2011-01-23

PARDONNE, N'OUBLIE PAS 旅の祈り / 祈りの旅 このエントリーを含むはてなブックマーク 

セーヌ左岸からアルシュヴェシェ橋を渡ってシテ島の東の突端、上流のほうを見やると、公園の中にほとんど見過ごしてしまいそうな石の低いモニュメントがある。
«1940 AUX DEUX CENT MILLE MARTYRS FRANÇAIS
    MORTS DAN LES CAMPS DE LA DEPORTATION 1945»
 (強制収容所における20万人の死せるフランス人犠牲者のために)
と、釘でひっかいたような鋭い字体で刻まれている。
LE MEMORIAL DES MARTYRS DE LA DEPORTATION 、強制収容所犠牲者記念碑。地中に吸い込まれていくような細い階段をおりるにつれ、セーヌの上の空は徐々に切り取られ、その下、尖った鉄格子を思わせる黒い鉄製のモニュメントのある三角形の小さな広場は高い壁で囲まれ、なにかしら厳しさを感じずにはいられない。

«PARDONNE, N'OUBLIE PAS»(赦しなさい、忘れないで)と刻まれた入り口から、地下のほの暗い六角形のクリプトに入る。ひとつの壁には奥深いトンネルが穿たれ、その両壁には無数の光る石が埋め込まれている。20万個の小石が示すのは、強制収容所で失われた命。厳しい、静謐な祈りの空間、2006年2月のよく晴れた寒い日の。

ドイツ占領下、強制収容所に送られたユダヤ人、ロマ、同性愛者…。それは現代ヨーロッパの普遍的記憶でもあるだろう。その記念碑がパリの真ん中、ノートルダムの後陣の向こう側、こんなところにある。それがあることは知っていた。その前年、そこの壁に刻まれていた詩を書き写したノートを見せてもらって、奇妙な既視感にとらわれ、パリに行くことがあったらぜひとも訪ねてみたいと思っていた。

しんと冷えたコンクリートと石の地下の空間、そう多くはない人々が時折、黙ってあるいは声をひそめて出入りするそこに、どれぐらいいただろうか。壁に埋め込まれたアウシュビッツ、ビルケナウなどの主だった収容所の名が記された三角形の石のプレート、そして刻まれた言葉、「ナチス収容所の虐殺の夜と霧の中の、闇につつまれた20万人のフランス人の記憶が鮮明であるために」、それからいくつもの詩。それらの言葉をひとつひとつ読み、ノートに書き記す。デスノス、エリュアール、サルトル、サン=テグジュペリ、アラゴン…。夕刻に近づく冷え冷えとしたそこで手はかじかみ、もとよりフランス語を読んで書き写すという私には困難な仕事は思いのほか時間がかかり、閉館時間となったことを知らせに管理人がやってきた。あともう少しなんです、と、覚束ないフランス語で言うと、それらの言葉を記した紙片を持ってきてくれた。なんだ、そんなものがあったのかと一瞬思ったけれども、あの場で凍える思いで書き写して過ごしたことは無駄なことではないだろう。それを受け取りその場をあとにした。まだ明るい空には月が出ていた。カフェに入って温まるのは贅沢すぎることに思えて、ずっと歩きつづけた。

既視感にとらわれたのは、ロベール・デスノスの詩。

J’ai rêvé tellement fort de toi,
J’ai tellement marché, tellement parlé,
Tellement aimé ton ombre,
Qu’il ne me reste plus rien de toi.
Il me reste d’être l’ombre parmi les ombres
D’être cent fois plus ombre que l’ombre
D’être l’ombre qui viendra et reviendra
dans ta vie ensoleillée.
(Le dernier poèm / Robert DESNOS)

知らない単語も出てくるのに全部わかってしまった。「それほどぼくはきみのことを夢に見た…」と日本語がするするとでてきた。まだ10代の頃だったか、それとも20代のはじめの頃か、新聞に掲載されていてひどく心うたれた一篇の詩を、書き写していたのだ。

それほどぼくはきみのことを夢にみた
それほどぼくは歩き
それほどぼくは話し
それほどぼくはきみの影を愛した
もうきみについては
なんにもぼくにはのこっていないくらいに
あとはただぼくが
たくさんの影のなかの影となるばかりだ
影の百倍も影となるばかりだ
この影は立ちかえり
また立ちかえることになるだろう
日に照らされたきみの生活の中に
(最後の詩 / R・デスノス 長谷川四郎訳)

なぜだか心惹かれ心砕かれたこの詩に、何十年もあとに、フランス語で、このような場所で再会してしまう。「なぜだか」の理由は少しほどけて、そして一層深まる。

ロベール・デスノスはフランスのユダヤ人、初期シュールレアリスム運動を推進した詩人、1900年生れ。ドイツ占領下、レジスタンス活動に参加したが捕えられ、1945年6月4日、既に解放されていたテレジン収容所で、病気のため命を落した。これは、収容所で妻に宛てて書かれた詩。20万分の1のデスノス。

