2012-08-14

『ソハの地下水道』クロスレビュー:最終場面の浮遊感 このエントリーを含むはてなブックマーク 

最終場面へ到達した瞬間、時間はどれくらい経っていたのだろうと思った。
一年何カ月と数字では表せるが、浦島太郎ではないけれど、浮遊感のような、異世界へたどりついてしまったかのような感覚があった。そのとき、以前あったかもしれない世界と、現在たどりついてしまった世界をつなぐのは、地下水道住人にとって、やはり、ソハなのだった。

地下水道内の多々の交錯。
ナチスにつかまってもいいから逃げる苦しみを味わいたくないと泣き叫ぶ女。神への祈りなど無意味だと苛立つ男。自分の子供の始末に肩を強張らせる女。ひとびとが衰弱し混乱し衝突する地下水道の隅で、子供らしくあり続ける小さな姉弟。そんな子供に元気に体操をさせる男。
交錯は、協力も、衝突も、自らの破滅も、救済も、シビアに形にしていく。

すこし漫然とした感じもあるかもしれない。十数か月、狭い隅に夜も昼もなく過ごしたひとびとの話なのだから、そういうこともあるだろう。その救いのない世界の絶望と退屈のあとの、最終場面をみてほしい。

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こすみすみこ

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