2012-01-02

【『ヒミズ』クロスレビュー】走りまわり、叫び散らし、詩を朗読する このエントリーを含むはてなブックマーク 

 「牛乳の中にいる蠅 その白と黒はよくわかる どんな人かは 着ているものでわかる 天気が良いか悪いかもわかる 何だってわかる 自分のこと以外なら」劇中で二階堂ふみ演じる茶沢景子は何度もこのフランソワ・ヴィヨン「軽口のバラード」を諳誦する。こういうストレートな詩の引用は園監督の作品で今まで随所に見られたものだった。
 同様に劇中で繰り返されるものとして、印象的なのがスクリーンを所狭しと走りまわる登場人物たちの姿である。土手を走りまわったりするのは自主映画でよく見られる行為だ。なぜ走りまわるかは明快で、自主映画には予算がないから。しかしこれは自主映画ではなくそれなりにお金のかかった映画であるから、そういった行為がチープに見えてしまうのではという嫌な予感がした。杞憂であった。園監督が択んだのは青臭さを全面に繰り返し押し付け、もはや「青臭さって何?」という領域まで押し進めることだった。
 例えば冒頭、住田が夢のなかで歩きまわる瓦礫だらけになった街。大震災を経た私たちにとってあからさまにそのモチーフを用いるのはとても勇気がいることだし、どこかキナ臭いことでもある。ただ次第に瓦礫は瓦礫として機能しなくなることに我々は気付くはずだ。なぜ走るのか、この少年と少女は。叫び散らすのか、涙を流しながら、泥に塗れて。詩は言葉として口から発すると意味を追うものからすり抜けどこか遠くに逃げ去ってしまう。言葉は言葉として、物質は物質としての意味をなさなくなる。ではどうして走っていくのだろう。例えばそこに山があるから、ではないけれど。

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