2012-05-29

『ギリギリの女たち』クロスレビュー:おにぎりとアヴァンギャルド このエントリーを含むはてなブックマーク 

映画を見終わってまず「あのおにぎりは絶対うまい!」と思った。
そんな確かなことから少しづつ思い出してみる。

被災地が舞台で、ラストクレジット以外音楽は無く、カットも長いのでドキュメンタリータッチか?と思われるかも知れないけど、画面の隅々までこの映画はドキュメンタリーではないことを過剰なほど宣言してる。
映画が始まってすぐ、三姉妹が画面のそれぞれの立ち位置に揃うまでの35分ノーカットは見ていて息苦しくなり、何故そこまで女優や撮影スタッフに負荷をかけるのかという疑問さえ浮かびながら緊張が続き、次第にその緊張が再会する三姉妹の心理的緊張に置き換わって行く。

被災地の空気感をうまい構図や巧みな編集で切り取って見せるなんて下品な演出はしないで、しかもドキュメンタリーにもしない。
例えば異様な長回しも、唐突な時間省略も、360度のパン(アンゲロプロス追悼?)も、荒っぽいクローズアップも、近寄りそうで寄らない防波堤のロングショットも、何か得体の知れないものと戦っている。
その得体の知れないものと戦う姿勢をアヴァンギャルドと呼ぶことにする。
アヴァンギャルドは乱暴なものではなく、安易な答えを注意深く拒むギリギリの誠実さによって生まれるんだろう。

「また男作る!それで子ども産む!」

このセリフは子宮にズンときたような気がしたが、私は男で子宮がないから精巣だったかもしれない。
三人姉妹それぞれが精巣との出会いや別れで被災している。
被災した子宮の物語。そしてすべての再生も子宮から始まる。
その再生に必要な物はカネではないことも子宮は知っている。

あのおにぎりは絶対うまい。

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minoru

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