骰子の眼

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2009-09-25 22:20


『マンガ漂流者(ドリフター)』第21回:マンガ家らしくないマンガ家・タナカカツキの仕事vol.6

いよいよ『バカドリル』を本腰を入れてご紹介。フリーペーパー「GOMES」、そして「ビックリハウス」が与えた影響とは?
『マンガ漂流者(ドリフター)』第21回:マンガ家らしくないマンガ家・タナカカツキの仕事vol.6
左)96年、「GOMES」2月最終号 右)85年、「ビックリハウス」最終号

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そもそも『バカドリル』はマンガなのか?疑問に思うのは無理はない。何故なら『バカドリル』とはマンガの破壊者だからだ。それでいて、マンガでしか有り得ないパラドクス!一体、『バカドリル』とは何なのか?さらに『バカドリル』が連載されていたパルコのフリーペーパー「GOMES」から、80年代に一斉を風靡した伝説の雑誌「ビックリハウス」まで遡り、共通する「お笑い」センスを炙り出す!

■『バカドリル』を知らないあなたに

さて、連載中にも何度も名前を上げている『バカドリル』。「webDICE」の読者にはそんなこたァ百も承知之助(古っ!)と言われそうだったので、説明をはんなりと保留し続けてしまった。いい加減、目を逸らさずに本腰を入れて紹介したい。熟知しているという人はどーんと飛ばして、忘れてた&知らない人懐かしいなと思う人は読んでほしい。

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91年、「GOMES」11月号『バカドリル』第一回より

■『バカドリル』とは?


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天久聖一とタナカカツキの二人が手がける一連の作品のこと。「バカのためのバカによるバカのためのドリル」という高い志で制作された『バカドリル』は、大きく分けるとマンガ、HOW TO本、説明書など、ありとあらゆるものをパロディにし尽くしたコマ割りのない「ギャグマンガ」と『バカドリル・コミック』に代表されるような不条理マンガの2パターンが存在する。制作方法は主に天久が書いたテキストを元にタナカがイラストを手がけているそうだ。
参照:ほぼ日刊イトイ新聞『バカドリル』を知ってますか~?

「バカドリルコミックス」(扶桑社)、「バカドリルXL(エクセル)」(扶桑社サブカルPB)書影

『バカドリル』はパルコ出版「GOMES」にて、休刊となる96年2月号まで連載された。その後、96年に天久聖一は『バカドリル』のCD-ROM版とも言える「メカドリル」を九鬼よりリリース。ゲームとして成立していないバカゲームの数々とその説明書、「GOMES」にも執筆していた白根ゆたんぽやブックデザインも担当したヒロ杉山が描いたイラストが収録。「メカドリル」は作家としても活躍するせきしろと天久が共同で執筆している。

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99年には再び天久&タナカのコンビで『バカドリル』で生まれた卑しい系キャラ「ブッチュくん」をフィーチャーした「ブッチュくんオール百科」をソニー・マガジンズより発売。同書はコロタン文庫などの大百科シリーズや藤子藤二雄を模したデザインで、マイナーなものからメジャーな作品までをセンス良くパロディにしている。定価1300円だったとはとうてい思えないブックデザイン、分厚さ、充実過ぎる内容で、今作ったらいったい原価いくらになるのだろう……と途方にくれたくなるほど豪華で贅沢な本だった。ちなみに、帯のコメントは天久がPVを手がけるなどし、交流のある電気グルーヴの石野卓球。「全ての夜尿症患者、必見!」という意味不明なものだった。

96年「メカドリル」(久鬼)。この流れは後に電気グルーヴの監修した自称クソゲー『グルーヴ地獄V』に受け継がれていく。

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その後、いろいろあって、08年には約10年ぶりとなる新作「新しいバカドリル」がポプラ社から刊行されたのを皮切りに、09年4月よりmixiニュースにて、再び連載スタート。有名な文学、歴史のタイトルを企業やマンガのロゴで表現した最新作『ロゴドリル』(※1)や『妄想ボランティア』シリーズを発表している。公式サイト「バカドリル」では、デジタルコンテンツとして生まれ変わった『ブッチュくん』やmixiニュースで発表された『バカドリル』シリーズを読むことができるので要チェック!

シルバー、金箔箔押しの表紙がイカス!99年「ブッチュくん」(ソニー・マガジンズ)書影。


■『バカドリル』が連載された「GOMES」とは?


