骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2009-04-24 21:31


モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム ~番外編~』:迷走する「Twitter革命」、モルドバ共和国と沿ドニエストルの現状

情報工作により真実が見えづらいチベットと向き合うため、モルドバ共和国と沿ドニエストルの状況を例にあげ、ロバートソン氏がメディアリテラシーの重要性を考察する。
モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム ~番外編~』:迷走する「Twitter革命」、モルドバ共和国と沿ドニエストルの現状
「モルドバの民主化」と「逮捕されたデモ参加者の釈放」を求める人々 photo by katsniffen

旧ソ連モルドバの首都・キシニョフで今年4月7日、議会選の結果に抗議する若者ら野党支持者の暴動が発生。つぶやきを配信するソーシャルサービス「Twitter」で情報交換がなされ、1万人近くの抗議者が国会議事堂前に集結した。連載第1回目では、「Twitter革命」とも呼ばれるITによって拡大した抗議活動と、チベットにおける情報検閲システムを重ね合わせて考察した(『チベット・リアルタイムvol.1』)。
第2回目では、「捕まった抗議者が拷問されている、ロシアのFSBから派遣された工作員がデモに紛れ込んで暴動を誘発している」といった噂が流れ、情報の信憑性に確証がもてないモルドバの状況を追った(『チベット・リアルタイムvol.2』)。
今回は、モルドバで起きている騒動のアップデートと、モルドバの隣に分離独立した「沿ドニエストル共和国」について解説する。


チベット・リアルタイム ~番外編~
欧州のブラックホール~あるいは、ツンデレのミルフィーユ

みなさんは「ツンデレ」という言葉をご存じだろうか? 筆者もあまりよくわかっていないが、相手を邪険に扱う状態から恋愛感情の間を揺れ動く振る舞いを指す用語らしい。モルドバを取り巻く歴史的な経緯、地政学的な状況はまさに「ツンデレ」と呼ぶにふさわしい力のベクトルが幾重にも折り重なっている。今回の記事は少々、長くなる。

モルドバ

まずは先週(『チベット・リアルタイムvol.2』)に続いてモルドバ共和国で起きている騒動をアップデートしよう。
「Twitter革命」という呼び名が提案されてから3週間を経たモルドバの抗議活動は、徐々に先細っており、ソ連時代を彷彿とさせる手順で国家テロらしきものの影がのぞき始めている。警官や治安部隊による学生への暴力はデモの初期からネットでは報告されていたが、拷問の証拠写真をBBCなど欧米メディアがやっと報道するようになった。そもそも取材がしづらい東ヨーロッパの辺境で西洋人ジャーナリストが締め出されてしまうと、最終的には噂をたどって電話取材などで聞き取りを進めるしかないのだろう。

写真:モルドバ共和国の街並 (c)Il conte di Luna

海外から民主化を期待する声援が数十秒おきに「Twitter」に書き込まれていた熱気は、現在すっかり冷めてしまっている。同じユーザーがルーマニア語で何度も同じメッセージを書き込んだりと、スレッドで言えば死んだ状態だ。この素人の乱に対して「革命なんか最初から存在しなかった」と早々に引導を渡すワシントン・ポスト紙のオピニオン記事も登場した。「モルドバにITの力を借りた革命などは起きていない。暴動はすべて政府の自作自演だろう。こういう演出された政治騒動が今後、多数出現するだろう」と書かれてある。


The Twitter Revolution That Wasn't(ワシントン・ポスト記事)
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/04/20/AR2009042002817.html

この記者の見解では、モルドバ政府は民主化を抑えこんで親ロシア路線を進むために、学生による暴動を自らの工作員によって演出し、ルーマニア政府の所業として非難した。そのタイミングでロシア政府はモルドバ政府の主張に同調する声明を出した。ソーシャル・メディアを使ってモルドバの民主化をもたらすことができると期待している現地の学生や海外にいるモルドバ人、その他のサポーターはみんな蚊帳の外で踊らされているか、もしくは巧妙な情報操作に乗っているだけ、ということになる。この記事を叩く書き込みも「Twitter」スレッドに登場しているから、異論のひとつととらえていい。興味深いのは、英文メディアのジャーナリスト達による記事がうっすらと陰謀論型の論理展開を含むようになっている点だ。

