2012-02-03

『生きてるものはいないのか』クロスレビュー:ごくごく身近な死 このエントリーを含むはてなブックマーク 

映画のリハビリとして、『生きてるものはいないのか』の試写会に参加してきました。
どのような映画なのかは参照元にあずけるとして、つらつらと感想を書いてみたいと思います。

「すべての人の死に意味などないが、この映画の死にはすべて意味があった。」

この物語はすこしだけ、サスペンスを予感させる始まりをする。
つらつらと流れるようなセリフ回しは、映画と言うより日常会話を彷彿とさせる。
それでもこの映画がただのホームドラマではなく「映画」として成立しているのは、
ひとえに音響への細かいこだわりであり、
それは時に死者としての世界を生臭く表現したり、
荒々しい無様なポップスとして現実の私達を皮肉ったりする。

そんな映画だから、人によればこの映画を「ナンセンス映画」と評するかもしれない。
サスペンスは回収されず、犯人はおろか探偵も出てこないこの映画には、主人公すらない。
しかし私達はそんな物語をよく知っている。
言わずもがな、311後の日本である。

映画の中に出てくる大量の「理不尽な死」。
私にだって次の瞬間に当たり前に訪れる可能性のある、
時間と共に貧富の差なく平等な「死」が、
映画の中ではエッジをきかせて描かれる。
一人ひとりの死を無理やり社会に当てはめて評するのはたやすいが、
それは無粋なのであえてしない。
あえて言うなら、私が一番好きな死に方は、染谷将太演じる「ケイスケ」だった。
映画の黒みは、何もかもを持っている一番雄弁な映像だと改めて思った。

いい映画でした。
一人で見たので、次は誰かと見たいです。
公開されたらまた見るかもしれません。
生きていたら。

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soari_boo

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soari_boo

“映画が苦手な映画好きです。”


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