、国が謳い
アメリカを否定すればする程、実はバリバリにアメリカを意識し、
脅威に感じていたのを、画面や音が発していた。
(ウォーホル的ポップ画調、5番街を舞台にしたり、ディズニーキャラのパクり、Jazzの多用)
外側は共産主義バンザイ!というコーティングだけど、
伝わるものって伝わるんだなぁ、と思いました。

アニメーション、音楽、革命後~ソ連崩壊黄昏時期の
推移と歴史に興味のある方は御覧になってください。

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gondwana

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