誰の陰謀なのか? KGBか? プーチンか? ルーマニアか? あるいは欧米か? まさか、また中国が…?とにかく、このモルドバを取り囲む複雑なパズルを解析するためには、90年代以降の周辺事態を調べる必要がある。

ざっと一筆書きで解説すると、80年代末・つまりソ連末期、モスクワでクーデター未遂が起こった。その騒ぎに便乗した形で、自治共和国だったモルドバは独立を宣言。このタイミングでモルドバの東の端にあるドニエストル川沿いに位置するエリア、つまり南北に200キロメートル、東西に「厚み」がわずか4から20キロメートルしかない地域のロシア系住民が「沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国」を宣言し、ロシアの後押しを受けてモルドバからの分離独立戦争が始まる。

戦闘は2年間続くが、「沿ドニエストル」側はことのほか強かった。ソ連最大の軍需工場と巨大な武器貯蔵庫を持っており、モスクワから派遣されたKGBの指揮下で徹底抗戦をした結果、休戦にこぎつけたまま分離状態を維持し、現在に至っている。「沿ドニエステル」は国家ではなく国家のフラグメントでしかないはずなのだが、モルドバのGDPの40%を占め、電力の90%を供給する重要地帯だったので、生命力は旺盛で今日に至っている。しかしロシア以外の国には承認されず、GoogleMapにも詳細は載っていない。

Google Map上の「沿ドニエストル」地域↓

参考資料:「幻のソ連」が生き続けている国 沿ドニエストル共和国
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/hikounin/transdniester.html

「沿ドニエストル」の混乱とほぼ同じ頃、モルドバの南部にあるガガウズという地域でも分離独立の声が上がった。今度はトルコ系でクリスチャンの住民だった。ロシア人が主流をなす「沿ドニエストル」と状況は似ていた。トルコ語系の言葉を使うガガウズでは独立したばかりのモルドバがルーマニア化政策を進めることを懸念し、ルーマニア語圏への同化を拒む形で分離運動を開始した。結局1995年に居住地域を「ガガウズ自治区」として大幅な自治権を与えられることで解決され、武力闘争には至っていない。

参考資料:ガガウスに関する「Wikipedia」エントリー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%AC%E3%82%A6%E3%82%BA%E4%BA%BA

つまりモルドバ共和国がソ連解体のタイミングで産声を上げた瞬間から、何を国家アイデンティティーにするのかが葛藤の種として芽吹いたのだった。モルドバ国内だけでも旧ユーゴスラビアのように雑多な民族がパッチワークのように混在していたため、主流となったルーマニア系住民がヨーロッパ化を進めようとすると、危機感を覚えてソ連時代への回帰を願うマイノリティーがあちこちで抵抗を始めるという作用・反作用が繰り返されるようになる。

90年代のユーゴ内戦や虐殺でさえ、欧米諸国は遠巻きに見ていたから、同じ時期にモルドバ界隈で何が起ころうとも重要視する風潮は西洋社会に無かったと言っていい。ところが2001年9月11日以降、「沿ドニエストル」に対して急速に注目が集まるようになる。ソ連時代から貯蔵されていた武器が大量に外の世界に密輸されているという実態が明るみに出たからだ。売りに出された武器はソ連式のAK-47ライフルから地対空ミサイルの部品、はては核物質を散布する「ダーティー・ボム」まで。密売先は中央アフリカやコンゴ、中東諸国など。ロシアの宿敵であるはずのチェチェンにまで見境なく売られていた。そのため、「沿ドニエストル」は「ヨーロッパのブラック・ホール」と呼ばれるようになる。その小さな無法地帯を今日もロシアから派遣された「平和維持軍」がモルドバからの攻撃に備えてドニエストル川にかかる橋の上で防衛している。

9.11以降、武器の闇市場が問題となり、さまざまな欧米メディアが「沿ドニエストル」に潜入するドキュメンタリーを製作した。最近のモルドバ情勢を受けたようなタイミングでそれらのドキュメンタリーをキャプチャーした鮮度の高い動画ファイルがいくつもYouTubeに上がっている。英語のナレーションがある作品を探しただけでも4つあった:

★BBCのドキュメンタリー「存在しない場所=Places that don't exist」↓


★フランス・キャナルTVのドキュメンタリー「存在しないはずの国」↓


★Journeyman Pictures製作「沿ドニエストル~ヨーロッパのブラック・ホール」↓


★Journeyman Pictures製作「もうひとつのモルドバ」
http://www.youtube.com/watch?v=_KKtD4nmFac

このうちBBCのドキュメンタリーには、現在のモルドバで民主化要求を暴力的に制圧していると思われる共産党政権のウォロニン大統領が登場する。撮影クルーを別荘に招き入れ、ゴルバチョフそっくりの斑点を持つ飼い猫を自慢したり、釣りに招待したり、あげくにはモルドバ産のコニャックを一緒にボトル2本空けるまで飲ませ続けたりする。このドキュメンタリーでウォロニン大統領はロシアの傀儡国家である「沿ドニエストル」の無法状態を非難し、モルドバの民主化を語っている。しかし今日、ロシアの後ろ盾を得て、自作自演なのかどうかも判明しない形で学生達を拷問させているのも他ならぬウォロニンである。ウォロニン大統領はツンデレをやってのけていたのだ、とここで初めて自覚した。

モルドバから「国境」を超えて「沿ドニエストル」に入ると、そこにはソ連時代の状態で凍結された別世界がある。独自に発行されたパスポートの表紙にソ連時代と同様「CCCP」の文字が並び、独自のルーブル紙幣と切手を印刷、国営テレビ局を運営し、この地域最大のサッカー・スタジアムも持っている。そして首都ティラスポリの至る所にはソビエト式の標語やレーニン像が飾られ、独立記念日の式典には長大な軍事パレードが続き、重工業・電力・ガソリンの供給を含むすべてのインフラをイゴール・スミルノフ大統領とその息子が支配しているという。スミルノフ大統領はKGBが送り込んだエージェントであるとされ、同国の内務大臣もソ連時代の特殊部隊出身者として紹介されている。この「国家」の内部では、スターリンが今でも偉大な指導者として讃えられ、ロシアの議会選挙にロシア系住民は投票権を持つ。言論は著しく統制され、欧米メディアに向かって反対意見を唱えるモルドバ系の市民は当局による脅迫や殺害を覚悟しなくてはならない。

一見、チベットやウイグルの地で行われている圧政を思わせたり、北朝鮮の体制にも通じる片鱗がうかがわれるが、内実はいささか違う。それは「沿ドニエストル」がマフィアと一体化したKGBによって無法状態で運営されているからだ。

「沿ドニエストル」はウクライナとモルドバの間にはさまれている格好になるが、場所によっては数メートル草むらを歩いただけで国境を越えてしまう。公式な国境や税関は形の上でしか存在しない。「沿ドニエストル」領土内で生産された武器は運搬用の車両に乗せられ、国境が警備されていない地点でウクライナに入り、そのまま黒海の港まで運ばれた後で船へと積み上げられ、世界のあちこちに向けて船出する。あるいはソ連時代から残っているあやしげな滑走路を使い、発着する飛行機に積載された武器がアフリカなどへと大量に運ばれていくことが疑われている。

2006年のNYT記事によれば、ウクライナの港で積みおろされたフローズン・チキン、つまり冷凍鶏肉を沿ドニエストルにくぐらせることによって関税と衛生検査を迂回し、劣化した鶏肉を低価格でウクライナの市場に売りさばく「食肉偽装」のシステムもあるらしい。この商売の方が武器の密輸よりも利益率が高いとさえ言われている。麻薬も大量にさばかれ、ヨーロッパでもっとも過酷な人身売買も行われていると、脱出した女性達が証言している。ロシアをバックにつけた「沿ドニエストル共和国」は、かたやKGBとロシア軍、かたやロシアン・マフィアの顔を持つ断片国家なのだ。

Ukraine Battles Smugglers as Europe Keeps Close Eye
http://www.nytimes.com/2006/05/28/world/europe/28ukraine.html?_r=1&scp=1&sq=transnistria&st=cse

