2008-04-20

人生経験が育てる「自然体」のかたち このエントリーを含むはてなブックマーク 

この作品の主人公であるマリオンとジャックというカップルは、三十代の、いわば恋愛経験をいくつか経たうえで付き合っている二人だ。マリオンの故郷、パリで2日間の滞在中で、
ジャックにとっての「アウェイ感」
マリオンにとっての「ホーム感」
が作品のシンプルな柱となっているが、それを起点とした、どのカップルにも訪れるであろう「火種」的なシチュエーションにおける対応は、監督/脚本も手がけるジュリー・デルピー自身のいわゆる「恋愛バランス力」の良さを感じずにはいられない。

「相手に自分の内面(ルーツを含む)を、理解し受け入れてもらって楽になりたい」という自己愛と、「相手を傷つけたくない」という相手への愛のバランスは、大人の恋愛における重要な課題であろう。
「自然体」と言うだけなら簡単に聞こえるが、自分の感情を抑えず表現する自由さと、相手への思いやりによる自己感情の制御とのバランスを自然に両立できるとき、初めて「自然体」で恋愛している、と言えるのではないだろうか。

この劇中の二人は、普段訪れることの少ない「火種」的シチュエーションの中で相手への猜疑心や知らざれるネガティヴな面に戸惑い、ぶつかりあいながらも、その中で相手を思いやる心を忘れず、常に相手を理解しようと努力する。そのやりとりはしごく自然で、(これは主演のジュリーとアダムが実際親密であったことも起因するかもしれないが)観ている者は二人のプライベートを透明人間のような形で観察できる。
博識だが基本的にネガティヴな思考回路のジャック、観察好きで人間好きだが時には「痛い子」になってしまうほど感情の起伏をコントロールできないマリオン、それぞれのキャラクターの、完璧でないが魅力的な人間味あふれる描写もジュリー・デルピーの人生経験と観察眼によるものだろうと感服する。二人が歩く街並もパリが舞台とはいえ、名所などを見せる引きの画は殆どなく接近したラフなショットが中心で、ちょっとした店先や登場人物の室内インテリアなどのディテールがむしろパリでのリアルな生活感を親近感を持って覗くことが出来る。やけに軽妙でこざっぱりとしているのに何故か泣けてくるラストシーンも含め、謎かけた表現や無駄のない愛すべき友人のような作品である。

また、本作は台詞を含め随所にユーモアが散りばめられているが、個人的にはジャック役のアダム・ゴールドバーグの「眼力」演技(ニコラス・ケイジや板尾創路ばりの眼力である)にも密かに期待を抱いていた。本作でも遺憾無くそれを楽しめるシーンがありプチ・ボーナス感。

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