自分のブログは更新していたのにダイスのブログはそのままだった。忘れていたわけじゃないんですが。とりあえず、今日のエントリーのメインの部分をお持ちしました。全部じゃないのに長いです。
2011年04月12日「早く逃げて」とチェルノブイリ事故処理従事者からのメッセージ
もたもた原稿をまとめていたら「福島はレベル7」との認識が政府から出たようですね。記事情報をいくつか記録として末尾に拾っておきます。つまり、そうなるとチェルノブイリの教訓はますます有効ですから、以下のテキストは4月6日に書いたままアップします。
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[この項に収録した媒体記事]
生き残ったチェルノブイリ事故処理従事者から日本へのメッセージ
――「できるだけ早く逃げてください」
AOL 2011年3月22日
福島原発事故、チェルノブイリと同じ「レベル7」も=報道
ロイター 4月12日(火)8時16分配信 JST
福島第1原発事故、最悪のレベル7に 保安院検討
日本経済新聞 2011/4/12 9:26 JST
Japan raises nuclear alert to highest level
Aljazeera English Last Modified: 12 Apr 2011 09:10 GMT
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以下2011年4月6日記す:
これはほんとうだろうか。福島第一原子力発電所の事故は、スリーマイル島の原発事故よりは大規模だが、25年前のチェルノブイリ爆発ほどではない。沈静化するまでの道のりは長期戦になるが、事態は安定しつつあり、チェルノブイリには至らない。
スリーマイル(レベル5)以上、チェルノブイリ(レベル7)以下、どんなに悪くてもレベル6というマントラが蔓延し、地球規模の大悲劇チェルノブイリに次ぐか、もしかすると超えてしまうかもしれない規模のカタストロフィー(なにしろチェルノブイリは4号炉1基だったが福島第一では1~4号炉まで4機に事故が発生)が進行しているという自覚が、当事者である日本の人に薄いように見える。原発がしょっちゅう事故を起こしていたので慣れているのか。
チェルノブイリから学べることがたくさんある。特に事故当時と、将来の政府の対応など。
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科学者としてチェルノブイリの事故処理にあたった清算人(リクビダートル)のひとり、ナタリャ・マンズロワが米国のAOLの取材に答えた記事『生き残ったチェルノブイリ事故処理従事者から日本へのメッセージ――「できるだけ早く逃げてください」』の全訳を、TUPのチームメイトの荒井さん訳で掲載します。AOLから再配布の許可は得ていないので取り扱いに注意してください。
リクビダートルのその後については、ドキュメンタリー『汚された大地で ~チェルノブイリ 20年後の真実~』をご覧になると、いっそう理解が深まると思います。
http://newsfromsw19.seesaa.net/article/193558472.html?1302596935
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生き残ったチェルノブイリ事故処理従事者から日本へのメッセージ
――「できるだけ早く逃げてください」
AOL 2011年3月22日
ダナ・ケネディ
Chernobyl Cleanup Survivor's Message for Japan: 'Run Away as Quickly as Possible'
Aol Mar 22, 2011 – 1:23 PM
http://www.aolnews.com/2011/03/22/chernobyl-cleanup-survivors-message-for-japan-run-away-as-qui/
長期にわたったチェルノブイリの事故処理に直接携わった関係者の中で、生き残っている人は数少ない。ナタリャ・マンズロワはその一人だ。1986年4月、ロシアのオゼルスク原子力発電所の技師だった35歳のマンズロワは、13人の他の科学者とともに、ウクライナ北部にある、破壊され、まだくすぶる発電所 へ赴くように言われた。
