2013-10-05

『潔子爛漫』を見てる―ほめどころ編・「心の誠」― このエントリーを含むはてなブックマーク 

ふとしたはずみで、転んでしまったこのお昼のメロドラマ。
メロドラマはあまり見たことがないんだけれど
(その前に見てたのは、1995年の『風たちの遺言』ってぐらいだから)、
これは私好みで、ついつい毎日見てしまう、
というよりも、放映時は毎日テレビにびっちり張りついて見てる。

好みなのは明治という時代設定と
(明治・大正・昭和中期あたりまでのものが好き。かなり、大ざっぱですね)、
元お嬢様が身を落としてゆく、というか、困難に見舞われる、という筋立て。
そしてこのドラマに限っては、格言だらけとも言えるそのシナリオだ。

明るい内容を想像させるタイトルとはうらはらに、
ドラマの中身は、格式高い武家の末裔として生まれた娘、潔子(きよこ)が、
父を亡くし、人が盗んだお金の返済を押しつけられ、女郎屋に売り飛ばされそうになり、と波乱万丈。
しかも、数々のいじめを受け、征服欲の強い男につけ狙われ、などかなり陰湿。
しかし、潔子はへこたれない。
ただ、己の「心の誠」に従って生きるのみ。

「心の誠」とはなにか?
それが今ひとつ、ただのんべんだらりとこのドラマを見ていてはわかりにくいのだけれど、
自分がこうと決めた道をたゆまず歩み続けることなのらしい。
祖母によって幼い頃に潔子にたたき込まれた教えで、
「おなごに、二つの道はない。一度自分で決めたことならば、なにがあろうと、その一本の道を進むのみ」
と、祖母はまだ潔子が五歳の時に、諄諄と言って聞かせた。
それが武家の娘として、生きていく者のあり方である、と。
そして、潔子の父も、謀略にはめられて死にかけながらも、
「私は己の誠を貫いた。誇りは守れたのだから、満足なのだ」
と潔子に語るのだった。

なんという生まじめな方々、これは武家の者だからこそ持てる心構え、
そして、明治という時代だからこそ持てる気概なのだろうか。
そうかも知れない。
でも、そうであったとしてもなかったとしても、それが人の道として間違っているはずがない。
間違っているはずはないけれども、
その道が万人にとって正しいとは限らないし、その道を選んだ者にお金や苦労のない暮らしといった、物質的な豊かさを与えてくれるかどうかもわからない。
やはり潔子の祖母が、
「人の道に確約された道などない。
万全を期しても、その先になにがあるのかわからぬのが人の道。
己の心の誠に沿うて、生きていくしかないのだ」
と、語ったように。

結局は、自分の信念を貫くために、
なにがあっても挫けないだけの芯の強さを持て、という教えに集約されていくのだった。
そして潔子はその教えのとおり、まっすぐなまなざしの娘に成長し、
壁にぶつかるたびに、こうと思い込んだ道に邁進しようとする。

ほかにもこのドラマにはなにかと格言的な言葉が多く、
道徳番組なのかと思うほど。
人に対する思いやりを忘れるな、と言うどころではなく、
どんないやな目に遭わされても、決して人を恨んだり憎んだりするな、と説く。
自分の道に恥じない生き方さえしていればそれでよい、というむしろ素朴な考え方に基づくものだ。

ということでこのメロドラマは、
メロドラマならではのせりふによる語り過ぎなところと、そのおかげのわかりやすさとによって、
むしろ文科省推薦ドラマとして小中学生が見たほうがいいんじゃないかと思う。
男女のことはけっこう出てくるけれど、昨今は小学校の低学年でも知っていることだろうし。
このドラマを道徳の授業の教材にして、
それぞれが「心の誠」ってなんだろう、とじっくりと考えたほうがいいんじゃないだろうか。

と、よいところばかりを書いたので、次回はもし時間があったらけなしどころを書いてみます。

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