骰子の眼

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東京都 渋谷区

2009-07-16 19:17


今野裕一×浅井隆 対談【前編】:「復刊した『夜想』は若い人に向けて発信したい」

インディペンデント・メディアだからこそ「今、出来ること」とは何か?『NO NEW YORK 1984-91』の発売記念イベントにこの二人が登場!
今野裕一×浅井隆 対談【前編】:「復刊した『夜想』は若い人に向けて発信したい」
(左から)浅井隆、今野裕一

80年代ニューヨークにおいて、若いアーティストたちによる映画・写真・音楽・ファッションといったあらゆる表現が一斉に爆発した「NO WAVE」なる現象が巻き起こった。その「NO WAVE」の流れを汲む、若手監督たちによる8ミリ映画は「Cinema of Transgression(破戒映画)」と呼ばれ、社会への不満やハリウッドの商業主義に対する嫌悪がストレートに表現された作品が次々と生まれた。そのムーブメントの実態を、当事者のインタビューを通して明らかにしていくドキュメンタリー『NO NEW YORK 1984-91』の DVDがアップリンクより発売。その記念イベントとして、地引雄一×ECD対談、中原昌也×ジム・オルーク対談、鈴木章浩氏の解説付き資料映像上映が連日おこなわれた。そのイベントの最終日を飾ったのが、『夜想』主宰の今野裕一氏とUPLINK主宰/webDICE編集長の浅井隆。『NO NEW YORK 1984-91』の時代から現在まで、インディペンデントな姿勢を守りつつ出版・スペースの運営といった独自のメディアを展開し続ける今野氏との対談を、前編と後編に分けてお届けする。


メディアの中で「身体性の回復」をしなければならない

浅井隆(以下、浅井):『NO NEW YORK 1984-91』に出てくるアーティストたちはかつて自分の中ではストライクゾーンで、当時彼らがやっていた、今迄の既成概念とは違う事をやるという考え方には全面的に賛成するし、いまの時代にあの熱さというのは一番欠けているものじゃないかなと思うんです。ただ、実際は彼らはきっと勝手にやりたくてやっていたんだろうし、あとで誰かが後付けで評価したっていうようなものだったのでは思うのですけど。

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今野裕一(以下、今野):そうだね。最後の部分はまさにそうだと思う。80年代のこととかいろいろ言われるけど、好き勝手にやっていて、あとでそのことを持ち上げた形にして売れるというのが多いから。僕の感想的には、なんでいま上映やるのかなって(笑)。あの辺のパンク音楽はすごい好きだったから、基本的には聴いていたけど。でも、どうなのかなぁ。暴力やセックスがカウンターになるっていう感覚は、今はゼロ。何にも役に立たないんじゃないかと思っている。

結局9.11のときに、あまり放送されなかったけれど、「アメリカはレイプされた」とブッシュが言ったんです。レイプされたから仕返ししてやるんだという論理で動いたわけでしょ。でも、イラクが本当はターゲットじゃなくて、アフガンをやらないといけないのに、アフガンは面倒くさいし、早く攻められるイラクを攻めたんじゃないですか。それは今になって報道資料としてでてしまっている。それは大統領選で語られるけど、ブッシュの暴力的仕返し気分とか、アメリカの暴力性で語られないわけでしょ。ブッシュの方がよっぽど下劣じゃないですか。暴力とかレイプという言葉を使うこと自体が、アメリカがそういう社会なんですよ。


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作中で、こういうアメリカが嫌だからレイプするんだって言ってるけど、そのアメリカ自体も大統領自体も、今の時代になってもまだあの論理で動いている。じゃあ、あの論理で動いているものに対して、気分でああいう風に暴力的なことでカウンターしても全然ダメじゃないかと僕は思っていて、今はほとんど僕は興味ない。70年代80年代の体制に対するアゲインストする行為として…自分が当時共感を持って見ていたときの気分としてはOKだけど、今になってそれは遠いもんだなと思って見ている。この作品が今、何かの変化を今生むとは思わない。回顧かなと思う。