世界最悪の原子力災害が大気中に膨大な量の放射能をまきちらし、10万人が強制避難をさせられてから、まだ4日しか経っていなかった。
マンズロワと同僚たちは、現在でも「死の地帯 the dead zone」と呼ばれている場所で、すべての汚染の除去と埋め立てにあたった約80万人の「事故処理班 "cleaners"」「精算人"liquidators"」 に属する。
マンズロワは、4年半にわたって、見捨てられたプリピャチの町の処理にあたった。プリピャチはチェルノブイリ原子炉から2マイル [訳註:1マイルは約1.6キロ] も離れていない。ここには以前、原子力発電所の従業員が住んでいたが、突然退避させられていた。
現在、世界中の放射能犠牲者のために声を上げる59歳のマンズロワは、「チェルノブイリの首飾り」――甲状腺を切除した喉の傷跡――をつけ、さまざまな健康上の問題を抱えている。だが、彼女の話によれば、すでに(彼女以外の)全員が放射線障害で世を去ったチームの同僚や、他の多くの事故処理従事者と違って、彼女は生きている。
AOLニュースはバーモントに滞在しているマンズロワに月曜に電話をかけ、通訳を介して日本の核災害について話を聞いた。マンズロワは今もオゼルスクに住んでいるが、 米国の原子力監視団体「ビヨンド・ニュクリア(核を越えて)」が企画した一週間の啓発ツアーを米国で始めるところだった。
AOL:福島のことを聞いたとき、まずどうお感じになりましたか。
マンズロワ:デジャヴュ(既視感)のようでした。日本の皆さんのこと、特に子どもたちのことが本当に心配です。どんな経験が皆さんを待ち受けているかわかるのです。
AOL:でも福島はチェルノブイリほどひどくはないと専門家は言っています。
マンズロワ:原子力事故はそれぞれ違い、影響を本当に測ることができるのはずっと後です。政府はいつも本当のことを言うわけではありません。もう家に帰ることができない方たちも大勢出るでしょう。そういう方たちの人生は二つに分かれてしまいます。福島の前と後です。自分と子どもの健康の心配が続くでしょう。政府は放射能は大したことはなかったとか健康に害はなかったとか言うでしょう。また失ったものすべてを補償してはくれないでしょう。失ったものは計算できません。
AOL:日本へのメッセージをお願いします。
マンズロワ:できるだけ早く逃げてください。待っていてはだめです。自分で自分を救ってください。政府に頼ってはだめです。政府は嘘をつきますから。政府は皆さんに本当のことを知ってほしくないのです。原子力産業があまりに強力だからです。
AOL:チェルノブイリに行くように指示されたとき、どれほどひどいかご存知でしたか。
マンズロワ:私は何も知りませんでしたし、本当の規模がわかったのはずっと後になってからでした。すべて秘密主義に覆い隠されていました。私は指示を受けて専門家としてチェルノブイリに行きました――今、あのような事故の処理を頼まれたら、決して承諾しません。福島で作業に当たっている人たちは大き過ぎる犠牲を払っています。原子力産業は、事故処理に当たらねばならない人間に対して、経営者が説明責任を果たさなくていいような形で発展してきたからです。原子力奴隷制のようなものです。
AOL:チェルノブイリの第一印象は?
マンズロワ:中性子爆弾が爆発した戦場のようでした。見えない敵が潜む戦場の真ん中にいるような気がずっとしていました。どの家も建物も無傷で家具もそのままですが、だれ一人残っていないのです。どこもただ深い静寂があるだけでした。自分は見知らぬ惑星にいて、生きているのは自分だけだと感じたこともありました。言葉では言い表せません。
AOL:事故処理班としての仕事はどのようなものだったのですか
マンズロワ:まず、放射能レベルを測り、植物を採取して汚染がどれほど高いか見ます。それからブルドーザーで地面に穴を掘り、何もかも埋めるのです――家、動物、なにもかもです。まだ生きていた野生動物が何匹かいましたが、殺して穴に入れなくてはなりませんでした。
AOL:住宅にペットは残っていましたか。
マンズロワ:避難するまで数時間しかありませんでしたし、犬や猫を連れて行くことは認められませんでした。放射能が毛に残って除染できないため、 見捨てなくてはならなかったのです。避難するとき、みな泣いていたのはそのためです。家に残された動物はみな干からびたミイラのようでした。でも一 匹だけまだ生きている犬がいました。
AOL:どこで見つけたのですか。どうやって生き延びたのでしょう?
