2012-11-29

『サイド・バイ・サイド:フィルムからデジタルシネマへ』クロスレビュー:全ての答えは個々の内側にある  このエントリーを含むはてなブックマーク 

 冒頭から、新旧の映画監督、そして普段は裏方で製作を支えている撮影監督、編集者、技術者、機材メーカーなど多岐に渡る映画製作に関わる人々が、それぞれの立場からフィルム、デジタルに関する見解を語っている。そこから感じとれるものは、技術的なものへのこだわり…というよりも、映画に携わる熱い思い、さらには発言の端々に各々の生き方や人生感が透けて見えてくる。そんな一人一人の個別インタビューによる「語り」を、フラットな視点で重ねていく作りが作品に厚みを作り出している。

 こうしたスペシャリスト達の生の言葉を聞くだけでも興味深いが、ところどころに過去の作品も散りばめられ、ちょっとしたご褒美映像が差し挟まれるのも楽しみの一つ。キアヌ・リーブスのナビで、関係者しか入れないバックヤードに足を踏み入れたような感覚になってくる。

 かつては記録手段だったフィルムは、「映画」という表現手段となり、様々な技術の集大成として多くの人の手を経ることで、その専門的な作業の一つ一つが通過儀礼的な要素となっていたのだろう。この紡がれる“セレモニー”が、作品や作り手達を研磨してきた経緯も「映画」という文化の一部であったと言えるのかもしれない。それが、いまはデジタルの技術を使えば、たった一人の素人でも映画を作ることが可能になり、より簡単に思考をビジュアル化できるようになったことで、道は大きく開かれている。では、今度はなにが作り手を研磨するのだろうか。私達は常に、あるものを失い、そして、あるのものを手にする…そんな途上にあることを実感する。

 そして、この作品の中で、主に語られるのは作り手の側の言葉ではあるが、観客として映画を見る側にも、その心の有り様が届き響くことで確実に日常が変わる…そのことを考えると、観客にとっても事の経緯は無関係なことではなく、大きな問題でもあると感じる。

 また、インタビューの中で、ラッシュに関する見解や画像の保存方法の優位性についても、全く逆の意見が同時に存在することは興味深い。何が正しいかということではなく、みな自らの道を歩き、全ての答えは個々の内側にあるということを見せてくれていると思う。

 いつか新しい手段が、もっと私達の心を磨く手段にもなり得た時には、映画を深める道にも繋がると思う。この作品を通して、様々な意見を聞く事で、道具は手段であり、心が全ての道筋を作っていく、ということに確信を持てた。そして、今という分岐点を走り抜ける事で、次に至る世界を覗いてみたいという気持ちにもなれた。
  
 この作品を観たあとは、映画の未来に前よりも期待を持てるような気がしている。

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Erice Soy Ana

ゲストブロガー

Erice Soy Ana

“手のひらサイズの箱庭のような世界を作りながら、空と大地と世界を浮遊していきたいです。”


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