写真:リチャード・カーン作品『XイズY』より

浅井:インターネットが普及した今からみると、80年代には身体性、フィジカルなものがこの映画にはある。それは今の時代に最も欠落していると思います。インターネットがこれだけ普及して、サイバーワールドで知識を得られる中で、もう一回こういうセックスとバイオレンス的なフィジカルなものが、今の時代には例え武器にならなくても重要なのかなとは思います。

今野:その身体性の回復は、ものすごく痛切に感じている。だから、イベントやるときでもチラシをものすごくまくんですよ。寺山修司さんじゃないけど、チラシまくときに必ず声を掛けてまいてねっていうんです。ここで何をやっているかあなたが理解して、理解したものを人に伝えてねという形で。なおかつ、雑誌の中でやっているものを必ずライブで、生で見せる。それはライブと、ネットの情報と、雑誌でやっていることがこれだけ違うんだっていうのを見てもらうためにできるだけで来てもらう。それがいま僕がやろうとしている目的なんですよ。すごく身体的なことを回復しようとしているんです。

フィジカルなことを回復させるのを、メディアの中でやっていかないといけない。ネットで情報だけあればOKなんてこという人に対して、そうじゃないよって皆言うけど、本当にそう言うだけじゃなくて身体を動かさないと。身体感覚が欠けていることによって、いろんな障害が起きていると思う。ネットを見ているから障害が起きている。ネットが有害だという言い方はよくないというけど、僕は身体性に有害なことが起きていると思う。だからといってネットを規制しようとは思わない。ネットの欠けているものを補完すればよいだけで、ネットはどんだけやってもいいと思う。でもそこだけで生きてきた人とか、そこだけでイメージを全部もらった人、そこだけで身体の代わりをした人たちは何かを起こす可能性はある。そのメカニズムは全然わかってないんだから、怖いことが起きる可能性がある。それを関係ないんだよって言うのはおかしい、インテリはよく言うけどそうじゃない。それは研究すべきだ。


浅井:先日、東京日仏学院で『愛のコリーダ』(大島渚監督)の無修正版の上映をやっていたんです。僕はロバート・メイプルソープの裁判(http://www.webdice.jp/dice/detail/27/)をやったから、興味があって観にいったけど、満員で入れないかといったらそんなことはなくて、会場はガラガラ。いまどき無修正上映に興味を持っている人がいなくて。僕より年上の当時修正版しか観られなかった人が来ているのとシネフィルの人が来ていました。日本の現状の法律、裁判所の判例から言うとボーダーライン上の上映でしたが。

今野:あの映画をやっていた当時、僕は天井桟敷の寺山さんのところに居候するようにちょくちょく出入りしていましたが、寺山さんが、『愛のコリーダ』を話題にしながら「舞台の上でアレできるか」っていう話をしていて、「そんなことうまくできないよ」とかっていう話を真剣にしているくらい、あの映画は影響あったよね。やれるんなら俺たちもやるかという話で。

浅井:それこそインターネットで無修正動画が簡単にみられる時代になって、スクリーンの中の“ホンバン”なんて社会的なインパクトはいまは微塵もないんだなって実感しました。

今野:別のものになってるでしょ。あのときあれだけ衝撃があって、本番行為をしましたと。で、女優までも代わったわけじゃないですか。あたしがやりますと身体をはってやったこと事態がすごいインパクトだった。そのインパクト性はもうない。

浅井:なんにもないですね。

今野:そのときに、この『NO NEW YORK 1984-91』にあまり興味がないと感じる。他の芸術性に関してはいいけど。

浅井:だからそういう意味では、この作品に出てきている方法論がいま通用するかなっていったら通用しないっていうのをすごく感じます。ただ懐古として観るのではなく、その表現自体ではなく、もっと根源的というか生理的に体制に対してNOという姿勢には普遍性があると思います。


情報が劣化コピーを重ねていって世の中に広がっていくもののイメージをフィードバックして届ける

浅井:さっきの身体性ということで言うと、現在今野さんは浅草橋にギャラリー・スペース『パラボリカ・ビス』を運営していて、展覧会『BABY THE STARS SHINE BRIHGT&澤田知子展』(5/31終了)をされていますね。

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『BABY THE STARS SHINE BRIHGT&澤田知子展』のチラシ