マンズロワ:研究室として使うために幼稚園に入っていくと、子ども用ベッドの上に犬がいました。足は放射能で焼け爛れ、目も半分見えなくなっていました。放射能で曇っていたのです。ゆっくりと死んでいくところでした。
AOL:助けることができましたか。
マンズロワ:いいえ。私たちが入っていくと、犬は姿を消しました。そして驚くべきことなのですが、1ヵ月後、(放棄された)病院の小児科病棟で見つかったのです。死んでいました。子どものベッドに横たわっていました。幼稚園で横たわっていたのと同じ大きさのベッドでした。その犬は子どもが大好きで、いつも子どもたちの周りにいたと後で聞きました。
AOL:「死の地帯」での仕事で、健康にどんな影響が出始めましたか。
マンズロワ:インフルエンザにかかったような感じがし始めました。高い熱が出て体が震えだしました。放射能を最初に浴びたときに何が起こるかというと、良性菌が減少して、悪性菌がのさばり始めるのです。突然、いつも眠気と食欲に襲われるようになりました。有機体がエネルギーを使い果たしてしまうのです。
AOL:どれほど放射能を浴びたのですか。
マンズロワ:一度も教えてもらっていません。放射能を測る線量計を身に付け、上司に渡しましたが、結果を教えてもらったことは一度もありませんでした。
AOL:でも危険に気づいてチェルノブイリを離れたくなりませんでしたか。
マンズロワ:ええ、危険はわかっていました。あらゆることが起こりました。ある同僚が雨水の水たまりに足を踏み入れ、足の裏が靴の内側に焼きついてしまったこともありました。でも留まるのは自分の務めだと感じていました。消防士のようなものです。自分の家が燃えているときに、消防士が来て、 危険過ぎるからと立ち去ってしまったらどうでしょうか。
AOL:甲状腺腫瘍にいつ気づいたのですか。
マンズロワ:何年か働いた後、定期健診で見つかりました。良性だとわかりました。いつでき始めたかはわかりません。手術を受けて、甲状腺の半分を切除しました。腫瘍がまた大きくなって、去年残りの半分も切除しました。(甲状腺)ホルモンを投与してもらっています。
AOL:甲状腺腫瘍ができたあとも、なぜチェルノブイリへ戻ったのですか。
マンズロワ:ちょうど手術を受けたころ、政府が法律を成立させました。事故処理従事者が年金を受け取って退職するには、きっちり4年半以上働いてい なければならないとする法律でした。
AOL:本当ですか。ひどすぎるように思います。
マンズロワ:だからこそ原子力産業は危険なのです。危険を否定しようとするのです。私たちの受ける給付を定める法律をころころ変えます。もしどれほど悪影響があったかを認めれば、業界のイメージが落ちるからです。現在私たちはほとんど何の給付も受けていません。
AOL:最後にチェルノブイリでの仕事を終えた後、健康状態は悪化しましたか。
マンズロワ:私は43歳で、実質的に障碍者になりました。癲癇の発作に似た発作が起こりました。血圧もものすごく高かった。1年に6カ月以上働くのは無理でした。医者もさじを投げました。私を精神病棟に入れたがり、頭がおかしいんだと言おうとしました。最後にはようやく医者も放射能のせいだと認めました。
翻訳:荒井雅子(TUP)
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チェルノブイリ事故に対する政府や公的機関の不誠実については、「チェルノブイリ事故処理専門家が証すIAEAの正体」もあわせてお読みください。
http://newsfromsw19.seesaa.net/article/191894327.html?1302601004
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マンズロワさんの警告「いますぐ逃げて」が、いま東北各地の避難所で暮らす被災者の人々に対しても該当するかどうかは疑問かもしれない。逃げろと言われても逃げられない人がいる、という意見もよく聞く。
自分自身に引き寄せて考えた場合、わたし自身は起こりうるもっとも悪いことを知った上で策をたてることを好むので、もしわたしが当事者であれば、避難所での暮らしによって被曝の危険性はかなり高まると仮定することから考え始めるだろう。
その場合、あらゆる手立てを使ってすぐに子どもを疎開させる。いま思いつくのは京都の友人たち、だいぶ疎遠になっているが神戸の友人、岡山の遠い親戚、このあたりにまず声をかけ、息子(15歳)が通える公立学校の手配と当分のあいだの居候を依頼する。東京には親も友人もいるが、避難地域が関東まで拡大する可能性も考慮して、最初からもっと西、もっと南に送るべきだと考えるだろう。
