2013-03-19

『セデック・バレ』クロスレビュー:その顔つきの違いが、人種間の歪みを浮き彫りにしている。 このエントリーを含むはてなブックマーク 

人はなぜ戦うのか。その意味を教えてくれる映画だ。
この世から戦いがなくなることはない。
それは人間には尊厳があるからだ。支配されてはならないという尊厳。
その尊厳とは、自由を手にしたいという心だ。

1930年の台湾。狩猟民族たちが日本軍相手に決起する。
民族の尊厳を取り戻すため、負けることを承知で戦う。

この戦いにはあきらかに、私利私欲以外の意味がある。

たとえば、イラク戦争が正の戦いだったと語るものは、誰もいない。
おそらく年十年たってもそれは同じだ。
しかし、このセデック族の戦いは、語り継がれるべきものだ。
その意味を次の世代に語り継がなければならない。
魂を残そうと闘った人々がいたことを我々は心に留めるべきだ。

この『セデック・バレ』という映画は、その魂をフィルムに刻もうとした作品だ。
第一部と二部を合わせて4時間半あるが、息つくひまも与えない。
血が沸き立つようなアクションとドラマをたっぷりと見せてくれるからだ。
無名の俳優たちが熱をたぎらせて演技する。
そして、安藤政信らの日本人俳優たちがそれを受け止める。

セデック族と日本軍。その顔つきからしてはっきり違う。
セデック族のキャスティングには時間をかけたという。
厳しい命がけの通過儀礼を果たしたセデック族。占領する街に安穏と暮らす日本人。
監督の緻密な配役が、この対立構造を明確にし、人種間の歪みを浮き彫りにしている。

頭目と呼ばれる主役のリーダーが実に勇ましく渋い。その面構えだけで唸らせる。
数十丁もの小銃を担ぎ走り回るさまは、
無言で先頭に立つ者として耐えうる画となっている。
ポスターやチラシでも、その目の力と風格は、人をひきつけるものがある。
しかしこの林慶台という人、映画初出演。そしてmふだんは教会の牧師であり、役者ではないらしい。
この林慶台が躍動しなければ、この映画は生きなかったであろう。
林慶台が映画自体をまとめあげ引っ張っているのだ。
この無名の人物を勇ましき主役に仕立て上げた監督の力量に感服した。

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松本稔

ゲストブロガー

松本稔

“セデック・バレの噂を聞き、ぜひ見たいと思ってます。必ず宣伝しますので、よろしくお願いします。”


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