2009-12-20

日本のインターネットは残念だ・・・だがこれはネットに限ったことではなく、日本文化は昔から軟弱で傍観者的で冷笑的だったのだ。 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 しばらく前、「ウェブ進化論」で知られる梅田望夫氏が「日本のインターネットは残念だ」と発言して強い批判を浴びたことがあった。「知に関する最高峰の人たちが知をオープン化している」英語圏のネットに比べて、日本はサブカルチャー領域以外ではネットがほとんど使われない現実が「残念」と彼は言った。
 この指摘は正しい。だがこれはネットに限ったことではなく、日本文化は昔から軟弱で傍観者的で冷笑的だったのだ。背景には、日本人にとっては権力がつねに「世間」「空気」のような不定形の存在でしかなく、参加の実感が薄いということがある。だからこそそこに生まれる文化は傍観者的でしかない。権力装置を血みどろの戦いで構築してきた欧米とは違うのだ。
 そういう文化構造を日本人は自嘲し、中心的ではないことに「残念」と思い、でも逆にその酔狂な独特さに誇らしさも感じてきた。そして過去の幾多の日本文化論も、その独特さを批判したり、賞賛したりしてきたのである(以下、略)。

・・・上記は今日の朝日新聞の書評欄の佐々木俊尚氏の「日本辺境論」(内田樹著)の書評の始めの三段落。ずっと思っていることの一つで納得したし印象に残ったので書いておく。今思ったがレックさんが話す日本人論に通じるものも想起した。

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わたなべりんたろう

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わたなべりんたろう

“「ショーン・オブ・ザ・デッド」の監督・主演コンビの傑作「Hot Fuzz」の公開署名運動をしています。 <Twitter> http://twitter.com/RintaroWatanabe ”