「沿ドニエストル」の中で絶対的な権力を持つスミルノフ大統領だが、彼の参謀には別のKGB工作員がいる。ドミートリー・ソインだ。複数の殺人容疑で国際警察機関「インターポール」から追われる身であるソインはロシアに対して熱狂的な忠誠を誓う青年団体を指揮している。しかしイギリスの日刊紙「ザ・サン=The Sun」が送り込んだ武器密売人になりすました記者に対して、約20万ドル(現在のレートで2千万円)でならダーティー・ボムを売れる、と交渉した張本人がソインであったこともすっぱ抜かれた。頻繁に欧米メディアに出演し、ロシア流の民主化活動家を自称するソインは言わばKGBから送られたスミルノフ大統領の監視役でもあり、大統領がモルドバに対して宥和政策へと転じた場合はクーデターを起こす役割を担わされている、とのニュアンスが読み取れる。

ソインが取材されている記事(Cleveland.com)
http://www.cleveland.com/world/index.ssf/2009/01/transdniester_a_breakaway_mold.html

とにかく誰が誰の金をもらい、誰から指令を受けて動いているのかが、ドキュメンタリーを見るにつけ、不透明になっていく。「沿ドニエストル」のスミルノフ大統領も、モルドバ側で敵対しているはずのウォロニン大統領も権力のゲームの中で何重にも工作をしているようだ。ロシアのKGB、マフィアと一心同体になって動く沿ドニエストルの秘密警察、モルドバの秘密警察、自作自演疑惑が持たれているキシニョフの広場で起こった学生の暴動。それぞれのプレイヤーたちは何がねらいなのか…ミルフィーユを思わせるレイヤーの多さで、情報戦は展開され、「Twitter革命」は日を追って迷走している。

2008年、チベット騒乱が起こる直前のことだった。ビョークは上海のコンサートで「チベット!チベット!旗を揚げて!」と叫んで中国当局の度肝を抜き、後にひんしゅくをかった。その歌は「Declare Independence=独立を宣言せよ」という歌で、デンマーク領にあるグリーンランド先住民の文化保存活動やコソボの独立闘争などをモチーフに書かれた歌詞だった。しかしビョークが「沿ドニエストル」の状況を知っていたなら、同じように強気で歌えたかどうかは疑問だ。

(文:モーリー・ロバートソン)

【関連リンク】
モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.1』
モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.2』
モーリー・ロバートソンの『チベット・リアルタイム vol.3』
i-morley
チベトロニカ


モーリー・ロバートソン×池田有希子トークイベント開催
2009年5月23日(土) 開場18:30/開演19:00

出演:モーリー・ロバートソン氏(ラジオDJ・ポッドキャスト「i-morley」主催者)、池田有希子氏(女優)
会場:アップリンク・ファクトリー
(東京都渋谷区宇多川町37-18トツネビル1F) [地図を表示]
イベント料金:一律 1,800円(チベット風フィンガーフード、ドリンク付き)

“生” i-morley「チベトロニカ」特別編

webDICEで連載している『チベット・リアルタイム』の映像を上映しながら、モーリー・ロバートソン氏と、「チベトロニカ」に同行した池田有希子氏のトークショー開催。まさに二人がメインパーソナリティをつとめるポッドキャスト番組「i-morley」のライブ版!当日はチベット風味のフィンガースナックとドリンク(バター茶を予定)も振舞われる。
※混雑が予想されますので必ずご予約ください。
★詳細・予約方法はコチラから



『風の馬』
渋谷アップリンクにて公開中

監督・脚本・編集:ポール・ワーグナー
出演:ダドゥン、ジャンパ・ケルサン、他
1998年/アメリカ/97分
配給・宣伝:アップリンク
公式サイト
※公開記念トークイベント・詳細はコチラから



『雪の下の炎』
渋谷アップリンクにて公開中

監督:楽真琴
出演:パルデン・ギャツォ、ダライ・ラマ法王14世、他
2008年/アメリカ・日本/75分
配給・宣伝:アップリンク
公式サイト
※公開記念トークイベント・詳細はコチラから


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