2008-05-26

「イースタン・プロミス」試写を観て このエントリーを含むはてなブックマーク 

既にUS版DVDを観ていたのですが、やっと日本語字幕付きで鑑賞することが出来ました。
今回あらためて思ったのですが、この映画、ストーリー的に物凄く難解だったり予想外な展開が起こるってことはあまりなくて、ストーリーだけを単純に取り上げるならむしろ非常に判りやすい物語なのではないかと。
最初に事件が勃発した時点である程度展開は予想できるし、実はニコライは…という物語中の重要箇所についても、今回、日本語字幕付きで観たらちゃんと伏線が張ってあったし。
しかし、ストーリーが判りやすいからといって作品の価値が下がるなんてことは全く無い!と私は断言したい。
いえね、会場でちょっとばかりそんな声が聞こえてきたのですよ。「二時間ドラマみたいでありがちだよね~」みたいな。ぷんすか。

「イースタン・プロミス」はミステリー映画ではないのはもちろんだけど、ジャンル分けされてるようなサスペンス映画ともちょっと違う。
都市の闇、閉塞空間、暴力による支配、犯罪、絶望、裏切り、生と死を圧倒的な迫力で描き出したこの映画には、むしろ昔ながらのフィルムノワールの匂いが濃密に漂っています(※フィルムノワールとは、アメリカで40年代~50年代、フランスで70年頃まで製作された虚無的で退廃的な内容の犯罪映画の総称)。
そしてこの映画では、暴力や絶望と同時に様々な愛の形が描かれています。恋情、親子愛、肉親や同胞愛、生まれ育った土地への愛着。愛に突き動かされ振り回される人間の哀れな姿が、陰陽のくっきりとした印象的な映像の中に浮かび上がります。
驚くべきは、作品中、一瞬たりとも無駄なシーンやエピソードが無いこと。冗長と感じる部分なんてある訳も無く、物語がだれる瞬間なんてありゃしない。
かと言って、所謂ジェットコースタードラマのように、息も付かせぬ怒涛の展開で観客を振り回すという映画でもありません。
取り沙汰されているように暴力描写はかなり激しいですし、例のサウナでのファイトシーンは未だかつて観たことが無いほどに強烈です。しかし物語自体はむしろ淡々と静かに進んでいくのです。
その不思議な静けさゆえにこの映画の中で描かれる暴力や犯罪はより恐ろしくリアルで、癖の強い登場人物たちそれぞれが抱えた苦悩、悲しみや切なさがより際立って感じられます。
100分という上映時間は最近の映画としてはむしろ短い部類ですが、それは、脚本を練りに練り、役者の演技と演出から余分なものを完全に削除し、そして撮影されたフィルムを完璧なまでに研ぎ澄まし編集した成果だと思う。
興味本位の犯罪映画でもなければストーリーを追いかけて楽しめば良いエンターティメントでもない、観客の心の深い部分に何事かを刻み付けることの出来る特別な映画作品。「イースタン・プロミス」は、そういった映画として正しく仕上がっています。

世間で取り沙汰されているように、確かに「イースタン・プロミス」の中で描かれる殺人シーンは、これでもかというくらいに生々しくも残酷です。
登場人物たちが振りかざす凶器によって、人間の身体は突かれ切り裂かれ血を流し命を絶たれます。その描写はおぞましく、例えばゲームの中でゾンビやモンスターを撃ち殺すような爽快感なぞ全く無く、真の暴力の恐ろしさだけを感じさせられます。
観客が不愉快に感じる映像を作りたかった、と監督は語ったそうです。
その不愉快さはリアリティの故。暴力的な意図により人間の肉体が簡単に壊されてしまうこと、そしてあっさりと命が奪い取られてしまうことの恐怖を喚起された故。
この映画は強烈に暴力を描きながらも、暴力礼賛とはむしろ正反対に位置するものなのではないでしょうか。

サウナでのファイトシーンについては、以前に個人ブログで詳しく&熱っぽく書いておりまして、また書こうと思ったらエンドレスで繰り返すだけになっちゃうので、今回の記事では割愛。ご興味ある方は以下からどうぞ。

「Eastern Promises」その3~謎の男とその行く末
http://steelblue.md-kyan.secret.jp/?eid=809783

ただ、大画面で観るヴィゴの演技は壮絶の一言で、とにかく感嘆するばかりだったことは敢えて付け加えておきます。
ありふれた言い方で恐縮ですが、ヴィゴ・モーテンセンという俳優の凄まじいまでの役者魂、情熱に裏付けられた演技力、心身両面の徹底した自己鍛錬をこれでもか!とばかりに見せ付けられた気がしました。何度もしつこく書きますが、このシーンのあまりの迫力は下世話な興味関心を水平線の彼方に吹っ飛ばすほど。
数分感のファイトシーン、たまに、「ひっ…!」っという小さな声が聞こえてくる以外は(主に男性でしたねえ)、場内はまさに水を打ったような静けさでした。

そしてニコライは最後まで、謎の男でした。
彼が真に意図したこと望んだことは何だったのか。何に心を捧げていたのか、誰を愛していたのか。ラストシーンでのニコライは、その中のどれか一つでも手に入れることが出来たのだろうか。
ニコライは最後まで、二重三重に隠された感情と真実を読み取らせようとはしませんでした。そして、答えを明確にしないまま、静かに物語は終わるのです。
観客に深い余韻を残して。

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kyan

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