2011-06-15

自己中心的な考え方でイイじゃん、もう。~『セヴァンの地球のなおし方』クロスレビュー~ このエントリーを含むはてなブックマーク 

 言うまでもないが、ドキュメンタリ映画というのは、様々な現実を(それが真実かどうかは別として)提出し、製作者なり監督が「これらに対してオレはこう思うけど、あんたはどうだい?」と、問いかけてくる、観ているひとに考えさせるというスタイルが多いと思う。
 もちろんプロパガンダ的に明確な意思を押し付けてくるものもあるだろうし、偽の情報や現実を観せてミスリードさせるものもあるだろうけど、この「セヴァンの地球のなおし方」は、ある意味正しい一般的なスタイル、すなわち「オレはこう思うけどあんたはどうなんだい?」というドキュメンタリ作品である。
 
 セヴァン・スズキがスピーチした92年のリオ・デ・ジャネイロ地球サミットから19年。オトナたちに環境破壊はやめてくれと訴えた時から、果たして地球はどう変わったか、あるいは変わらないのか、カナダやフランス、日本でのロケを通して、セヴァンが訴えたことが本当に多くの人に伝わったのか、伝わったとして人間は何をしてきただろうか、ということをただひたすら映像で観せてゆくわけだが、とても面白いことに、この映画のきっかけとなったセヴァン・スズキ自身がとても「醒めている」という点だ。
 「醒めている」というのが果たして正しい言い方かどうか、正直自信はないが、少なくともセヴァンは作中で「地球は自分自身で治癒できるチカラを持っているから、ほっといてもイイ。それよりも自分や自分の家族、子どものことが心配だ。我々は自分たちで何とかしなきゃなんない」というニュアンスの発言をしている。
 すなわち、もう地球規模で考えなくてもイイじゃん、自己中心的な始め方でイイよ、と言っている。そんなヒトたちが増えれば何とかなるんじゃないか、みたいな感じだろうか。非常に楽天的な印象を受けた。まずは身近なところで、自分勝手な理由付けでイイだろう、と。
 原子力発電所がコワいからでもいいし、農薬使うのヤバいからでもかまわない、など、しょせんエコなんてエゴがはじまりなんだからそれでいい、と。で、そんな小さなエゴが積もり積もって、結果としてイイ方向に行くんじゃねえか、という希望を見せてくれる。実際作中で紹介される人たちの活動の動機付けは、みんな身勝手なものだけど、それが紹介され、評価され、広まれば大きな力になるかもしれない。
 セヴァンの地球のなおし方は、たぶん能天気なほどの性善説に基づいた、楽天的な希望なんだろうな。地球は自分で何とかするから、おれたちも何とかしようぜ、で、何しよっか?みたいな気楽さ。
 少なくともこの国のtwitterやfacebookなどで、毎日のように首相がダメだとか何とか電力が悪いとか、放射性物質がほらこんなに等等、なんか正義感を持って、マイナス面ばかりを取り上げて、何かを「ウッタエ」てばかりの連中より遥かにマシだ。
 セヴァンの言う通り、たぶん地球は大丈夫だろう。だから我々が自分勝手な理由でイイから、何かすればいいし、したくなきゃ何もしなくてイイんだとおもう。それは義務でも何でもない。自分自身の問題だから。だからこれを観たからって、多くの人がスグ変わるわけでは無いだろう。でも、ホンの少しだけ、何かを気にするきっかけを植え付けてくれるのだと思う。それが芽が出るのが、今すぐなのか、何年先かは解らないけどね。
 とまあ、こうしてイヤでもいろんなことを考えさせられるのが、ドキュメンタリの良いところではあるかな、と思う。同時に知らなくても済んだことを知ってしまう悪いところでもあるけれど。

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