2009-11-08

天保十二年のシェイクスピア @ 池袋芸術劇場 このエントリーを含むはてなブックマーク 

4ヶ月前まで住んでた懐かしの池袋へ。
知り合いのバレリーナさんが案内状をくれたので、舞台を見に行った。

バレエに関してはニジンスキーがゲイだった、とか、
ストラビンスキーとかを除いてほぼ、門外漢なんで、
初めて触れる事にワクワクと、解るかな〜?っていう不安と。

演目は、井上ひさし原作の「天保十二年のシェイクスピア」
何度かお芝居で公演され、蜷川さんも演出とかしてるが、
今日は、それをバレエから演じたもの。

結果から言えば、大変面白く、見応えのあるものだった。
所々の見せ場に使われるのが、ブロードウェイ風のミュージカル的なものだったり、
マンボ、ゴッドファーザー、勿論、伝家の宝刀のクラシックバレエ、タンゴetc...と、
素晴らしいぐらいのカオスっぷり(笑)

そもそもが、出演者の顔ぶれや、原作の戯曲、その元ネタであるシェイクスピアなどに、
疎い、っていうのもありながら、それを知らなくても大変楽しめるものだった。

ロミオとジュリエットの有名な場面を江戸弁で語るくだりとか、
そういうのんは流石にわかるけどね(笑)

ただ、バレエを踊るだけの基礎技量や、ごちゃまぜなのにまとめ上げる演出、
など、久しぶりに良いモンをみたなぁ、と。
後は、話の筋的な部分で、休憩後の後半、もう少し展開を早くしていって、
今迄のが混ざり合って一気に終われば、名状しがたいスゴイ強度を持ち得たのかも。

バレエの演出、と、いうものがワカンナイので、
それは求められない部分なのかもやけど。

従来の、賭場の利権を廻っての姉妹喧嘩に
外から来た「せむし」の異形の男が契機となって共同体の作法が崩れていく、
っていう構図に、多少のマルチスレッド風の挿話が繋がっていくあらすじ。

男目線、女目線の主題がコロコロ変わり、挿入される踊りの見せ場(何て言うんだろ?)
による転換。
舞台の面白さを伝えてはいるけど、現代で演じるなら、ただ要素を集めました、
という部分だけではなく、筋の展開具合、解釈でそこに、今のこの現代で見てる、
感じがもう少し欲しかったかも。

バレエ、という自分にとって馴染みがない部分で、表現力のおもしろさ、
鍛錬の素晴らしさ、というものを改めて感じたけど、
舞台、っていう括りで考えると、もっと続けてかみ砕いて解釈し直せば、
相当スバラシイもんになるんだろうなぁと。

ま、おこがましい話ですが。

リオタールのポストモダンの条件じゃないけど、
出して側のアウトプットと受け手側のインプットは
必ずしもインピーダンス一致させなくて良い、っていう風に思う。

そもそも、かつて芸術作品を鑑賞するには、
それを読み取る知識や感性が必要だったと聞く。

そこに、描けるか、表現出来るか、っていう技量は見る側には求められない。
けど、それが今、何を表してるか?っていう知識や理解力がいるので、
鑑賞するには、素養が学べる貴族などでないと、っていう感じだったそうだ。

リオタールは科学技術、っていうことでゆってたと思うけど、
例えば音楽にしたって、別にアフタビートでクリックならしてリズムがとれなくても
DJは出来るし、トラックも作れる。
そこに求められてるのは、如何にフロアを盛り上げらさせれるか、であって、
音楽的な知識(レコードの枚数の話じゃないよ)やら、習得する技術などではない。
それが良いか悪いか、なんてどうでもいい話で、要は役割をきちんとこなしたかどうか。
正直、DJらと話してて、最近楽器を買ってみたけど、続かない、とか、
オブジェになった、とか耳にするけど、
20年弱ギター弾いてた人間から見ると、何言ってるの?って言いたくなる所も
無きにしもあらず。
基本的に、別次元の話だから。

ただ、バレエを習う、クラシックの楽器を習う、っていう話は親が金持ち、とか、
環境やらすごい影響有る訳で、
その中でしか会話できない世界だと、現況考えてもやっぱしミクロな分布図よな、と。
ただ、バレエの踊りやら、今日は和風の着物を着てバレエの舞踏とか、見てると、
それだけで萌え要素は満載なんだがねぇ(オレだけ?)

話の筋としても、ちょいと前の感じとか、そんなんあったとしても、
アウトプット側のアルゴリズムをそないに感じさせず、楽しめた、っていう点は
今後も考えて愉快に拡がっていく可能性は秘めてるね♪

P.S RUSH聞いてるような感じ(笑)

キーワード:

バレエ / 舞台 / 池袋


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