今野:そうフルネームで言われるとちょっと恥ずかしいけどね(笑)。

浅井:これは、二次元を見るのではなくきちんと自分の身体で感じてほしいと。

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今野:ロリータとかゴスロリとかっていうけど、「ゴスロリ」をちゃんと認識できている人はあまりいないんじゃないかと思っています。僕は『夜想』を復刊するときに、「ゴス」という特集で復刊したんですね。それにはいろいろ理由があって。最初は、いまの子供たちは「ゴスロリ」って言ってるけど、わけわかってないから教えてやろうかなって思って「ゴシック」の特集を組もうと思ったわけ。それはすごく失礼な話で、そう思ったのは一瞬で、現実の方が凄かった。途中で「ゴシック」と「ゴス」って実はあまり繋がっていないことに気が付いて、これは新しい動きなんだなと思ったんです。

写真:『夜想』復刊第1号 マリリン・マンソンからゴスロリまで、ゴス・カルチャーを特集

「ゴスロリ」と言われるけど、「ゴス」と「ロリ」って全然違う感覚を持っている人たちなんです。『ゴシック&ロリータ』という雑誌で、「ゴス」と「ロリ」をくっつけて、両方地べたから発生したものを一緒に取り上げたものだから、「ゴスロリ」ってついてきてしまった。そのうちファッションブランドとなっていくから、「ゴス」も「ロリ」もごちゃごちゃになった服を着ている。だけど、根本をみると「ゴス」と「ロリ」は全然違う、むしろ逆。だけど、その違いや中身は体験してみないとわかんない。そのくらい、モノってわかりにくくなっている。

でも世間はよく見ないで利用する。昨年横浜美術館で、ゴスの展覧会『GOTH-ゴス-』展があったわけじゃないですか。あの中はゴシックもロリータもめちゃくちゃだし、ファッションも変だし。これを世界に向かって「ゴス」といっているのかと。結局資本主義で洋服を売ったり、雑誌を売ったりメディアにする人たちが便利だからそういうふうにする。洋服売る人たちもそれにのっとった方が売りやすいから。なんだかわからないものが広がっていき、海外では「ゴスロリ」って言われる。


浅井:今野さんとしては、世間にはびこっている「ゴスロリ」という概念は間違ってるというのが多いというわけですね。

今野:多いというか大半が間違っている。いまうちで展覧会をしている現代美術の澤田知子さんは、「BABY,THE STARS SHINE BRIHGT」の服を着て写真を撮っています。これがヨーロッパへ行くと「ゴスロリ」と言われるんですよ。この洋服はロリータだから「ゴス」の要素はゼロなんです。でも、向こうへ行ったら「ゴスロリ」だと。誰も否定しないんですよ。作家も否定しない。作家にとっては、日本で流行っているものなら良いんです。ゴスでもロリでも。

結局、何が一番いいたいかと言うと、メディアとかいろいろなものの中で、あるイメージがどんどんコピーされていき、劣化して混合していくという傾向があって。その中で見えなくなってきているものがすごく多い。その劣化コピーのなかにもっとも劣化していくのが、身体性ですね。

だから、ロリータがロリコンの人と死ぬほど関係がないっていうことをわからずにいることと、セクシュアルなものとかがぐちゃぐちゃになっているのかなと思う。そこに、身体を回復するにしても、情報が劣化コピーを重ねていって世の中に広がっていくもののイメージをフィードバックして届けないと、身体論もできない。つまりロリータの身体論とゴシックの身体論は違うわけですよ。着ている子たちの感覚とか。ロリータの子はカッティングもピアスもしないですよ。
もうひとつ面白いのは、『夜想』が復刊してダメになったねと言われるんですよ、30代半ばから上の人に。

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パラボリカ・ビスでおこなわれた『BABY THE STARS SHINE BRIHGT&澤田知子展』の展示模様

浅井:それはテキスト量が減ったっていうこと?

