2014-02-25

宮崎駿の「離昇パラダイム」への退行:映画『風立ちぬ』 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 春が近づいてきたからなのか、先週金曜あたりから超夜型&徹夜か爆睡かの二元論から脱し、睡眠時間の長短に拘らず、朝目が覚めるようになり、朝型とまでは行かずとも昼型生活を送っています。心身の健康のためにも研究時間の確保のためにも、この状態を維持出来るよう少し頑張ってみようと思います。

 昨日は昨年4月末以来、本当に久しぶりに下高井戸シネマへ。

 観たのはジプリのアニメ映画『風立ちぬ』(監督・脚本・原作:宮崎駿、声の出演:庵野秀明、瀧本美織、西島秀俊ほか、2013年、日本)。2月第二週から連日最大4回も上映しているにも拘らず、平日の午後一の回も半分強の入りでした。郊外の二番館としては盛況と言ってよいと思います。

 さすが宮崎駿&ジプリということで、背景も含めた作画も物語も全く破綻なく、完成度の高いアニメーション映画で、二時間全く退屈することなく観れました。

 関東大震災のシーンは強烈でした。自宅マンションで東日本大震災に遭い、これで終わりかと一瞬覚悟したことを思い出しました。

 庵野さんの声も最初は20代の若者にしては低過ぎると感じはしたものの、物語が進むにつれて演技力も上がったのか、違和感を覚えることもなくなりました。

 ただ相変わらずのディズニー仕様の有名俳優&タレントで固めたキャスティングには興ざめでした。DVD&ブルーレイ販売に軸足が移っているために、物語の内容ではなく、キャラクターの魅力や、とりわけ可愛らしさだけが強調される最近のテレビアニメや、声優のタレント化もどうかとは思いますけれども。

 ただし共感や感動はしませんでした。かなり涙もろい方なのにホロリともしなかったし。
 
 主人公の男性(零戦の設計者堀越二郎がモデル)は子どもの頃からの近視以外は完璧超人で、食事をはじめとする日々の生活には殆ど関心がなく、ひたすらより早い飛行機設計に没入。史実に基づかないオリジナル設定というヒロイン(里見菜穂子)は結核を煩い、病を押して名古屋の彼のもとを訪れ、短い結婚生活の後、病状を察して「キレイなところだけを見て欲しいから」と高原の療養所に帰ってゆく。

 一度だけ菜穂子の病状を知り涙を流すシーンはあるものの、基本的には二郎は地上の出来事全てから距離をとり、飛行機を高速に軽やかに飛翔させることにしか関心がない。出会った時には10代前半だったであろう菜穂子が成長し病が進むにつれてやつれていくのに、二郎は20代前半の若者ののまま。皺もないし髭さえ生えない。

 『風の谷のナウシカ』から、いや70年代の『未来少年コナン』や『カリオストロの城』の時から、宮崎作品に登場する女性は、一見可憐で儚げに見えても、実はとても能動的・活動的で生命力に溢れ、男たちを圧倒するような気概と判断力・行動力を誇っていたのに、菜穂子は二郎への思いが全ての「伝統的」ヒロイン。医師になった二郎の妹(堀越加代)の方がよほど主人公に相応しい。

 身体と死に縛られた女性と、身体からも世間からも離れて虚空へと飛び立つ男性…これって伝統的なジェンダー観の極北じゃないでしょうか。放射能がまき散らされ続けているのに、経済成長やオリンピックに眩惑されている今だからこそ、二郎が体現しているような世界からの「離昇パラダイム」(星川淳『環太平洋インナーネット紀行——モンゴロイド系先住民の叡智——』、NTT出版、1997年参照)ではなく、原作版『ナウシカ』の末尾で提起されているような、汚染された世界での「在留パラダイム」(同)への訴えを形にして欲しかったです。


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知世(Chise)

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