2011-04-04

4月1日(金)「エルミタージュ幻想」上映後のトーク <エルミタージュ幻想の実体>松澤一直さん(ロシア語通訳・翻訳者)トークレポート このエントリーを含むはてなブックマーク 

「エルミタージュ幻想の実体」 ゲスト:松澤一直さん

「エルミタージュ幻想」には歴史上の人物が登場するエピソードや何やら意味ありげなシーンがいくつか挿入されています。それらは背景を知らないと理解しがたい類のものです。そこでロマノフ王朝史に関心を持ち、関連資料に目を通している松澤さんに、その解読をしていただきました。時間が短くてごく一部にしか言及していただけませんでしたが、映画に登場する実在の人物の肖像画などもご持参いただき、興味深い数々の「裏話」をご紹介いただきました。概略をレポートします。

エルミタージュの見学者として映画に登場する外国人はキュスティーヌ侯爵(1790年~1857年)というフランスの外交官であり旅行記作家だった実在の人物。彼の旅行記は
ヨーロッパでよく読まれていたのでロシアの「宣伝」をしてもらおうと考えたニコライ一世(在位1825-1855)が1839年に彼をロシアに招待し、彼は『1839年のロシア』という本を出版した。映画の中の彼が「ロシア人は、模倣は上手だが独創性が無い」などのロシア批判を口にしているのは彼が旅行記の中で痛烈にロシアの批判を行っているという事実に基づいている。彼はロシア見聞録を書くに当って「招待されたという恩義に惑わされることなく見聞したありのままを書くこと」「情報源は明らかにしないこと」「皇帝および皇室メンバーに対する個人攻撃はしないこと」「ポーランド人の言う事は考慮しないこと(当時のポーランドはロシアの属国であったのでポーランド人は「憎い」ロシアについて「歪んだ」情報を出す恐れがあるから)いう原則をたてた。結果としてこの本の内容はニコライ一世が期待したものとは全く異なったものとなりロシア側の反発を招いた。英語訳やドイツ語訳が直ぐに出版されたのにロシア語の完訳が出版されたのは1996年になってからだった。

「謎解き」の最初の対象は薄暗い部屋の中でシャツ姿の男が鬘を被った男を殴り、突き飛ばす場面。この男はピョートル大帝(在位1682-1725)。彼はロシアを近代化するために大改革を画策した男、言うなれば明治維新を一人でやろうとしたような傑物だが専制君主であり、厳罰を是としたので、四つ裂き、舌に熱く焼いた鉄を載せる、手足の切断、耳や鼻をもぎ取る、鞭を持った兵士を二列に並ばせ、その間を歩かせ、鞭打たせるなどの罰を科し、また些細なミスなどを理由に殴り付けたり、蹴飛ばしたりするのは日常茶飯事だった。問題はこうした体罰(特に殴打)が貴族にも加えられたことであり、ピョートル以降も続き、1785年にエカテリーナ二世(在位1762-1796)がわざわざ「貴族の体罰からの解放令」を発布しなくてはならなくなったほど恒常化していたことである(なお解放令は彼女の次の皇帝パーヴェル一世(在位1796-1801)により撤廃されてしまった)。体罰は貴族が自尊心や名誉感情を自覚することの妨げとなり、ロシアの皇太子(後のアレクサンドル二世)に対する廷臣達の平身低頭振りを目撃したキュスティーヌが「1839年のロシア」の冒頭で「ロシアは奴隷国家だ」と決めつけざるをえないような状況を作り出したのだ。この場面では「カーチャ」と呼ばれる女性が登場するが、彼女はリトアニア出身でピョートルの愛人から二番目の妻となりピョートルの死後帝位に就いたエカテリーナ一世(在位1725-1727)である。なおピョートルの最初の妻はロマノフ王朝の最後のロシア人皇后となった。女帝を除いて歴代の皇帝の妻達を並べてみるとピョートル三世(ピョートル大帝の孫だが父親はドイツ人)の妻はドイツ人のエカテリーナ二世、パーヴェル一世は二度結婚したが二度ともドイツ人、アレクサンドル一世もニコライ一世もアレクサンドル二世もドイツ人、アレクサンドル三世はデンマーク人、そして最後の皇帝ニコライ二世はドイツ人となる。この結果ニコライ二世にはロシア人の血は64分の1しか入っていないなどという説も出て来る(後述するがエカテリーナ二世の産んだパーヴェル一世の父親はピョートル三世なのか、あるいは別の男性なのかによっても計算結果は変わってくる)。

