2008-06-03

『偽大学生』(☆☆☆★)/『剥き出しにっぽん』(☆) このエントリーを含むはてなブックマーク 

6月1日(日)
 映画の日だというのに、終日寝て過ごす。夜、高円寺にビデオを返しに行ったぐらいか。結局、古書店で阿部嘉昭『68年の女を探して―私説・日本映画の60年代』を1500円で、大森一樹『映画物語 (リュミエール叢書)』、毎日新聞旧石器遺跡取材班『発掘捏造』、毎日新聞社社会部『破滅―梅川昭美の三十年 』を各100円で購入。

6月3日(火)
 ラピュタ阿佐ヶ谷で増村保造『偽大学生』(☆☆☆★)を観る。
 評判ほどの傑作とは思わない。同時代の大島渚『日本の夜と霧』の方が遙かにスパイ嫌疑、監禁の緊迫感がある。終盤の主人公の発狂描写の過剰さは買う。ジェリー藤尾が“新しい型の気違い”呼ばわりされているのに笑う。

 村井実『はだかの夢年代記 ぼくのピンク映画史』読了。
 無茶苦茶面白いのは、著者が“ピンク映画”という呼称を考えだして名付けたピンク映画史の中心人物なのだから当然か。兎に角次々と繰り出されていくタイトル、監督、女優、男優に魅了される。現在からはごく一部を除いて観ることが出来ない60年代、70年代のピンク映画を僅かに垣間見ることが出来たが、全く別の日本映画史が存在していると改めて思う。

 新宿紀伊國屋書店で『シナリオ 7月号』と『東京人』購入。

 池袋シネマロサで石井裕也『剥き出しにっぽん』(☆)を観る。



 話題の新人監督・石井裕也の作品を観るのは今回が初めてで、早い段階から名前は聞いていたが、岡太地共々、熊切・山下の流れの再来を思わせる評価の高さで、既に長編も量産しているのが頼もしい。
 『剥き出しにっぽん』は大阪芸術大学映像学科卒業制作で、PFFグランプリ他海外の映画祭に多数出品されている。と言って過剰に期待せずに観たが、可能性は感じさせるにしても作品自体には乗れなかった。
 オナニーしたらジイさんが来て分けの分からないことをブツブツ言うし、日常には小暴力がゴロゴロしていて、やたらとイラついて…という状況は良いが、それで作品の中にその世界が築き上げれてしまえば最高の作品になったのだろうが、そうはなっていない、又は未だ力が足りないので、各キャラクター、描写共に中途半端に思えてしまう。だから、主人公ら三人が軽四で出発するまでが長過ぎる。もっと刈り込んでもっと早く出発してここから映画が始まって欲しかった。
 しかし、共同生活を行うボロ家に来てからも映画はあまり湧き上がらない。描写が単発的で次のカット、役者の次のリアクションへと連鎖していかない。気分的なその場その場の描写に終始してしまう。
 しかし、終盤に至って映画が湧き上がり始める。まるでイマヘイ理論の実践を文字通りやったかのように、泥とオマンコにまみれるのだ。そこで初めて、映画が立ちあがって来るのを感じたが、その時は既にエンドマークの近くだった。
 後で読めば、石井裕也は今村昌平が好きなのだという。大いに納得したが、重喜劇、濃密なキャラクターを作り出すまでには本作は至っていない。以降の作品がどういった変化を遂げているのか気になる存在ではある。まさか、気取っただけの表層的な描写の映画だけで終わるとは思えないだけに、観続けていきたい。

キーワード:

剥き出しにっぽん / 石井裕也


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モルモット吉田

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