アルシュヴェシェ橋を渡る数日前、サントル・ポンピドゥの図書館でマルグリット・デュラスの小さな展示を観た。デュラスとデスノスを結ぶ線、20万分の1になることを免れたもうひとりのロベール。当時マルグリット・デュラスの夫であったロベール・アンテルムは、ともにレジスタンス活動をしていたミッテランらの尽力で、収容所から救出され生還した。デュラスはそのロベールを待つ間に綴った日記をもとに小説『苦悩』を書いた。その序文には「私はこれを書いた記憶が全然ない。…この日記を書いている自分の姿が浮かんでこない。…もう私には何もわからない」と書かれている。数ヶ月前に再読するまで、私は『苦悩』の内容をすっかり忘れてしまっていて、自分でもひどく驚いた。記憶からすりぬけ、記憶にとどまることを拒む類いの記憶がある。

影の中の影となること。日に照らされた生活の中に取り残されること。あるいは、光と影の間の薄闇に宙づりにされること。それを想像してみること。

ふとしたことが別のふとしたことを呼ぶ。確固たる信念とか情熱とかをあまり信じていなくて、そういうふとしたことから派生するあらゆることを引き受けることが「意志」ではないかと思っている。それを「行きがかり上やむをえず」と言ってみたりする。

8年ぶりのパリだった。思いがけない不思議な組み合わせの2人でパリへ発つことになった。予約した飛行機がたまたまスカンジナビア・エア、そういえばジャン・ヌーヴェル設計のデンマーク・ラジオ・コンサートホールの建設中の現場に知人がいるはずだと連絡をとり、コペンハーゲンで1日ストップオーバーすることにした。パリへの旅に唐突に「行きがかり上やむをえず」挿入されたコペンハーゲンの一夜、到着した時刻ではほとんどそこしか行くことのできなかった、人のまばらな貸切りのような夜の国立美術館、静かで心地よいレストランで取ったデンマーク料理の夕食、残った雪を踏みしめながら歩いた見知らぬ夜の街、簡素で小奇麗なユースホステル。何を話したかも覚えていないけれど、その夜の静かな親密さは、奇妙にリアルな感触として記憶にとどまっている。翌日、半日駆け足でコペンハーゲンの街を案内してもらい、それから少し郊外のDRホールの見学、現場事務所でとてもカラフルできれいなヘルメットと長靴を借りて(私は赤、彼女は水色の)、まだできあがらぬ建物の中の歩き回ったり、音響実験のための縮尺1/10のホールの模型の真ん中から首を突きだし写真を撮ったり、私にとってはコペンハーゲンであることを除けばそう珍しくないことに、いちいち目を輝かせていた人を、あなたを思い出す。

それからパリへたどりつき、そこで3人(ときどき+α)になって、お芝居を観た。そのひとつ、演出家クロード・レジィによる «Comme un chant de David»『ダヴィデの詩のように』(国立コリーヌ劇場)。旧約聖書の『詩篇』、アンリ・ムショニクによるヘブライ語からフランス語への新訳をもとにした一人芝居。何もない四角い暗い空間、闇と薄闇の間をゆっくり移り変わるだけの舞台で、女優ヴァレリー・ドレヴィルがひとり、ゆっくりと歩いたり立ち止まったりしながら、ゆっくりと詩篇の言葉を声にのせる。とても遅く、ゆ・っ・く・り・と。(私は耳で聴いてその詩を理解できないけれど、上演台本をもらっていたので、その箇所を日本語で読んでいた)。そのフランス語が、意味言語としてどのように耳に聴こえるのかは私にはよくわからない。訥々と、あるいは、意味がとれないほどに? 私には、それは、祈りが立ち現れる瞬間、生まれたばかりの祈りのように聴こえた。思いが口にのぼり言葉になる、ためらいながら言いよどみながら、切れ切れの言葉があらわれやがて確信となっていく、原初の祈りのような。

詩篇をおさめた聖書とその信仰は、私にとって遠いものではないけれども、親しいものでもない。むしろある種の葛藤をよびさまされずにいられない。その心の粟立ちの源泉に降下するために、聖書を手にとり、読む。どれだけの人がその信仰に救われてきたか、またどれだけの人がその信仰の名のもとにいためつけられてきたか、そのことを抜きにして私は聖書の神と祈りのことを考えられない。

3人から1人になってパリを歩き続け、セーヌ左岸からアルシュヴェシェ橋を渡ってシテ島の東の突端、上流のほうを見やったのは、旅の終わりも近い1日のこと。今ごろになって、そのことを書かなければと思った理由は、書いた今となってもよくわからない。はっきりとはわからないけれど、祈りの連鎖、のようなことなのかもしれない、と思う。
いつでもどこでもできること。
でありながら、とてもむつかしいこと。
そして終わりのないこと。

pour memoir d'une nuit à Copenhague

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