2011-06-14

グラシアーヌ・フィンズィ コンセール・ポルトレ このエントリーを含むはてなブックマーク 

今年も初夏のコンセール・ポルトレ、「いつものように」のはずだったのに、全然いつもと違う初夏を迎えている。1月に書いたブログからもう半年(あ、、、)、そこにも書いた祈りの連鎖は、形を変えて想像を超えて、終わりがない。3月に起こった/3月にはじまった出来事によって、ほかのみんなと同じように、「今まで通り」がありえない場所にいる。あるいはとても個人的な出来事によって、「今まで通り」ではありえない時間が流れはじめている。

戸惑ったり躊躇ったりしても、時間は過ぎて、今年のカルチエ・デテ2011は6月19日、今度の日曜日。モロッコ生れのフランスの作曲家、グラシアーヌ・フィンズィ Graciane FINZI のコンセール・ポルトレ。http://www.webdice.jp/event/detail/4839/?date=20110619
(コンサートのプログラムや、ビオグラフィ、演奏される曲目解説はカルチエミュジコのブログで。http://quartiersmusicaux.blog77.fc2.com/)

「はじめて聴く音楽に耳を澄ますよろこび」のために、私たちはコンサートを開く。そのコンサートのために、私たちは作曲家を探し、作品を探し、プログラムをつくる。ひとつのコンサートとして、ひとつながりの音楽の時間の流れを構成する。そのために、CDなどで作品を聴いたりする。グラシアーヌの音源も聴いた。あいもかわらず私の音楽の耳は、音楽を語る言葉にうまく接続されていないので、うまく表現することはあいもかわらずむつかしい。内面とか内省とかいうと、過ぎ去った「近代」的人間の語法のようで、誤解を招いてしまいそうだが、あえて「開かれた/啓かれた内省」なんていう(私の)(ごく個人的な)印象を語っておこう。楽器の、音色の、その重なりへの、慎み深い仕草が聴き取れる。それが響きの大胆さに結びつきもする。
「グラシアーヌ・フィンズィの音楽は、けっして抽象性のみにおちいることなく、人生における人間としての奥深い感情に即応した直接的表現でありながら、音楽そのものが内包する領域へと導かれるためのよきガイドとなっている」(ビオグラフィより)。




グラシアーヌには会ったことがない。彼女は今度のコンセール・ポルトレには来ない。残念だけど仕方がない。音楽を聴くことはできる。それで十分だと思う。
彼女はこのコンセール・ポルトレのために、新しい作品を書いてくれた。ヴァイオリンとヴィオラのためのデュオ『遮られる時どき』。彼女はそれを「知りあいたかったけれどかなわかなかった」ひとりのヴァイオリニストのために作曲した。手書きの楽譜がフランスから郵送で届いた。そののち、ビヨドー社から出版が決まって、献辞が添えられた楽譜の表紙が、添付ファイルで届いた。そんないろいろなことがあった。そして、そういう経緯とは無縁に、音楽は誕生し存在することができるだろう。「はじめて聴く音楽に耳を澄ますよろこび」は尽きることがないだろう。この困難な時期であったも/だからこそ。
その演奏、その音楽が立ち現れる瞬間を、多くの人に聴き届けてもらえれば、と思う。

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