2008-04-19

優れたド○ュメンタリー映画を観る会公開前夜祭 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 アップリンクでの試写会は11時半前に終わり、風はほぼ止んでいたものの行きよりも激しく降る雨に濡れながらウォーキングで帰宅。途中ガイア等で食料品やワインの買い出し。帰宅後掃除と入浴、食事をして少し本を読んでから雨の中またウォーキングで下高井戸シネマに。

 下高井戸シネマで行われていたのは、昨年も行った、「優れたドキュメンタリー映画を観る会」公開前夜祭。電話予約した際に「遅れると補助席の可能性も」と言われたので、早めに行ったら、悪天候のためか三分の二以上空席でホッとする。

 http://www.ne.jp/asahi/kmr/ski/shimotakaido_cinema/documentaly.html

 恒例の余興の三十分弱のフルート演奏の後、高度成長期を境に失われ始め、現在消滅しようとしている、日本の農山村でのその土地その土地のリズムに合せて営まれる農作・狩猟・漁獲・採集生活(「基層文化」)を映像に残そうと奔走し続ける、姫田忠義の生涯を追ったドキュメンタリー映画『遥かなる記録者への道ーー姫田忠義と映像民族学ーー』(企画・制作:民族文化映像研究所・紀伊國屋書店・ポルケ。二〇〇七年。日本)の上映。

 最初は正直、業界内の「大家」へのお追従と大家自身の自画自賛が繰り返される退屈な作品かあ〜と、全く期待せず斜に構えて観ていたのだが、上映終了後の姫田氏の講演と合せていい意味で予想を裏切ってくれた。

 とりわけ印象的だったのは、七十〜八十年代には縮小しながらも存続していた、日本の農山村共同体に、現在ではごく少数の高齢者しか残っていないというデータと、姫田が熱心に記録した新潟県の山間の山村がダム用地として沈むことを憂いて、山の上から山村の全貌を見ながら「これを切り取ってそのままどこかに飛んで行ってしまいたい」と言う姫田の切なそうな顔を映したシーン。

 上映終了後休憩を挟んで姫田忠義の講演。姫田は現在八十歳で、老人特有のくどさと話が長くなると途中で筋がボヤけてしまうという弱点は眼についたものの、非常に博学で視野も広く話も面白く、感銘を受けた。

 特に感銘を受けた下りのうち、公表して共有可能だと思われるものとしては、

 他文化・他民族との共生共存を可能にするような真摯な接し方をするためには、自らの「素地」を、すなわち欧米化・資本主義・グローバル化によって画一化される前の、その土地に根ざした伝統的な世界観や生活習慣を確認しておく必要がある。

 「森」と「林」の違いは、単に「木」が一つ多い/少ないの違いでは、すなわち量的な相違ではない。と言うのも元来前者はそれを構成する樹木を切ってはならないものを指すのに対して、後者は適切な周期で人間の手を入れて伐採し再生させていくものを意味するからであり、その意味で両者間には質的な違いがあるからである。

 ダアローグの基本はひたすらに「きく」こと。これは「聞く」だけではなく、相手の魂が自分の魂に「効く」ようにすることも意味する。それはまたドキュメンタリー制作の基本でもある。そしてこのことは相手に対する責任を突き付けるものであることも自覚しなければならない。

 映画上映中最後のあたりでは多少眠気に負けそうになっていた頭もシャッキリした程興味深く聞いた(効いた?笑)。

 予想外の知的高揚にワクワクしながら映画館を出て、雨脚は弱まったとは言え降り続く雨の中またウォーキングで帰宅。シャワーを浴びてパスタを食べて朝までゆっくりワイン。で、木曜の夜九時から一睡もしていなかったこともあって土曜は夜まで爆睡。とは言え今日はいつもとは違い気持ちのよい爆睡でした(笑)。

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知世(Chise)

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