次は劇場に於けるエカテリーナ二世の場面。彼女は16歳の時に17歳の後のピョートル三世(在位1761-1762の186日間)と結婚させられた。二人は不仲だった。彼女の回想録によれば結婚後2週間しか経っていないのに、夫は彼女の面前で侍従に向かって「自分はエリザベータ女帝(ピョートル大帝の娘、在位1741―1761)の女官に惚れている。妻よりずっといい女だ」と言い放ち、あまりのことに侍従が咎めると激怒した由。彼女はたいへんな才女だった。ドイツ語が母国語だがロシア語にもフランス語にも堪能。喜劇やコミックオペラの脚本、童話、政治や経済に関する論文を書き、雑誌の発行もし、フランスの作家、劇作家、哲学者のディドロ(1713-1784)を招いて意見を闘わせたり、哲学者のヴォルテール(1694―17778)と文通するなどした。

 エカテリーナとピョートル三世との間には9年間、子どもができなかった。三世というのは、大人になっても戦争ごっこや人形遊びが好きで、幼児性が抜けなかった。男性としての機能に欠陥があったとも言われている。自分の子供がいなかったために後継者の誕生を待ち望んだエリザベータ女帝は、エカテリーナに相手は誰でもいいから子どもをつくれと迫ったとされている。「その結果」生まれたのがバーヴェル一世だが実の父親が誰かという謎も同時に生まれることになった。彼以外だとすると候補者は二人。一人はロシア貴族サルトゥイコフ伯爵、もう一人は後にポーランド国王になる当時の駐ロシア・ポーランド大使ポニャトフスキー。エカテリーナとパーヴェルの仲は冷たいものだった。一つには
エリザベータ女帝がパーヴェルが生まれるとすぐ手元に引き取り、エカテリーナは女帝の許可なしでは息子に会えず親子の情が希薄なものになったためでもある。直系だから本来は成人すると皇帝になるのだが、エカテリーナはそれをさせなかった。彼女は回想録の中で「婚約時代から私はピョートルとの結婚は私に幸せはもたらしてくれないと理解していた。私がそれでも耐えていられたのは遅かれ早かれいずれは、私はロシアの君主になれるという揺るぎない思いがあったからだ」と書いている。であるからこそ彼女は手に入れた帝位に固執したのであり、ましていわんや愛情を感じられない息子に譲る気など毛頭なかったのだろう。パーヴェルを飛ばして孫のアレクサンドルを帝位につけようと試みたこともある。エカテリーナの死後、帝位についたパーヴェルは、エカテリーナが貴族を「お気に入り優遇」や体罰免除などにより「甘やかした」ことの弊害を取り除くと称して、貴族に辛く当ったため反乱を起こされ、在位4年で暗殺された。パーヴェルには二番目の妻との間に11人の子どもがいた。エカテリーナは、息子は憎いが孫は可愛いとして7歳になるまでは自分が育てると宣言、孫たちのために図書館をつくったり、自ら童話を書いてやるなどした。映画の中で老齢に達した彼女が幼い子供達に囲まれるシーンはこの事実を反映したものだ。

