2009-07-09

父親の背中を追い求めて... このエントリーを含むはてなブックマーク 

見る前から不安はあったのだが、それは見事に的中してしまった。

 レザー・ファッション界でのイサム・カタヤマの名が海外にまで轟いていることは、この作品を見ればよくわかるのだが、私のようなファッション界など門外漢の者にはまったく知らない名だ。ただ、レザーファッションの魅力程度は多少なりとも理解できるので、映像の中でイサム・カタヤマが作るレザーの良さや魅力が描かれていれば、と思っていたのだが、それがほとんどなく、結局、イサム・カタヤマの商品というものがよくわからずに終わってしまっているのは、私にとって、この作品の一番残念な部分だった。

 ただ、最初から商品宣伝のためにこのドキュメンタリーを製作しようとは、監督もイサム・カタヤマ本人も考えていなかったのだろうから、その部分は作品の評価を落とす理由にはならない。むしろ、自分の無知を恥じるばかりである。しかし、イサム・カタヤマが作るレザーはわからなかったが、イサム・カタヤマ本人の魅力は十二分に観る者に伝わっていた。

 私個人の好みになるかもしれないが、この作品の中で一番良いと感じたのは、カタヤマが父親の話をするシーンだ。カタヤマが小さいとき、革ジャンを着た父親に抱きついて一緒にバイクに乗っていたことを、やさしい眼差しで遠い地を眺めるようにしてカメラに向かって話す、そのシーンには、瞼の裏が少し潤むくらいに感銘を受けた。そして、そのときに感じた革の柔らかさ、なめらかさが忘れられなかったカタヤマが、レザー・ファッション界への道を歩みはじめる、とわかったときは、カタヤマという人がもつ心の温もりを感じずにはいられなかった。最初に、イサム・カタヤマの商品がわからない、と書いたが、父親の話をするカタヤマの目を見ただけで、彼が作るレザーに悪いものなどない、とファッションに無知な私でも理解できた。

 私も、父親の背中の広さや温もり、感触というのは今も忘れられない、懐かしさを感じている。自分の心のふるさとは父の背中、と思っているだけに、カタヤマが語る父親との思い出は心深くにしみわたってくるものだった。作品の中でカタヤマ本人は、その子供心に感じた革ジャンの背中の感触に、自分の手作りのレザーが追いついているのかどうか、という点は話してはいない。おそらくそれが、カタヤマにとって超えられない父親の存在そのものなのだろう。そして、父親の影を追ってレザーを作る、というのは、ある意味、技を受け継いでいく日本伝統の職人気質を見ているよう、という点も興味深い。カタヤマが海外に出向いても終始、メイド・イン・ジャパンを意識しているのは、日本の職人としての意地と、父親への望郷があるから、というのが、この作品から伺い知ることができたのは、大変面白いと感じた。

 そんなコテコテの日本人のイサム・カタヤマを追ったこの作品の映像は、色彩に特徴がある実にスタイリッシュなものだ。それは、イサム・カタヤマを描く意味というより、監督の牧野の個性のようだが、人間・カタヤマを描こうとしている中でも、それほど映像演出が上滑りすることなどなく、観客の視覚や心には十分に応えるものだった。ただ、しつこいようだが、初めてイサム・カタヤマのレザーを知る者も多くこの映画を観るのだから、その色彩演出で、もう少しカタヤマが作るレザーそのものに踏み込んでほしかった。スタイリッシュな映像だからこそ、ファッションにももう少し、興味を挽かせてほしかったと思う。

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山中英寛

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