2010-09-20

映画『ミツバチの羽音と地球の回転』&『ヒバクシャとボクの旅』他 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 今日はまた蒸し暑さが一時的に戻りましたね…。

 昨日は朝から午後まで論文の校正をして、それを午後遅く駅前のコンビニでファックスしてから映画を観に国立へ。明大前からは準特急に乗って分倍河原で乗り換えて、南武線の谷保まで約一時間でした。実は子ども〜少年時代分倍河原は日常的に利用していたし(ただし通学は朝のラッシュが耐えられないので自転車でした)、たまにですが、立川に行くのに南武線にも乗っていました。恐らく二十年近くぶりの南武線は東京とは思えないようなローカル線っぽい感じで、小学生の頃何度か降りたことがあるはずの谷保駅も、昭和50年代で時間が止まってしまったような小さな駅でした。国立も南武線沿線はのんびりした田舎みたいですね。

 観たのは表題の二作。国立の市民運動関係者が手弁当でやっている、「ピースウィーク“まちじゅうが映画館”」というイベントの一環です。

 http://blog.goo.ne.jp/kunitachipw/e/d8257da0ce09c04d3b935c601366faaf

 九月後半の全ての休日に、連日会場を変えて行われるよう。格安で全部観れるチケットがあったので行ったのですが、昨日行ってみて、片道一時間強かかるし交通費もバカにならないことに改めて気付きました。初秋の気持ちよい休日、よい気分転換になったので、まあいいかあという感じではありますが。電車の中での読書も進んだし。
 
 本当は午前中〜午後早い時間に行くつもりでいたのですが、昨日の明け方メールで、校正を済ませて昨日の夕方までに送って欲しいと言われたため、遅い回の方に行くことになってしまいました。会場の国立の福祉会館は谷保駅から結構離れていて、土地勘がないのでちょっと迷いました。

 『ヒバクシャとボクの旅』(監督:国本隆史、製作:ピースボート、2010年)
  http://www.peaceboat.org/info/hibakusha/

 1980年生の若い監督が、世界中を船でまわって乗船者同士、また世界各地の人々と交流するという、ピースボートの旅で同行した広島・長崎の被爆者達の様子を撮ったドキュメンタリー。

 多くは高齢の被爆者のおどろおどろしい体験記を聞いて、戦争の恐ろしさと平和の尊さを実感させるという、従来の「原爆もの」の「型」を意図的に破ることが意図された作品。今後二十年の間に殆どの被爆者が亡くなり、また実体験として戦争体験を語れる世代がこの世からいなくなるという現実と、高齢の戦争体験者と若者とのギャップを直視することから出発している。

 具体的に言うと、乳幼児の時に被爆したため原爆の記憶のない、六十代の被爆者達が迷い悩み、自問自答する姿を中心に据えつつも、上述のような被爆体験に対する無関心や違和感を率直に表明する若者達や、被爆者に罵声を浴びせるギリシアのティーンエイジャー達の姿等も敢えて収録されている。
 
 ベネズエラで建築現場の若者が偶然声をかけられ、仕事を中断して被爆者の話を非常に真摯に聞き入っていたのが印象的でした。もしあれが政権側の一種の「演出」じゃないとしたら、ベネズエラの社会主義が本当に民衆に好い影響をもたらしている証拠と言えるかもしれません。

 『ミツバチの羽音と地球の回転』(監督:鎌仲ひとみ、製作:グループ現代、2010年)
 http://888earth.net/index.html

 六月初頭カタログハウス本社の上映会で観たので、二度目の観賞。展開が予測出来る分内容的に入り込んで観ることが出来ました。とは言え、映画上映向きではない会場で二時間以上というのは、ちょっと身体的にはしんどかったです。

 スウェーデンの環境政策を担う、ないし関っている人々の晴れ晴れとした様子と、原発建設を国策として推進し続ける国を後ろ盾にした、中国電力の執拗な攻勢にさらされながらも闘う、祝島の人々が抗議行動中以外で見せる誇りに満ちた笑顔が印象的。勿論美しい祝島の海や畑や田んぼの光景も。

 スウェーデンと対比されていることもあって、著しく際立つ他方中央集権的で権威主義的で垂直的なこの国の在り方と国民性には、改めて強い嫌悪感を覚えた。本当に息苦しく生き辛い…。

 全国各地で自主上映会が開かれているようだし、是非機会があれば観てみて下さい。原発問題には関心がなくとも(推進派だと辛いかも)、祝島の光景を観るだけで十分楽しめますよ。

 上映終了後、鎌仲監督のトークも印象的でした。以下は印象深かった点をメモしたものです。

 この国の政治や経済の制度は変わらない。政財界のトップが変わるのは恐らく一番最後。だから各地域でのエネルギーの自立(地域内でエネルギーの生産消費を完結させること)を図った方が絶対に早く、社会の在り方を転換することが出来る。意外な程簡単に取れるエネルギー特区制度などを利用すればよい。

 六ヶ所村の再処理工場には現在まで3兆円かかっている。それは原発のない沖縄以外の各電力会社によって支払われているが、元を正せば国民が払っている電気代と税金。安全性の確保を放棄しない限り原発と共に、経済的には絶対に成り立たない。

 最近祝島の対岸に原発を建設しようとする中国電力は、島民に対して幾つも訴訟を起こしたり、夜間に抜き打ち工事をするなどして、何としても年内に埋め立て工事を始めてしまおうと、なりふり構わなくなってきている。

 或る上映会で中電へのプロテストのために電気代の支払い拒否を訴えたら、オーディエンスから抗議されたという。現在日本に抵抗への意志が如何に希薄かを実感し、非常に危険な傾向だと感じたとのこと。僕も同感。また、たまたま昨日校正していた原稿で取り上げている或る政治思想家のテーマの一つと偶然重なり、ようやくリアリティをもってそれについて考えられるようになった。

 自分達の加害に向き合うことがとても重要。これも全く同感。

 帰りはのんびり裏通りを歩きながら谷保駅へ。大きな公園があって、一軒一軒の家の敷地にも余裕がある感じ。ラッシュの関係ない生活が出来るのであれば、将来あの辺りに住むのもいいなあ。駅前があまりに寂れていて書店とチェーンの居酒屋とコンビニが各一軒あるだけというのはちょっと…ですが。

 最寄り駅のホームで昨日が返却期限の本についてのメモをとって、区の図書館のブックポストに本を入れてから帰宅。家に着いたのは十時半過ぎでした。シャワーを浴びてから一人で晩酌。解放感に溢れていたのか、飲み過ぎ&食べ過ぎてしまい、寝不足だったこともあって、結局寝倒れてしまいました…。

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知世(Chise)

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知世(Chise)

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