 次はニコライ一世がペルシャの使節団を謁見する場面。ロシアとペルシャはカスピ海沿岸やコーカサス地域での覇権をめぐって角を突き合わせており1826年から1828年の戦争ではペルシャは破れロシアに有利な講和条約が結ばれた。そのことに不満を抱いたペルシャ人達がいくつかの事をきっかけとしてテヘランのロシア大使館に乱入し大使を務めていた「智恵の悲しみ」(ロシアの貴族社会を皮肉った喜劇で、一読した先輩作家から「こんなものを出版したらシベリア送りになるぞ」と言われたほど辛味の効いた作品。出版されたのは33年後だがその間4万5千部もの手書きのコピーが出回ったほど人気があった)という劇作の作者であるグリボエードフ(1795-1829)を含む大使館員達を殺害したお詫びに参上したのが、ペルシャ王の孫である16歳のホスレフ(ホスロ)・ミルザを団長とする使節団だった。お詫びの印として数多くの宝石類が献呈されたがその中でひときわ光彩を放っていたのが「シャー(中近東諸国の国王のこと)」と名付けられた88,7カラットのダイアモンドだった。これは15世紀にインドで発見されたもので、表面には持ち主だったインドの王二名とペルシャの王一名の名前が刻まれている。二人目のインド王は愛する王妃の死を悼んでタージ・マハルと呼ばれる墓廟を建造させたムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーン(1592-1666)である。現在はモスクワのクレムリン宮殿内の宝物殿(「武器庫」と呼ばれている)に展示されている。ホスレフ・ミルザはロシア貴族女性の間では「背は低いが美男子、笑顔が魅力的、眼差しが憂いを秘めている、物腰が優雅、乗馬姿がかっこいい」などと絶賛され大人気となった。ペテルブルグに約二ヶ月間滞在し旺盛な好奇心で見聞に励んだが、ある晩ロシアの軍服を着て「良からぬ場所」へお忍びで繰り出した。それを知ったロシア側の接待員が「悪い病気に罹るからお止めなさい」とたしなめると、彼は「単なる好奇心で出かけたのだが、厚化粧したオバさんが出てきたので飛んで帰ってきた」と言った由。こんなことが今に伝わっているのはロシア側の然るべき機関が彼の行動を監視しており報告書を作成していたからである。

 次にはプーシキン(1799年~1837年)。日本ではロシアの文学者というとドストエフスキー、トルストイやチェホフの名が挙げられプーシキンの影は薄いように思われる。理由は彼が詩人だからであろう(「大尉の娘」や「スペードの女王」などの小説も書いているが何と言っても彼の真髄は詩にあるのだ。詩は韻を踏んでいるので残念ながらその素晴らしさ、美しさを日本語に移すことは不可能である)。「エルミタージュ幻想」にプーシキンは3回も出てくる。ソクーロフが彼を特別扱いしているのは明白だ。しかも彼および彼の妻
ナターリヤを演ずる俳優(エキストラ?)にちょっとした芝居をさせて、(妻の手を払いのけるシーン、彼が妻を探す様子、その少し前を歩いている妻の姿など)プーシキンの一生を決定づけたできごと(妻に言い寄ったフランス人将校との決闘で彼は殺される)の予兆を、示している(映画終幕の大勢が階段を降りて来るシーンで上方から「ナタリー(ナターリヤのフランス風発音)」と呼びながら手を振る男の遠景ショットがあるが、これはフランス人将校だと思われる)このフランス人は、決闘が原因でロシアから追放された後フランスに戻り故郷の市長になったり国会議員になったりした。なおプーシキンの子孫と現在の英国王室は遠いとは言え親類関係にあることも興味深い事実である。

ちなみにプーシキンの顔を映画の中で見つけるのは彼の肖像画を見なれている者には容易だが、そうでない人は(DVDで見直すような場合)彼の特徴であるモジャモジャの頭髪ともみあげを先ず目印にし、さらには先のサッカーアジア選手権でMVPとなった現在、
ロシアのチームの一員となっている本田選手の顔に似た人を探すと良い。プーシキンが本田さんに似ているのではなくプーシキンのメークをしている俳優(エキストラ?)の顔立ちが(ある瞬間では驚くほど)本田氏に似ているからだ。

松澤一直さんプロフィール
まつざわ かずなお ロシア語通訳・翻訳者。ソ連時代の駐モスクワ日本大使館勤務などを含めロシア在住32年。

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