2013-08-21

『美輪明宏ドキュメンタリー ~黒蜥蜴を探して』クロスレビュー:美輪明宏という存在・「個」を突き詰めると「普遍」になる このエントリーを含むはてなブックマーク 

美輪さんは、美輪明宏という「存在」であり、「波動」であり、「振動」。そして、唯一無二であると同時に、普遍的な存在そのもの。禅問答のようだけれど、ここ20年程見つめてきた美輪さんは、私の中ではそんな印象の人。

三島由紀夫を愛読していたことが切掛けで、私が美輪さんの舞台を観るようになった当時、周りの反応は「え、あの不思議な人の舞台…?」と、もの好きだねといわんばかりの表情をされたものの、何年か前からは「オーラの泉の人ね」となり、今では「紅白でヨイトマケを歌っていた美輪様ね」と、世間での好感度が全然違う。美輪さん自身は変わらないのに、世間の美輪さんを観る目は大きく変わる…そんな大きな変遷があるのも、とても美輪さんらしいのかもしれない。

今回、このドキュメント映画を観ることで、私自身は資料でしか知らなかった90年代以前の美輪さんの姿をスクリーンで初めて観る事ができて嬉しく感じるとともに、改めて思ったことは、「個」を突き詰めると「普遍」になる、ということ。

三島由紀夫が美輪さんに憧れたのも、美輪明宏という普遍性であり、超越的なものの気配(それは突き詰めると自分自身へと繋がるもの)を、美輪明宏の存在の中に見付けていたからではないかと、こっそり感じている。

異端と言われた美輪さんは、今は大きな共感を得ている。もし人がみなそれぞれ、真の自分を明らかにして表現し続けたなら、どうなるだろう…それは苦難の道。でも、美輪さんはそんな道を通り抜けてきた人。

美輪さんの音楽会で美輪さんの歌に包まれる時、観客は美輪明宏の中に、肯定され表現されるはずだった、自分自身を観ているのかもしれないと思う。そして、美輪さんは舞台で歌いながら空間を抱きしめる仕草をする。そこにあるのは観客ひとりひとりへの絶対的な肯定と受容。

この映画の作中で「どんなことがあっても私を支えてくれたのは、愛でした」と語る美輪さんは、自らが受け取った「愛」を自身の内で増幅させ周囲に循環させている。美輪さんは「愛」の増幅器として世界に「愛」を循環させる機能を果たしているのだと思う。

一方、今回の映画では、美輪明宏さんの芸術、芸能活動という一見して外的な要素を通して、人生を描いている作品で、プライベートな部分はあまり出てこない。でも、それは描かれなくとも、映像の中の美輪さんという存在自体が既に描かれない部分さえも包括的に体現しているように感じる。言葉ではなく、体験や波動でしか伝わらないものを、この映画という片鱗から、美輪さん全体を伺わせる。一枚の樹の葉が、その樹の形全体を表しているかのように…。

この映画を観て、美輪さんを感じることで、観る側の一人一人は、自身に向き直り、自分自身の真の姿を受容する幸福を知るのかもしれない。

キーワード:


コメント(0)


Erice Soy Ana

ゲストブロガー

Erice Soy Ana

“手のひらサイズの箱庭のような世界を作りながら、空と大地と世界を浮遊していきたいです。”