2011-07-14

過労死しそうだったんで仕事やめたら再就職できなくて自殺寸前でござる このエントリーを含むはてなブックマーク 

RT @yumingway "過労死しそうだったんで仕事やめたら再就職できなくて自殺寸前でござる" - 日本には過労死するほど仕事があり、自殺するほど仕事がない | ニュース2ちゃんねる (via kyohei28) http://tumblr.com/x0p3hpkf8z

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コメント(1)


  • 坪井野球 2011-07-14 13:53

    秀逸なコピーですね。

    55:名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/07/13(水) 18:55:39.14 ID:Ntm3WzFr0
    >>43
    残念ながら使えるようにするのも企業の仕事だったんだよ。
    それを企業がやめた(教育機関にその役目を移さないまま)。

    労使相互の信頼が致命的になくなったのか、
    或いは元々そんなものなかったのか。

    以下、やや長いですが。
    日本の雇用形態のルーツ:マクニール『世界史』より
    http://www.webdice.jp/diary/detail/4934/

     やがて本格的な民間企業が出現するようになってからも、政府の要望や政策はなおも巨大なウェイトをしめていた。利潤の追求は、けっしてそれ自体が目的とはならなかった。日本の会社が求めたのはつねに名誉と特権とであった。工場の支配人は、国は奉仕し、上司にしたがい、部下を訓練し保護することが自分たちの義務だと考えた。そのような姿勢は、何世紀にもわたって日本を支配してきた武士階級の倫理から直接に由来していた。勇気、忍耐、忠誠といったかつての武士の美徳は、いまや新しい製鉄所、繊維工場、造船所などの建設や経営の面で……、大きな役割を果たしていた。会社や工場の内部の人間関係もまた、古くからの武士と農民との関係にならう傾向があった。労働者は工場の支配人の命令に従い、それとひきかえに一生のあいだ生活の面倒をみてもらうのである。不況のときでも、従業員は解雇されなかった。べつの新しい仕事が見つけられるか、あるいはそれまでの仕事を何人かで分担することになるかだった。そのかわりに従業員には絶対の忠誠ときびしい服従とが期待されたし、現実にそのとおりになったのである。ヨーロッパの国々をしばしば悩ませたストライキなどの労働争議は、日本ではほとんどおこらなかった。

わたなべりんたろう

ゲストブロガー

わたなべりんたろう

“「ショーン・オブ・ザ・デッド」の監督・主演コンビの傑作「Hot Fuzz」の公開署名運動をしています。 <Twitter> http://twitter.com/RintaroWatanabe ”