2011-02-28

裏取引のない社会を目指してー『ウィキリークスの真実!』を読む このエントリーを含むはてなブックマーク 

別冊宝島『機密告発サイト ウィキリークスの真実!』について、知人のブログに書き込んだコメントを転載します。

書き込んだのは「小林恭子の英国メディア・ウオッチ」の「2011年 02月 26日 お知らせ:機密告発サイト ウィキリークスの真実! (別冊宝島)」のエントリ。コメント掲載は承認制なのでまだ反映していない可能性があります。このムックには小林さんも寄稿していて、内容についてブログに詳しく書かれています。
http://ukmedia.exblog.jp/15979194/

ぎんこさん、こんにちは。日本から泊まりに来る人があったので買って来てもらいました。まだ読み始めたばかりですが。

巻頭に掲げられている疑問「ウィキリークスは善か悪か」ーーNHKの番組のテーマでもありますーーがすでに陳腐。ここを出発点にしているあいだはWLの果たす役割は理解できないし、WLに代表される「誰でもメディア」「誰でもホイッスルブロワー」になりうる(すでにそうなっている)世界の変化を認識できないと思います。

これは不可逆的変化であり、なりふりかまわぬガーディアンのWL攻撃を傍観するに、もはや勝負あった。プログレッシブを自称するメディアが権威を笠に着るとは笑止千万、進歩も100年たつと腐るってことでしょう。

歴史をひっくり返そうとする中東のピープルズパワーを鼓舞しているのは既存の大手メディアではなく、アルジャジーラとWLとツイッターとYOU-TUBEなど新興メディアであり、特にアルジャジーラとWLのコミットの深さ[*]は賞賛に値すると思います。

既存メディアはより専門的な視点や調査報道などの長期的視点に立った記事か、あるいは、現場で取材するならより深い物語づくりや、いっそもっと個人に沈潜したロバート・フィスクのようなクリエイティブな報道にシフトする必要があるのでは。

という点から読むと、猪子寿之氏のコラム(談話?)が秀逸。「情報化社会においてジャーナリズムに重要なのは、取材力ではなく、情報が集まる「集合知」を持てるか否かではないでしょうか」(引用)。そういう点でWLとガ紙の共同作業は理想的だったはずですが、いまや歴史と権威を売り物とするガ紙はヒエラルキーの呪縛から逃れられず、WLに代表される新興メディアとのフラットな関係の結びかたに我慢ならなかったんじゃないでしょうか。

[*付け足し]アルジャジーラの貢献については前にも書いたので省略し、ウィキリークスについてのみ補足。現在進行形の中東の民衆蜂起にウィキリークスは積極的にかかわっており、それはリークした公電が直接的に蜂起のきっかけになるかどうかといった点よりも、すでに起きた蜂起がなぜいま起きているかを説明するのにたいへん有効な歴史的資料を提供している。それも、公電に登場するのはまさにいまその国の政治の中枢にいる人物であり、その人物の背徳ぶりや民衆との乖離がどれほど深刻かが複数の資料(時には膨大な資料)からわかるようになっている。

ぎんこさん、最後までざっと目を通したので感想を追加します。ちょっと長いですが。

ぜひ読むべきは小飼弾インタビュー『ウィキリークスは、情報ダダ漏れ社会のプロローグだ』。ウィキリークスの特徴は、ハイテク技術やハイテクシステム(コンピュータ・エンジニアリング)にはなく、その理念を反映した社会変革を目指すシステムを構築している点(ソーシャル・エンジニアリング)だと指摘している。そして、これからの政治は、この「情報ダダ漏れ」が常識である世界を前提にして構築し直さなければならないと結ぶ。そんな社会を見てみたい、そんな社会に参加したいと思わせるポジティブな展望で読後感も良好です。

これに引き替え、巻末の特別対談(小谷賢x黒井文太郎)『情報のプロが読み解く!ウィキリークス事件の正しい見方』はある意味で編集の妙と言えるかも。この対談は、その直前に置かれた上記インタビューと比較するには最適な素材であり、かなしいくらいに前時代的。自分の得意とするフィールドからウィキリークス「事件」の枝葉末節を論評するばかりで、結局のところ、既存の政治、メディア、報道、機密体制など、いまあるものをいかにしてリークから防御するかについてごたごた言うに終始してます(退屈だったので拾い読みしかしてませんが)。つまり、(そのような意図はなかったでしょうが、結果として)既得権益をいかにして守るかがテーマ。

この対談が巻末に置かれていることからもわかるように、また対談の片方、黒井氏の原稿が各所に多用されていることからもわかるように、結局このムックは全体として古くさい。ウィキリークスに代表されるダダ漏れ社会(裏取引を許さない社会)を既成事実として受け入れ、「これからの政治は見渡す限り隠し事がないという平らな地平から出発するしかない」というは新しい決意を広めようとするものではありません。

とは言え、上記小飼氏のインタビューなどおもしろい読み物もあるので買っても損はないでしょう。ざっとみたところ、人文系の人材はウィキリークスに懐疑的(=認めたくない)と言えるかも。

全体を通してひとつ大きな問題点があり、アサンジの「性犯罪」については容疑の域を出ないという前提にたっているのに対し、ブラッドレー・マニングの「犯罪」は既成事実としている点が非常に危険。これはジャーナリズムとは言えないとさえ思います。

マニングは「犯罪」の容疑を認めていないし、第一に、通報したエイドリアン・ラモの「証拠」がまったく信用に足るものではなく、だからマニングは何ヶ月たっても容疑者以上のものにはならないわけで、にもかかわらず、すでに禁固刑以上の環境に置かれている。この点を無視して、単に話の脇役としていいように扱う姿勢には怒りを感じました。これはガーディアンのウィキリークス本も同じ。

「『流出』」BEST100」は「ダ・カーポ」的と言うか、インディペンデントの姉妹紙『I』的で暇つぶしに読むのによさそう。これからお風呂で読もうかと思ってます。

http://newsfromsw19.seesaa.net/article/188131636.html?1298832015

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藤澤みどり

ゲストブロガー

藤澤みどり

“英国在住の文化ウォッチャー、芸術とお酒と政治好き。ブログ「ロンドンSW19から」http://newsfromsw19.seesaa.net/”


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