2011-10-04

人を見る目を試される時——映画『マイ・バック・ページ』——他 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 九月半ば過ぎの台風の後、東京はいきなりガクンと涼しくなりました。僕自身は蒸し暑いのが苦手なので助かりましたが、何せ急だったので、風邪をひいたりとか体調を崩している人も多いみたい。

 九月はずっと論文執筆に追われていました。ようやく先週金曜に書き上げて提出出来たので、週末からはのんびり過ごしています。

 
 先週の木曜夕方、映画を観に久しぶりに近所の下高井戸シネマへ。愚図愚図していて家を出るのがちょっと遅くなってしまったので、映画館までかなりのスピードでウォーキング。その日は結構気温も高かったので、着いた時には全身汗だくになってしまいました。

 観たのは『マイ・バック・ページ』(監督:山下敦弘、脚本:向井康介、原作:川本三郎、出演:妻夫木聡、松山ケンイチ他、2011年)。

 http://mbp-movie.com/

 実は、その時点では未だ論文が書き上がっていなかったのですが、『通販生活』2011年春号に掲載されていた、落合恵子さん(ホステス)と川本三郎さん(ゲスト)の対談を読んで感銘を受けて以来、ずっと観たいと思っていた作品だったので。癌で亡くなったお連れ合いの思い出を記した、川本さんの『いまも、君を想う』(新潮社、2010年)も、心に沁みるとてもよいエッセイで、この対談と共に、「下町好きのおじさん」という、僕の貧相な川本三郎像を完全に塗り替えてくれました。
 
 粗筋その他はいつも通り、上記の公式ホームページなりWikipediaなりを見て頂くとして、個人的に考えさせられたことを少し。

 一言で言えばこの作品は、左翼であることがカッコいいこととして、もてはやされていた1970年代初頭、周囲の忠告を聞かずに、自称活動家の大学生に肩入れし続けた結果、新聞社を懲戒免職になってしまった、「センチメンタルな」若者(若き川本三郎)の挫折の物語。

 主人公が、時折不信感を抱きつつも、自身が成り得なかった、理想の若者像を投影していた相手は、実は単に功名心に駆られただけの、肥大化した自我の持ち主でしかなかった。それどころかこの男は、最終的に追い詰められて警察に自首した後は、何もかもかなぐり捨てて自己保身に走り、警察に自分達のアジトを明かして仲間を売り渡し、あまつさえ共犯関係をでっち上げさえするなど、その下劣ぶりは留まるところを知らない。

 結局、主人公には、人を見る目がなかったということだ。新聞社をクビになって、映画評論を生業とするフリーライターになった川本は、たまたま入った場末の居酒屋で、記者時代の潜入取材で知り合った、当時露天で兎を売っていた人のいい男と再会する。自分との再会を心底から喜ぶ様子に、東大出のエリート新聞記者として、左派を自称し、「弱い立場」の人々へのシンパシーを表明しつつも、 内心彼等を見下していた、自分の愚かさを改めて思い知らされて嗚咽する最後のシーンには、思わずグッと来るものがあった。

 人を見る目の無さしかり、判断力の欠落しかり、中途半端なエリート意識と心情左翼の薄っぺらさしかりと、いろいろな意味で身につまされる作品だった。とは言え、完全な人間不信は地獄だし、シニカルな「現実主義」ほど唾棄すべきものはないとは思うけれども。

 一点だけ、当時の新左翼があまりに愚かな存在として描かれているのは、ちょっと気になった。チェ・ゲバラ映画みたいに、過度に理想化するのもどうかとは思うけれど。うがった見方をすれば、選択肢は現状の新自由主義的階層社会しかないということが暗示されているようで、気が滅入る。
 

 今月半ばからまた忙しくなるので、来週までは○○○の英文記事要約など、決まった仕事を片付けながら、杉浦日向子さんとか、研究に直接関係のない本を読んだりしながら、ゆったりと過ごそうと思っています。先週気分転換に読んだ彼女の『入浴の女王』(講談社、1995年)は、思いの他よかったし。月末一仕事終わったら、天気のいい日に一日ブラッと出歩いてこようかな…。高校生〜浪人生の頃によく行った、野川公園の芝生に寝転んで昼寝とかもいいな…。お金のこととか、仕事のこととか、人間関係とか、いろんな意味でこの頃ちょっと疲れているので、バーンアウトする前に、自分でうまく自分を労ってやらないと…。

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知世(Chise)

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