2010-01-08

音楽再生のキーワード「サウンド・リサイクル」 このエントリーを含むはてなブックマーク 

本書は,音楽ライター,編集者,レーベル・マネジャー等と多岐にわたって音楽の現場で活躍し,数々の重要なアクションを起こしてきた原雅明氏による著書。

原雅明氏のアクションは,現場の感覚に根ざした明確なコンセプトを持っている。
L.Aアートシーンを牽引するクラブ・パーティ”Low end Theory”の日本への招致によって特定のアーティストや特定ジャンルだけをフィーチャーするのではなくローカル・コミュニティごとを楽しむというパーティのあり方を提示し,またdublab発の音楽とアートを縦断するアート・プロジェクト“Into infinity”の日本展開ではCreative Commonsライセンスのもと著作権の解放による音楽とアートの無限の可能性を検証した。

そして,本書も原雅明氏による重要なアクションのひとつであり,低迷する音楽業界から現場の声を吸い上げ,それを代弁する形で問題提起をしつつ,「サウンド・リサイクル」という切り口でポジティブなメッセージを投げかけるものである。

本書書き下ろしのPart1で著者は,パッケージ・ビジネスが衰退していった状況を生々しく伝えつつ,旧来のモデルにとらわれずに新しく刺激的なシーンを作っているアーティストの活動を,アーティストの生の言葉を引用しつながら紹介する。
ここには,日本の音楽シーンを面白くさせるための重要なヒントが散りばめられている。

ここで著者が提示するキーワードは「サウンド」である。
「サウンド」は物質的にパッケージ化された「音楽」から解き放たれ,現場の空気を吸収しながら自在に形を変化させ,あるいは他のサウンドと出会い,過去から未来へと継承されていく有機的な存在である。
パッケージ化された既製品である「音楽」と,有機的に変化する「サウンド」とは明確に区別されるべきであり,本書を読むことで,音楽産業の低迷の理由のひとつに挙げられるCDが売れないということの根底には「音楽」という概念の限界があることに気がつく。そして同時に,「サウンド・リサイクル」という言葉が音楽を面白くする可能性を秘めていることにも気がつくのである。

「サウンド」という言葉の意味は,Part.2を読むことでさらに理解が進む。
Part.2は,これまで原雅明氏が書いてきた文章が時系列にまとめたものであり,時系列にそって最初から読み進めて行くことで,Part1とリンクしたかたちで音楽シーンの変化やそれに対する著者の考えの変化が読み取れて興味深い。

Part.2終盤では,「サウンド・リサイクル」が根付いているL.Aのアートシーンが紹介されている。その大らかでクリエイティブな風土の中,ジャンル横断的に様々な「サウンド」と「アート」が出会い,それらが有機的にミックスされ,独自のローカル・コミュニティを形成している。
本書で紹介されている“Dublab”や“Low end Theory”はその典型であり,そのようなコミュニティは,音楽をパッケージとして“ストック”するのではなく,「サウンド」として“シェア”し,有機的に活用して循環させるという発想で活動し,シーンから支持を受けサポートされている。
広告や流行ではなく根強いファンに支えられ,潤沢な資金よりも独創的なアイデアに活動の拠り所があり,巨大組織のバックよりも気心の知れた仲間で活動する機動力を持つL.Aのアート・コミュニティの活動は,明らかにCD販売を中心としたパッケージ・ビジネスとは異なり,至って健全で面白い。

そして著者は,このような「サウンド」の可能性を,音楽の現場で,さらには広くアートの現場で実践している。“Into Infinity”の日本での展開や,“Secondhands Sureshots”の日本リリースなどがそれである。2008年冬に東京と札幌で開催された”Into Infinity”では,dublab主宰者フロスティと,Daedelusを日本に招き,「サウンド・リサイクル」の可能性を実証して見せた。

本書を読み「サウンド・リサイクル」の可能性について知ることで,あまりに硬直的な著作権システムが有害であることに気がつくし,健全なアートシーンを支えるのはスポンサー企業ではなくアーティストやファンにより形成されるコミュニティであることにも気がつく。
本書には,著者が音楽の現場から感じ取った重要なメッセージが盛り込まれており,本書は音楽の現場にポジティブな変化を生じさせること確実である。その意味で本書での著者のアクションはあくまでスタートに過ぎないのである。

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 saitochin

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