2008-04-24

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 昨日「今年はなかなか暖かくならない」と書き、今日もそれなりに厚着をしていたら、汗だく(苦笑)。

 今週も先週に引き続き昼夜逆転中。毎晩レイトショーを観て朝一人で呑んでから寝ているのだから当たり前か。

 食事量そのものは減っているのだが、多分酒のせいだろう、今日映画館のトイレの鏡で顔を見たら、少しふっくらとした感じも。

 昨晩に引き続き今晩(4月23日)も下高井戸シネマの「優れたドキュメンタリー映画を観る会」へ。観たのは『M』(監督:ニコラス・プリビデラ。アルゼンチン。2007年。昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭に出品された作品で一般劇場公開は今回が最初とのこと。従って公式ホームページ等はない)。

 上映前に行われた山形国際ドキュメンタリー映画祭スペイン語通訳の星野弥生さんの解説によると、題名の“M”には三つの言葉の頭文字であるという。すなわち、“Madre”(「母」の意味のスペイン語)、“Malta”(「強制失踪」した監督の母の名)、そして“Montonero”(その母が所属していた左翼ペロン主義のゲリラグループの名称。76年3月24日のクーデター後の軍事独裁時代の白色テロで壊滅)という三つの言葉の。

 監督は1970年生。76年のクーデターから約一週間後に深夜自宅を訪れた軍によって連行された母はその後「行方不明」に(これは所謂「強制失踪」で超法規的に殺されたと思われる)。

 http://www.peaceboat.org/cruise/report/36th/land/buenosai/land_l.html

 星野さんと彼女がこの問題を知るきっかけになったというピースボートのサイト(↑)によれば、クーデター後同じように超法規的に拉致殺害された市民の数は約20万人にものぼるという。そして現在でも約3万人がどこで殺されたのかも遺体がどこにあるのかも分からない状態であるという(その中には14人の日系人も含まれている)。

 「五月広場(アルゼンチンの大統領官邸のこと)の母たち」という「強制失踪」者の母親グループがあり、現在でも毎週木曜の15時に大統領官邸前で行方不明者の写真を身につけて黙って行進するという抗議活動を続けているそう。
 
 で、作品について。プリビデラ監督は軍政下に行われた白色テロの犠牲者の一人である実母の「行方」を、そしてなぜやさしい母親であり弟を出産したばかりの彼女がそのような目に遭わなければならなかったのかを知るために、まずは公的機関を、続いて当時の母の職場の同僚や「政治活動」の実態を知る仲間達を訪ねて歩いてインタヴューして回る。また或る時には監督自身もカメラに向かって沈痛な面持ちで自問自答する。途中幾度も母(とても知的で美しい!)の、そして幼い監督自身の写真やビデオ映像が差し挟まれる。

 監督の自問自答の中で印象的だったのは、やや一般的ではあるが「左翼であるとは他人を批判すると同時に自己批判を続けることだ」というテーゼと、やりきれぬ思いをカメラにぶつけるように呟いた、「或る人が母のことをこう言ったんだ。彼女は“運が悪かったのだ”とね。…“運が悪かった”とは!」という言葉。

 母の同僚や仲間へのインタヴューの結果得られたのは、彼女が確かに上記の“Montonero”の一員であったということ(しかしそれは当時の状況ではそれ程特別なことではなかったという)、彼女が行動を共にしていた同僚で同じ組織の上級者は一時メキシコに亡命した後当局に追われて自殺したこと、インタヴューに応じた人々が概ねこの上級者を母の失踪に関して一定の責任があると非難していること、そして母が信奉していた、それゆえに失踪する原因となったペロン主義自体の信憑性が、同時期に人々を鼓舞した急進的政治思想の多くがそうであるように、現在根底から揺らいでいるということである。

 久しぶりに聞いたアーレントの『エルサレムのアイヒマン』の「悪の凡庸さ」の話、すなわち個人としての道徳的判断力を故意に停止させて組織の一員として職務に励み、合法的だが道徳的には許されない行為に手を染めてしまうという話も印象的だった。石原都知事の国家主義的教育思想を「忠実に」現実化している東京都教育委員会なんかも、これに当るだろう。
 
 とは言え個人的に一番印象的だったというか、作品を観ながら改めて痛感したのは、誰もがソコソコに食えるような社会にすることが、こういう理不尽な出来事を、それが過去に起こったものならば真実を究明して関与者を公正に裁き、現在進行形のものならば正すためには必要なのではないかということだ。ただし前世紀までのように、「上から」力で強制するのではなく、また、お金をバラまいたり外国の人々や自然や未来世代を犠牲にしてでもなく、だ。

 作品末尾で年老いた当時の母の政治的「同志」達が政治的意見を闘わせるシーンでも、「労働のフレキシブル化」(「労働市場の規制緩和」同様その実態は、労働者を保護する法律を順次廃止して、正規雇用を非正規雇用に置き換え、最終的には市民をもの言う権利者から従順な消費者にすること)という言葉が、現状診断の中で飛び出していたが、そういう、普通の人がソコソコの生活が出来なくするような動きこそが、結果的に「強制失踪」のような出来事に繋がっていくのではないか。

 ところで星野さんも言及していたが、アルゼンチンに限らず1970年代の南米は軍事独裁と白色テロが吹き荒れる暗い時代だった。南米で「九.一一」と言えば、現在でも73年9月11日のチリで起こったピノチェトによるアジェンデ政権に対するクーデターを指すそうだが、クーデター後のチリでもアルゼンチン同様信じられないような理不尽な暴力が吹き荒れ恐怖が支配したという。

 以前読んだ在米チリ人作家ドルフマンの本(アリエル・ドルフマン、宮下嶺夫訳『ピノチェト将軍の信じがたく終わりなき裁判−−もうひとつの九.一一を凝視する−−』、現代企画室、2006年)を思い出す。

 帰り、考え事をしながらウォーキングをしていたら、自動車やバイクの侵入防止用の金属の棒に股を強打。痛い…。

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知世(Chise)

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