今野:そう。文字だけの方がいいよね、昔みたいにハードに言葉を使わない雑誌なんてエッジが立っていないとかって大半の人に言われる。文字はわかりやすくなっているかもしれないけど、昔の1.5倍くらいの文字数が入っている。なぜかといえば版がデカイから。だから、実は文字はものすごく多い。ここでネタ話をしちゃいけないけど、気持ち的には文字の中に書かれている、いろいろな問題点を読んでもらいたくてビジュアルを多くした。極端な話、僕はビジュアルはいらない。ビジュアルは本当の展覧会でやればいいから。

浅井:雑誌のビジュアルはサムネイル的なガイダンスであって、きちっと本物をみせればいいんだと。今野さんが出版している雑誌『夜想』やギャラリー『パラボリカ・ビス』は、さまざまなメディアによって劣化コピーされたものを、もう一回きちんと腑分けしてオリジナルとはこういう考えだという事を『夜想』で、フィジカルに感じられるリアルを『パラボリカ・ビス』で読者や観客に提示しているということですね。

今野:昔、僕は天井桟敷に関わっていて、体験の与える影響のすごさというのがあるから。人形を見て、生まれて初めて人に本気で魅入られましたという人がいるわけ。錯覚や思い込みもあるかもしれないけど、そこで何か起きているわけでしょ。それが面白いわけ。そんなの雑誌ではなかなか起きない。

浅井:『パラボリカ・ビス』は3年目ですね。サムネイル的な雑誌とリアルなギャラリーを自分のところでできるようになったっていうのはどうですか。

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今野:これは偶然で、建物が可愛かったから借りちゃっただけで、いつもあまり先のことを考えない性格なので、ギャラリーの運営も、芝居みたいなことも出来るし、踊りの演出もやってきた。でも、ギャラリーはやろうと思ってやったことじゃない、かっこつけてるわけじゃなく。僕は場所を持ってやるのは初めてだから、城を持ってかっこいいというのじゃなく、「やだこれー」って感じが今もつきまとっている。人のところにいってガチャガチャやった方が楽しいなと思って。「やらせてください」とか「この条件でどうですか」って人に言われて、「もうちょっと予算どうにかなりませんか」という僕は嫌だね。おっきな音出さないでとか…言いたくないですよ。
アップリンクは長いこと映画を配給してるし、場所もっているし、ほんとすごいと思う。浅井さんはその意味でほんとにレスペクトできるメディア人です。

写真:『パラボリカ・ビス』の店内

浅井:映画も結局、スクリーンの上で二次元が動いてる世界じゃないですか。だから、こうやって今日のトークショーみたいに三次元で身体性があるものを発するものの方が影響力があると思っています。ゲームやネットで、一番欠けているのは一回限りの身体性のあるもの。だからその辺はジャニーズ事務所はすごいなと思う。

ジャニーズ事務所はライブで稼いでいるし、昨年マドンナはライブネーションというイベント会社と契約して所属がレコード会社じゃなくなった。日本で言えばウドー音楽事務所みたいなイベンターと契約して所属アーティストになっている。やっぱり、ネット=ヴァーチャルな世界がある一方でライブなものは求められていると思う。


皆が望んでいるのは美しく滅びること。回顧的な部分には相当嫌気がさしている

浅井:『夜想』はいまはどのようなサイクルで出しているんですか?

今野:一年に一回ですね。紙メディアは大変で、不況でかなりやられていると思う。ただ、出版社はいくつ潰れても不思議じゃないし、『ART iT』とかもなくなったけど、そういうことがいくら起こっても不思議じゃない。

浅井:『夜想』は1500円でフルカラーに近い信じられない価格ですね。

今野:それを言ってくれる人は昔の人だね。あと、本を作ってる人ね。

浅井:あり得ないですよ。普通につくったら3500円の本。

今野:3500円ではぜったいに売れないね、無理だね。カラー800円でも売れないご時世だから。中身がすごいものがほしいといわれるけど、そう言っている人は買わない。そういう人にどれだけ騙されたことか。そういう読みもしないで中味をうんぬんするようなところに、僕は相当嫌気がさしていて。回顧になった段階だと、みんな優しく朗らかになる。

