2008-04-18

この「痴話げんか」は面白い! このエントリーを含むはてなブックマーク 

 この作品の内容を一言で表現すると、「痴話げんか」だ。しかし、少々下品ともとれる会話の内容は、単なる「痴話げんか」のレベルを超えて、アメリカとフランスの文化の違いや、男女の付き合いに自分をすべてさらけだす意味があるのかという問いかけが含まれていて、一瞬も聞き逃せない、見逃せない面白さだ。

 実は、この作品の監督がジュリー・デルピーと聞いて、最初は「ビフォア・サンセット」の続編のような内容なのかと想像していた。しかしその想像は、まったく覆されて、むしろジュリー・デルピーが「ビフォア・サンセット」とは全然違う、あけっぴろげな元パリ・ジェンヌという女性を自ら演じていることへのギャップを楽しむ、という意外な観点になっていた。また、そのギャップは、この作品の内容のテーマであり、肝となっている。

 この作品を見ているうちに、私はロマン・ポランスキー監督の「フランティック」という映画を思い出していた。主演のハリソン・フォードたちがパリで誘拐事件に巻き込まれるサスペンスなのだが、英語が通じないパリの街中でフランス人との文化の違いに戸惑う、という内容が印象的な作品だった。この「パリ、恋人たちの二日間」に登場するアメリカ人の彼氏の戸惑いは、その「フランティック」のハリソン・フォードにも劣らないものなのだが、その戸惑いの様子が何とも面白い。アメリカ人にありがちな「アメリカが世界の中心」との思惑が見事に外れてしまうばかりでなく、ジュリー・デルピー演じる彼女の友人たちにアメリカ人であることを半ばバカにされてしまうことへの苛立つさまは、見ている側は笑いがこみ上げてくるくらいだ。ただ、その大きなギャップへの戸惑いから別れ話へと展開していくにつれて、ちょっと笑っていられなくなってくる。

 機関銃のように喋りまくるカップルなのだが、その会話には出てこない言葉がこのおしゃべりカップルを繋いでいる、あるいは繋ぎをはずすかもしれない危険がはらんでいる。その言葉とは「結婚」だ。ある程度の長い付き合いの男女にとって、「結婚」は双六のゴールのようなもので、いったんゴールに入ってもすぐ後戻りしてしまう、なかなかたどりつかないものであることを、ジュリー・デルピーはこの作品で男女にあるギャップを描くことで見せたかったのだろう。だからこそ、このカップルの「痴話げんか」は観客たちにとって、非常に興味深いものになり、作品として成功しているのだ。

 ジュリー・デルピーのカメラ演出は、ハンディで人物を中心にしながら、背景のパリの街の魅力もしっかりと伝えている。その昔、オードリ・ヘップバーンが「パリで一緒に」という映画で、パリを楽しむカップルを演じてみせたが、この「パリ、恋人たちの二日間」が現代版の「パリで一緒に」と紹介をされても何の不思議も感じない。この作品は、今のパリと、今の恋人たちを見たい人にはぜひおすすめしたい、ちょっとほろ苦いロマンチック・コメディだ。

 

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山中英寛

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