2011-07-08

cent quatre-vingt-un jours このエントリーを含むはてなブックマーク 

ちょうど半年会っていないあなたのことを考えている。とりたてて仲がいいわけでもないのに、あなたと出会ってから、こんなに長く会わずにいるのははじめてだ。あなたは会わずにいることに、ほっとしているのだろうか? 私はほっとしているわけでもなく、淋しい思いをしているわけでもなく、ときどき、〈あなたがいない〉ことを思い出してちょっと驚くというやりかたで、〈あなたがいた〉ことを思う、ということを繰り返している。この半年の間。

3ヶ月目に、私はあなたの写真をいやというほど見続けるはめになった。〈いやというほど〉というところで、あなたはきっと笑うだろう。たくさんのあなたの写真を繰り返し繰り返し繰り返し、見た。写真の中で、あなたは笑っていたり、真剣な面持ちで仕事をしていたりする。どれもよく知っているあなたで、どれもよく知らないあなただ。なぜここにいないんだと毒づきながら、あなたの写真を構成する作業を続けながら、あなたがここにいたらこんなことはしなくてすむのにと思いながら、あなたがここにいないことに驚きながら、これは私の仕事ではないと思いながら、これはまさしく私の仕事だと思いながら。もう2度と見なくていいと思うぐらい、あなたの写真を見た。だからもう見ない。見なくていい。写真のあなたは黙ったままでつまらない。あなたの声が聞こえない。半年の間、あなたの声を聞いていない。

聴いていない。あなたの音楽を聴いていない。録音されたものは、何度か聴いた。〈いやというほど〉繰り返し見た写真に、音楽をシンクロさせるのもその作業の一部だったので、そのときは〈いやというほど〉聴いた。いやというほど聴いたが、いやにはならなかった。けれどあなたの音楽を聴いていない。半年の間。いまここで鳴る音を聴いていない。まるで、腕や、指や、あるいは背中の羽根か何か、それがからだの一部であるかのように、こともなげに、どこにも無理のかからぬ自然さで、楽器をかまえ、こともなげに、どこにも無理のかからぬ自然さで、音を奏でる。美しい音を奏でる。それを聴く。そんなことがごく当たり前だったことに驚いたりする。私の鼓膜を震わすその振動を発する主体の不在に驚いたりする。

あなたにとても会いたいといっている人が、あなたのために書いた曲を、あなたが弾いてくれないので、別の人が弾いてくれた。のを、聴いた。重なる音が微妙にずれてひきつれていく出だしのところから、えもいわれぬ美しさで哀しさで、会いたいような会いたくないような私の気持ちのひきつれた感覚と共鳴して、あなたが弾くのを聴きたかったと思い、私ははじめて、小さな声で、会いたいよ、と言ってみた。それはあなたには聴こえなかったし、聴こえてもあなたは会いに来ないだろう。でもそうつぶやいてみて、どこかにつかえていたものがするんとながれさった、気がした。

私たちは仲良しでも友達でもパートナーでもない、かもしれないし、敵でも仇でもないと思う。関係性を言い当てる言葉を思いつかないままでいる。でも、私はあなたに、あなたは私に、嘘をつかなかった。正直だったのではなく、嘘をつかなかった。そのことを思い出した。思い出してほっとした。私にとって〈あなたはうそのないひと〉と名付けるのは悪くない気がする。ゆいいつのきょうつうてん。と思って、笑った。

そしてこれからの季節、夏休み、かならずどちらかがむくれながら、どこかへでかけたことを思い出して、また笑ってしまう。あなたはこの夏どこにいるのだろう。私はどこへいくだろう。どこへいけばいいのだろう。

宛先がわからないので、ここに載せることにする。
半年目のあなたへ。

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