僕は浅井さんを信用していて、すごいなと思ったのは、『ペヨトル工房』(今野氏主宰の出版社-1978-2000)をやめようと思ったときに、その前にね、ちょっとの間休眠をしようと思ったわけ。ペヨトル休眠宣言をナディッフでした。そのときに、浅井さんが心配して駆けつけてくれた。「お前大丈夫なのか、続くならやればいじゃん」って。心配してくれたのは浅井さんと、写真家の畠山直哉だけだった。あとは誰も反応ゼロで。それから二年後にほんとにやめたんですよ。やめたらやめた途端、「続けてたらよかったのに」って山のように皆に言われて。たまたま在庫を皆でつくって売るという運動が起きて、京都西部講堂でイベントをやって全部終わったんですよね。ところが、『夜想』を再開した途端、「なんで始めた? お前はしょうこりもなく」って。中傷メールがきたからね。「やめるってかっこつけてあれだけ皆に迷惑かけたのに、まだやってやがるのか」みたいなメールが来た。

だから、皆が望んでいるのは美しく滅びること。あと80年代は、たとえば西武百貨店文化(セゾン文化)はダメだってしばらく言ってるけど、いまになってよかったっていうように、回顧が好きなのよ、その時にはじめて褒める。その現場で身体張ってガンガンやってるときに意見は言わないし、助けてくれないけど、終わったらぼろくそに言って、記憶が遠くなるとあれはよかったし私もだいぶかんでいた、みたいなことを言う。嘘だって。そこにいなかったくせに。
30代以上には申し訳ないけど、僕は30代から上は関係ないと思ってる。ドントトラストオーバーサーティ。自分も入れてのことだけど。

浅井:若い人をターゲットにしているわけですか。

今野:10代とかね。いまの『夜想』は、あまいといわれるけど、いいんだよ。そのあまい部分で入ってきてもらわないと、あの子たち、感性はあるけど教養はないから入ってこれないじゃない。あまい部分から入ってきてもらって、理解してもらいたいというのがあるから、いまの『夜想』はゆるいわけ。でもゆるいのはドレスコードのことで、中味を緩くはしたくないんだけどね。

浅井:それは今野さんの同世代じゃなく、10代、20代に向けてメッセージを発信するということ?

今野:メッセージというよりも、これを受け入れて、この感覚を包容する感じだね。メッセージをだせるほど地べたを理解してはいないですね。

浅井:そこに何の戦略があるわけですか?

今野:戦略はないよ。ただ、これを快楽として生きているだけだから。儲かるとか、かっこいいだろうだろうという気持ちはもうないね、いい歳だから。30年もやってきているから。

浅井:若い子が好きなわけではないよね。

今野:ない。感性の動いている部分、なにかを投げたときに「いい・ダメ」といってくれる、その反応があるのはその子たちだから。だって見ないでさ、字が少ないだの、中身がないだのっていうのばっかりだから。ちゃんとアクセスしてないし、イメージで言っているから。中味に関してもべつに完璧でも何でもなくて、試行錯誤でもがいているんだから、うっと言うような指摘ってできると思うんだよ。それを世の中的に「ゴスロリってバカじゃん」って言われてるのと一緒で、『夜想』ってダメじゃんって言われてもねぇ。中味にアクセスしていない、そんな文字の読めない大人とはあんまり関係したくないね。

浅井:それは、ちょっといじわるな見方をすれば、今野さんをわかってくれるのは10代20代しかいないってこと?

今野:わかっているかどうかわかんないよ。ただ、アクセスルートが少し空いてる部分というか…。こっちの思い込みかもしれないけど。

浅井:30代以上はアクセスルートがそんなにない?

今野:ないねぇ。『夜想』があまいっていうのは、本当にその通りだと思う。カッティングエッジでやれって言われたら、望んでいるカッティングエッジはある程度できると思うんですよ、すごい生意気な言い方だけど。カッティングエッジが何のメディアとして役に立つのか、ですね。

浅井:かつての『夜想』から比べてあまくなったとわかった上で続けるモチベーションはなんですか?

