1981年、水俣病患者の川本輝夫さんらが所属する「水俣病患者連盟」は、水俣病のことを「チッソ水俣病」と呼ぶことを宣言した。
高校の教科書から「チッソ」という企業名が削除されつつあることへの危機感からだった。
水俣病の原因企業がチッソであることを社会に訴え続けていくため、
患者団体の名称も「チッソ水俣病患者連盟」に変更した。
あれから約30年がたち、水俣病のことを「チッソ水俣病」と呼ぶ人はそれほどいないと感じている。
そんなか、このチラシを目にした。
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チッソ水俣病関西訴訟最高裁判決8周年のつどい
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今月14日、大阪で行われるイベントのチラシだ。
近い将来、分社化によって「チッソ」という会社が自主的に倒産し、水俣病の原因会社がなくなってしまうことを予測して、
水俣病事件の責任会社の名前を歴史上に残しておくために
集会の名前に「チッソ水俣病」とつけたという。
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少し前、新聞やテレビでは“水俣病の救済”を報じていた。
細野環境大臣(当時)や、横光環境副大臣(当時)が、7月末で受付が締め切られる「救済策」に申請するよう呼びかけていた。
この「救済策」の根拠になっているが、水俣病に関する特別措置法だ。
当時の与党・自民と公明、与党だった民主党の賛成で成立した特措法の内容はおぞましい。
"水俣病の救済”を法律の名前に取り込んでいるが、
法律には、チッソが悲願していた「分社化」が盛り込まれた。
実際、2011年4月にチッソは分社化した。
遅々として進まない被害者への補償とは大違いに、分社化は手際よく進んだ。
(当時の小沢鋭仁環境大臣が認可)
分社化で誕生した新会社「JNC」には、チッソの利益部門を譲渡。
チッソ本体には、水俣病の原因企業としての責任だけが残った。
特措法は、補償責任を抱えるチッソの(計画的)倒産も認めている。
遅かれ早かれ、チッソがこの世に存在しなくなる日は来るだろう。
十分な補償がないまま、何十年と患者認定、補償を訴えてきた人を尻目にしながら
利益部門を引き継いだJNCは、水俣病事件とは関係のない会社として存在していく。
水俣病事件の責任は継承せずに。
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チッソ水俣病関西訴訟最高裁判決8周年のつどい
http://yummyseaweed.seesaa.net/article/296050778.html