2008-04-23

映画『サラ○ボの花』と『イヨマ○テ』他 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 今年の東京はなかなか暖かくならない。もう四月も後半だと言うのに、夜は上着無しでは、それもそれなりに厚手の上着無しでは(春らしい薄地のものではなく)、風邪をひいてしまいそうなくらい。

 と言う訳で、夕方から近所の下高井戸シネマに映画を観に行く際にも、竹布の長袖Tシャツを着てオーガニックコットンのカットソーを着て、その上に中綿の入ったベストを羽織って、OCのマフラーを巻いて家を出る。息は少し暑いんだけど、帰りはこれでちょうど。

 今日は会員特典のタダ券で夕方六時半から午後十一時前後まで三十分程休憩を挟んで二作連続鑑賞。

 一作目は『サラエボの花』(原題“Grbavica”。監督・脚本:ヤスミラ・ジュバニッチ。出演:ミリャナ・カラノヴィッチ他。ボスニア=ヘルツェゴヴィナ、オーストリア、ドイツ、クロアチア。2006年)。

 http://www.saraebono-hana.com/

 内戦中に民族浄化(Ethnic Cleansing)の一環としてセルビア人民兵に集団レイプされた結果出来たローティーンの娘を、癒されぬ心の傷と貧困に苦しみながらも一人で育てるムスリムの中年女性の物語。

 娘にはずっと彼女の父は内戦中に兵士として闘っている最中にセルビア人民兵に殺された「シャヒード」(確か殉教者という意味のアラビア語。現在のボスニア=ヘルツェゴヴィナでは父がシャヒードであることは、或る種の社会的名誉であるだけでなく、遺族に各種の支払い免除や年金給付ももたらしてくれるよう)だと言い聞かせて来た。 

 自分の出生の秘密など知る由もない娘は何気なく、自分が父のどこに似ているかと母に尋ねる。しかしそれは現在でも事件の後遺症に苦しむ母にとってはあまりにも酷な質問だった。とは言え彼女の出生の影にそんな出来事があったなどということを娘に伝える訳にもいかず、いつも誤摩化すばかり。

 しかしとうとう娘は修学旅行の費用200ユーロ(23日2時現在の為替で約32,800円。ボスニア=ヘルツェゴヴィナのGDPは国民一人当たり約1732ドル=176,664円だから、同35,672ドル=3638,544円の日本と単純換算で比較すると67万円くらい…。修学旅行で67万というのはあり得ない話だとしても、それなりに高額なんでしょう)の免除を受けるために父がシャヒードであるという証明書を学校に提示する必要に迫られたことをきっかけに(子どもとは言え彼女も、母が何らかの病で働けず、家が貧しいことは察している)、母に執拗にその証明書を見せてくれるよう求め始める。そして何度頼んでも父がシャヒードだという証明書を見せてくれない母に対して不信感をつのらせていく。

 他方で母は娘の修学旅行費を捻出するために社会保障の前借りや借金を試みるが巧くいかずに、やむを得ず深夜マフィアまがいの人物が経営する怪しげなナイトクラブのウエイトレスとして働く。そこで用心棒として働く男性と知り合う。当初は強面の容貌と外見に警戒していた彼女も、彼が戦争前には大学で経済学を学んでいたことを知ってから、徐々に心を開くようになる。現在は事件の後遺症もありフルで働くことさえ出来ない彼女も元医学生で、その意味で社会的にはエリートだったのだ。すなわち、戦争によって人生設計を根本から狂わせられ不本意ながらも社会の底辺層で生きることを余儀なくされてしまっているという点で、二人は共通していたのだ。

 深夜の母の不在、父の素性に対する不審、そしてとりわけ母にボーイフレンドが出来たことに苛立った娘はとうとう母に面と向かって自分はレイプされて出来たのか問いただす。取り乱しながら母はそうだと答える。

 母が(恐らく)民族浄化の被害にあった女性に対するケア・センターで、同じ体験を共有する女性達の前で望まざる妊娠で出来た娘を産み育てることになったきっかけを涙を流しながら語っている間に、娘は母を苦しませてしまった反省の意味を込めてであろう、バリカンで頭を丸める。

 ラストは笑顔で修学旅行へと旅立つ娘と、これまた笑顔で娘を見送る母のシーン。

 表面上は平和で店頭にはモノが溢れ、殆ど戦争前に戻ったかのように見えるが、一皮剥けば皆貧しく、マフィアが横行し、誰もが家族の中に犠牲者や行方不明者がいて心に深い傷を負っている。陰惨で希望のない現実の中で唯一の光は、人々が親に、子どもに、友人に、恋人に見せる優しさと心遣いと笑顔だった。

 一度映画館を出てコンビニでNTT料金を支払ってから戻る。驚いたことにレイトショーにも関わらず長蛇の列で最終的に館内は満員。

 二作目は優れたドキュメンタリーを観る会のプログラムの一つである『イヨマンテーー熊おくりーー』(監督:姫田忠義。一九七七年)。前年の春に捕獲した熊を一年育て、翌年の春の初めに神々の国へと送り返すと称して殺す(ここらへんの叙述の仕方や用語の選択には工業畜産の残酷さを忌避してヴェジタリアンになった僕の価値判断が強く反映しています)、イヨマンテと呼ばれるアイヌの祭事を、後に参議院議員になった萱野茂の指導の下、その準備からアイヌ語での祭祀に至るまで伝統的なやり方に従って執り行う様子を撮った記録映画。

 上映前の姫田忠義さんによる解説によれば、当時は旧土人保護法に加えて、イヨマンテを動物虐待だと見做して廃止するよう求める北海道知事通達(1955年)が有効であった(2007年撤回)。このことはまた、物事が歴史によって変わり、或るものが同じ形のままで永久に続くことはあり得ないということも示唆している。イヨマンテもまた、時代に応じて改変を被って来たし今後も変わっていくだろう。

 熊の殺害シーンは全体のほんの短時間だったが、首に縄をつけられて身体の自由を封じられ、大勢の人間に囲まれて怯える熊の姿にはやはり胸が締め付けられた。それにその熊めがけて、「生きた動物に矢を射る経験なんて滅多に出来ないのだから」と称して、半ば笑いながら子どもにまで矢を撃たせる等の殺し方には正直、嬲り殺しに近く嫌悪感を覚えた。上映終了後主催者の挨拶の中で萱野さんかどなたかが、一年に何万頭とゲーム感覚で猟銃で殺される熊達と比べて、こんなに盛大な儀式と共に屠られる熊は何て幸せなんだろうかと述べたというエピソードが紹介されていたが、熊の立場に立ってみたら、冗談にもそんなことは言えないはず。「神々の国へ返す」と言ったって、それはアイヌの世界観・宗教観の中での話であって、熊の主観にとっては関係のない話なのだし。上映前の姫田さんの話を引き合いに出して言えば、熊を殺さない形でのイヨマンテへと、歴史とともにアイヌの祭礼の形も変わるべきではないのかという思いを拭い去ることが出来なかった。

 以上のような根本的な疑念はあるものの、映像を通じてではあるが触れることの出来た、人間以外の動物ばかりではなく囲炉裏の火まで神とあがめ奉るアイヌの世界観・宗教観や、どぶろく作りや矢尻作り等アイヌの伝統的な生活スタイルは、確かに興味深いものだった

 ボスニア=ヘルツェゴヴィナや旧ユーゴ内戦についての資料をネットで観ていたら、もう朝の四時過ぎ。未だ夕食(?)も食べてない…。

キーワード:


コメント(0)


知世(Chise)

ゲストブロガー

知世(Chise)

“ ”