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今野:昔、カッティングエッジだったと思っている自分というのは、この『NO NEW YORK』に出ている「抵抗」みたいな感じで、その辺はかっこいいだろう、本格的にわかっていなくてもここでやったらかっこいいだろうとやっていた部分があるから、そいう意味でのカッティングエッジだったのかなって反省もある。基本的にコンテンポラリーってエッジが立ってないと僕はダメだと思うんですよ。そのエッジじゃなくて、資本主義の遊びの中で立てていく部分じゃなかったかなと思う。エッジを立てたねって言われる自分は、たいしたことのないエッジを立ててたんじゃないのかなって気がするので。それは今思うと褒めてくれてありがとうって感じだけど。

写真:リチャード・カーン『ユー・キル・ミー・ファースト』より

今と同じようなことをやるとしたらファッションでしかならないし、本当に影響させられるだけの中身をできるかどうかと考えると、それはもうちょっと違う自分をつくってやらないとダメだと思う。たとえば、僕は雑誌で笙野頼子論とかやりたいわけですよ。わけのわかんないと言われている小説を書く小説家がいるわけ。どもそうじゃなくて分る。僕はやっぱり日本一すごい人だと思う。


浅井:それを自分で持っているメディアで展開はしないの?

今野:無理でしょう。その好き勝手なレベルでやったら…500冊売れるかなぁ。そうやってだいぶ雑誌にダメージを与えたからなぁ。『Ur』とか『EOS』とか。

浅井:やはり経済的論理が働くわけですね。

今野:働くし、実際的に申し訳ない言い方するけど、いま日本文学読んでる人たちとか、いろんなものの読みの浅さとかダメさ加減ってかなりひどい。たとえば寺山さんの時代がゆるかったというのは、時代もゆるかったし皆ゆるかったじゃないですか、やっていたことは。『NO NEW YORK 1984-91』の中に出てくるような、ああいう気分でも表現に近いところが似ていたと思う。そのことを否定しているんじゃなくて、現在の自分から見てそのイヤだっていってるんですよ、僕はその当時はあっちにいたんだから。それを誇る気持ちにはならないですよ。

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浅井:そこを一番聞きたいんだけど、いまこれを反復したら、表現のスタイルだけを真似たらかっこわるいし、伝わらない。この作品に出てくるニック・ゼッドとか僕らより年上なのかな?でもやっぱりガキじゃん、なにも変わってないじゃんって感じで、彼の2~3年前の映像を観てもそう思います。いま、もし今、エッジの立った表現なり、メディアの方法論でやるとしたらどういう方法論でやるのか? それを10代20代に向けるのか。

写真:ニック・ゼッド

今野:うーん。ここで答えを言えないのは、かなり卑怯だけど…たぶん探している最中なんだと思うね。まだ全然わからない。僕は、エッジを立てて成功することを10年くらいやってきて失望してきた。たとえば、大きなギャラリーがいくつやめた時期がある、川口現代美術館、日鉱ギャラリー、エキジビットスペース。大型のギャラリーってすごく必要なんですよ、若い人がジャンプして大きな展覧会をするために。そのギャラリーが潰れたときに、これはどうにか回復する運動しなくてはと思って運動をしたんです。


でも、作家さんが参加してこないんです。自分の作品が収蔵されているのに。潰れるギャラリーを守るというシンポジウムをしたときにも、誰もでてこない。自分が生きのびればいいやっていう感じなわけですよ。現代美術を守っていく気持ちはないんだなって思って。そういうのを三つぐらい体験したから、なんだよ!海外なら作品を売ってサポートするよ。それが建前でしょう。コンテンポラリーアートの。建前も守れなくて何がコンテンポラリーかよ。なのに『夜想』だと雑誌で僕らには相応しくないなんて言われたので必死になって『Ur』とか作ったんだけど、結局、作家も観客も興味をしめさない。

つい最近では東京都知事が潰した、大塚にある同潤会アパート。そこをアートで守ろうという運動があって。強制執行みたいになったときに、その中にアートの作品を置こうと僕が提案したわけ。置いたら潰しにくいから。作品は作品だから、どこに置かれようと潰しちゃいけない権利がある。だからすごい有効だから夜中に忍び込んで皆で作品つくっちゃおうぜって。ところが、アーティストも運動している連中も、「合法的にやりましょうよ」っていうわけ。「チラシをいっぱいまいてるのも合法じゃないからやめましょうよ」っていう。アップリンクは昔、地べたにチラシまいたでしょ(編集部注:映画『π』のゲリラ宣伝で道路にπの字をスプレーで描いた)。僕らも昔、アピールするためにシールを山のようにはって。あれはルール違反だけど、そんなのルール違反だと思ってなかった。