自分とつれあいは、もし健康であれば避難所の他の人をサポートするために残るだろうが、自分で自分のめんどうをみられないほど健康を害していた場合は息子といっしょに移動する可能性もある。放射能に汚染された空間にいれば中高年ももちろん被曝するが、子どもや若者(30歳以下が目安)ほど影響は大きくないし、第一に数十年後のガンのリスクはそれほど気にしなくていいように思う(数年後だといやだけど)。仕事その他については行った先で考える。おそらく、まず生活保護を申請すると思うので、それに必要な手続き等を避難所でできるだけ整える。
中高年の男性は放射能汚染にもっとも強いと言われているので、退職後のおとうさんはぜひボランティアに行ってください。十分に注意を払い、また長期でなければ危険ではありません。日本に単身赴任中のつれあいにもそう勧めました。大学生など若い人たちのボランティアも、長期に及ぶのでなければ危険なことはないと思います。
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被災者以外の人がやるべきこととして、福島第一の現場で電源復旧などにあたる数百人と言われる作業員の情報の集約がある。氏名と作業内容、現場にいた時間や状況などを記憶が散逸しないうちに記録し(本人への聞き取り調査が理想的だが当座は家族でもいい)、当日の新聞記事など日付出典のわかる情報とともに保存すること。
自衛官や消防隊員、警察官などの公務員は公の記録が残ると思うので除外してもかまわないだろうが、東電の職員(特に現地採用)、下請け、孫請けなどの作業員の仕事内容はうやむやになる可能性が高い。
この人たちは近い将来、働けなくなる可能性がある。重篤な症状の場合は医療保障なども比較的受けやすいだろうが、だるくて動けない、集中力が続かないなど、一見怠けているようにしか見えない放射線障碍の特有症状が出た場合にも、医療や生活の保障を受けられるようにしなければならない。そのためには第三者機関による信頼のおける記録が有効であり、また、将来必ず起きるであろう裁判のための資料としても必要。これは事故処理が終わるまで数年にわたって記録し続ける必要がある。
可能ならボランティアを募って自分で調べに行きたい(組織の立ち上げに協力したい)が、行けない事情があるので、どなたかが始めて下さることを(すでに始めてくださっていることを)祈ります。
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2011年4月12日追記:
福島原発事故、
チェルノブイリと同じ「レベル7」も=報道
ロイター 4月12日(火)8時16分配信 JST
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110412-00000542-reu-bus_all
(YAHOOニュース経由なので記事がなくなる可能性があります。その場合はロイターのウェブサイトをチェックしてください)
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福島第1原発事故、最悪のレベル7に 保安院検討
2011/4/12 9:26 JST 日本経済新聞
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819595E3E0E2E2918DE3E0E2E6E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2
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アルジャジーラ・イングリッシュの記事も。強い余震や余震後の原発内の事故、避難地域の拡大や今後の見通しなど前後の状況がよくまとまっています。
Japan raises nuclear alert to highest level
Nuclear watchdog raises severity of Fukushima crisis to maximum level but plays down comparisons to Chernobyl disaster.
Last Modified: 12 Apr 2011 09:10 GMT
http://english.aljazeera.net/news/asia-pacific/2011/04/2011411233913766598.html