2013-11-06

『マイ・マザー』クロスレビュー 母親とはなんだろうか。 このエントリーを含むはてなブックマーク 

映画の冒頭、女の口元が映し出される。唇の周りにたくさん食べカスをつけ、さらにその女本人は、そのこと自体に気付いていないようにも見える。そして、画面が引いてくるにつれ、その女が主人公の母親である事に気がつく。
グザヴィエ・ドラン監督が、弱冠19歳で自ら主演も兼ね、初監督を務めた半自伝的作品は、このような生々しいワンシーンから始まった。
ドラン監督扮する17歳の主人公、ユベールは、母親のことをどうしても受け入れられずにいた。幼いころは仲良しで、大好きだったのに・・・。母親への苛立ちは日を追うごとに憎しみに変わっていき、自分でもどうしようもなくなってしまう。
人は誰でも、特にこの映画のように思春期の男性、もしくはそれを通過した人ならば、一度はこういった経験をしたことがあるのではないだろうか。もちろん筆者も体験したことがあるが、それはそれは経験したことがないと分からない、なんともいえない葛藤と葛藤のぶつかり合う時期であった。
「I killed my mother」というタイトルは、直訳すると「私は母親を殺した」となる。確かに作中でユベールは勝手に母親を死なせるし、彼の視界に母親というものは見えていなかったように思う。しかし逆に、こうすることによって監督は、母親という存在を引き立たせているのではないか。よく、「(親が)いなくなってから(親のありがたさが)分かった」という声を聞くことがあるが、それに当てはめると、「母親を殺してみてから分かった」と、こうなるのだろう。子供にとって変える事の出来ない大きな存在の一つである母親。それを殺す(という表現)によって、新たに見えてくるもの。それは母親の必要性であったり愛情であったりするのではないだろうか。
グザヴィエ・ドラン監督、いまだ24歳である。こんなに生々しく、リアルで、暗いが愛のある作品を19歳で、客観的に、冷静に作りだすとは末恐ろしい。今後も彼の作品を期待せずにはいられないだろう。

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カイ

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