アートにおいて、ここは僕らのルール、人を殺しちゃいけない。ここはアートの限界、でもここはやっていい。美しい建物を守るためだったら、中へ入って作品を置いたり、チラシをまいたりとか、東京都庁にチラシを張りに行こうぜ、はがれないやつでって言った。でも誰一人同意しないんですよ。その理由が、「合法的じゃないとダメだから」って。東京都が議会で通して潰すって決めたものを、ひっくり返すのには非合法になるしかないじゃない。アートにおける合法でいいじゃない。

浅井:充分、今野さんは「NO NEW YORK」ですね(笑)。

今野:そうだけど(笑)。そのときに誰一人もやらないわけ、現代美術のディレクターに止められて。ダメだなこの国はって思った。僕は別に逮捕されてもいいよって、やるよって。でも、本当に止められて、「この運動が汚れるからやめてください」と言われて。アートじゃないのかって言ったら、「今野さんの考えているアートと僕たちのコンテンポラリーアートは違います」って。20歳下の若者に説教されて、僕はキレて、もういいやって。失望してるんだよ、そういう部分では。成功して本当に評価があるならやろうぜって感じなわけ。だけど、ないわけよ。ないのにダメじゃんって思うし、それをむしろあとで郷愁してあのときはよかったねって。あのときはよかったねって見ているお前らは、ほんとにそういう時がきたら動くのかよって。

浅井:そこで、まだそういう態度をせまられない10代に向けてのメッセージを発しようと思ったわけ?

今野:自分が雑誌を作りながらそこまで考えてるかわかんない。本能でしか動いてないから(笑)。汚されない人たちにいいメッセージを届ける仕事の方が楽しいなって。僕はその程度。


自分よりも劣化していると思う文化に対してバカにしたがる大人たち

浅井:この展覧会『BABY THE STARS SHINE BRIHGT&澤田知子展』は大半はファッションブランドを目的に見に来ていますよね。澤田さんの写真を見て「なんでこんな太った人がモデルなんだろう」とかって来た人は思いますよね(笑)。

今野:澤田知子さんね(笑)。そういうのが面白い。こっちは現代美術でアピールしていて、その子たちは洋服で来ているわけで。なんで私たちの聖なる服をこんなブスが着るんだって思うかもしれない。それが面白いとこだよね。だってブスの身体を武器にして現代美術をやっているわけでしょ。澤田さんの作品は、何で私がやるかっていうのかの問いかけだから。ロリータの服を着るのも、究極私が何かって言うことと関連はある。

浅井:今野さんの中では、ここに来る10代の女の子たちもある種、今野さんの仕掛けの展示物であるわけだ。

今野:仕掛けかどうか分らないけど、そう。みんなも作品に近い。

浅井:それを見に来る大人が、今野さんが見てほしい大人でもある。

今野:うん、僕も見ている。たとえば、コスプレとロリータの服を着るのはどこが感覚的に違うのかって、わかんない奴にはわかんない。問題は分らないのにバカにして語るわけ。わかんないんだったらいいじゃん、ほっとけばって。なのに語りたがる、バカにしたがる、自分よりも劣化していると思う文化に対してバカにして喋ろうとする大人たちの、実はモノがちゃんと見えていない大人たちは僕は嫌い。それは大人が劣っていると思っているだけで、そんなことはないですよ。

たとえば、哲学をやってきた人たちは、その哲学の理論だか、言葉だかで喋るわけじゃないですか、文化をいろいろ。何も見えていない。哲学のある種のルートを喋っているだけで。それは何の役に立つのって?見えていないものを見えたかの如く言い、「いまの若い子は」とか、「いまのロリータは」とか言いつつ、喋ってるやつは全部違っているわけだから。有効じゃないでしょ、言葉が。インテリだからちゃんと言葉は使えよって思うわけ。インテリが言葉によって何かを表すのは重要なわけ。評論も大事。そこにエッジが立っている、立っていないって話でしょ。

浅井:『NO NEW YORK 1984-91』と関連するなら、この映画の中での仮想の敵は政府や金持ちだったけど、今野さんの敵は政府や金持ちに回収されてしまったアーティストやインテリたちですか?

今野:ソファでふんぞり返ってってしゃべっているあの人たち。自分たちは何かをしたと思い倒しているかもしれないけど、それは自己満足だったんじゃないかと。やってるときはいいよ。いま、あれをああいう格好で喋っていて、「じゃあお前たちは一体何なの?」って。レーガン政府がとかって言ってるけど、いまの政府だって一緒じゃん。それを何一つ変えられなかったし。

日本だって同じじゃない。麻生がなんとかいえば、みんな「そうなんだ」というわけ。麻生が『ローゼンメイデン』(PEACH-PIT作)のマンガをふりかざして、若者の見方とか、秋葉原がどうのこうのっていうけど、あんなの秘書がいてふりまわしてるだけで、どうせ『ゴルゴ13』とか『課長・島耕作』とかなわけじゃん。『ローゼンメイデン』の中にあるメッセージでいいのは、ひきこもりを描いた作品なんだけど、「壊れた人間なんか一人もいない」という素晴らしいメッセージを書いている。引きこもりをネガティブにしないで、ポジティブに描くのは凄いですよ。それを麻生さんが『ローゼンメイデン』を手に持って「壊れている人間なんか一人もいないんだ。皆ポジティブでがんばろうぜ、このローゼンメイデンのように」っていうのはいいけど、「俺はこれはわかってるぜ」ってふりかざすのは最低だよ。そういう国のこの状態は僕は嫌い。

浅井:そこで、映画の中の彼らはセックスとバイオレンスを、当時タブーとされているような表現を武器にしたけど、いまは、武器となりえる表現はありますか?

今野:いまのところわかんないね。どうしたらいいのかわかんない。10代の先に可能性があるかなんて簡単に言えない。可愛そうだよ、そんな重荷を背負わせたら。大人が蹂躙しているんだから、ただでさえ。

浅井:単純にあるなしじゃなくて、劣化コピーの影響を受けている率が一番少ないだけのところに賭けているわけですか?

今野:そうですね、正確にいうと。賭けているかどうかわからないけど、とりあえずそこの方が反応がダイレクトだからいいよね。

【後編】へ続く


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■今野裕一PROFILE

元ペヨトル工房代表。20年以上、インディペンデントな出版社として活動。『夜想』『銀星倶楽部』『Ur』『WAVE』などの雑誌やユニークな単行本を出版。2003年に再び『yaso』を復刊し活動再開。2006年、ギャラリーとショップ&カフェのあるスペース「パラボリカ・ビス」を浅草橋にオープン。7月20日より「ENSEMBLES 09 休符だらけの音楽装置」展 EXTRAを開催。
http://www.yaso-peyotl.com/
Yaso editor’s talk

■浅井隆PROFILE

アップリンク主宰、webDICE編集長。74年、演劇実験室「天井桟敷」に入団、寺山修司の他界による劇団解散まで舞台監督を務める。87年、有限会社アップリンクを設立。93年~2000年まで、映画・音楽・アートの隔月間誌『骰子(ダイス)』の刊行。書籍ではベストセラーとなった『マルコムX自伝』『ロバート・メイプルソープ写真集』などを発行する。2005年5月、デジタル・シネマ「アップリンクX」と多目的イベントスペース「アップリンク・ファクトリー」「アップリンク・ギャラリー」、カフェ・レストラン「タベラ」を一カ所に集めた総合カルチャー・スペースをオープン。2008年にはカルチャー・ポータルサイト「webDICE」をオープン。
http://www.uplink.co.jp/


DVD『NO NEW YORK 1984-91』
アップリンクより発売中

監督・撮影・編集:アンジェリーク・ボジオ
出演:リチャード・カーン、ニック・ゼッド、ジョー・コールマン、リチャード・ヘル、リディア・ランチ、サーストン・ムーア、ブルース・ラ・ブルース、他
2007年/フランス/70分
価格:3,990円(税込)
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※本作品には、性的または暴力的表現で刺激が強く人によっては非常に不快に思うシーンが含まれていますので鑑賞の際にはあらかじめご注意ください。

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