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「GOMES」96年1月号表紙。表紙にはポップなイラストが採用されていた。

86年よりパルコが発行していたビジネスとファッションの業界誌「FiZZ」とティーン誌「PUNTS PRESS」(※未確認)が合併し、89年の4月に創刊されたのがフリーペーパー「GOMES」(5月号)である。サイズは「FiZZ」と同じくタブロイド判(新聞と同サイズ)だった。創刊号の編集後記によると「今までの二紙とは内容も読者も異なります」と書かれてある。内容は西武グループが協賛するコンサートや展覧会、アーティストのインタビューやコラムなど、若者向け情報誌といったおももちで、「パルコに来るブランド品を買うようなOL」向けな内容であった。

しかし、「GOMES」は徐々にその本性を露わにしていく。7月号では、小学館「ビッグコミックスピリッツ」にて連載中だった相原コージ『コージ苑』、雁屋哲、花咲アキラ『美味しんぼ』、久保キリコ『いまどきのこども』、講談社「ヤングマガジン」にて連載中だった大友克洋『AKIRA』など、当時、青年誌で人気のあった作品を1コマをコラージュし、日本マンガの素晴らしさを啓蒙する特集記事「日本のマンガはスゴイ!!」を掲載。そういえば、96年に発売した岡田斗司夫の「オタク学入門」(参照:「サブカルチャーとオタク文化」)では、いわゆるカッコつきの「サブカル」を「日本のファッションやサブカルチャーはモノマネの域を出ない。(中略)日本製サブカルチャーのかっこわるさは、「思想なきファッションのかっこわるさ」なのだ」と批判しているのだが、さかのぼること7年前、すでに「サブカル」の総本山として認知されていた「GOMES」が「映画や音楽は今でもコピー文化にすぎん!マンガこそは現代日本が生んだ唯一のオリジナルカルチャーだああ!!」とネタにしているのだから興味深い。無意識で似てしまったのか、これを読んで、その「視点」を真似たのだろうか気になるところだ。

こういった「悪ノリ、悪ふざけ」こそが「GOMES」らしさである。同号では他にも「マンガグルメに捧げる ギャグ・マンガ NEW・WAVE」という特集記事で山田花子、天久聖一、ピストンやすたか(現、とがしやすたか)、中川いさみなど新人ギャグマンガ家を紹介している。翌 8月号からは、マガジンハウス「パンチザウルス」でデビューしたもののすぐに雑誌が廃刊し、行き場を失っていた天久聖一が『○○のしくみ』シリーズというギャグマンガの連載を開始。その後もギャグマンガのレビューや吉田戦車の展覧会など、ファンにとって痒いところに手が届くマンガ情報をいち早く紹介したほか、90年2月号では特集「笑いは世界を救う(かもしれない)」が組まれていることからも分かるが、創刊当初、「パルコに来るブランド品を買うOL」向けだったはずの「GOMES」は次第に「お笑いやマンガが好きなティーン層」向けの内容へと誌面が変化していったのだった。

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日本マンガの素晴らしさを啓蒙する特集記事「日本のマンガはスゴイ!!」を掲載。同ページ寄せられたコラムでは呉智英も「文化省は直ちにマンガに助成金を出せ!」と思わず叫んでいた。「アニメの殿堂」の建設に揉める09年ニッポンを予言?「GOMES」89年7月号より。

■不条理マンガの流れ

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『バカドリル』が生まれる前のギャグマンガ界の状況を整理しよう。まず、小学館「ビッグコミックスピリッツ」を爆心地に勃発した不条理マンガブームがある。85~88年に相原コージ『コージ苑』が先導し、89年には吉田戦車の『伝染るんです。』が開始、90年に中川いさみ『くまのプー太郎』と90年代初頭にかけて続いたブームである。猫も杓子も不条理マンガだ!ワッショイ!ってなわけで、さくらももこでさえ『神のちから』という不条理マンガに類する連載していたほどであった。

吉田戦車の影響が色濃いが、ここで生まれたキャラクターは『コジコジ』へと昇華。さくらももこ「神のちから」書影。

「不条理マンガ」とは、理由なきものを面白がる不条理ギャグを取り入れたマンガのこと。78年の吾妻ひでお『不条理日記』をタイトルから祖と捉えることもできるが、ここでは80年代後半から90年代初頭にかけて起こり、発展したブームを指すことにする。この不条理ギャグとは、マンガだけに限ったブームではない。当時のお笑いの主流でもあったのだ。お笑いでは「ダウンタウン」や「ウッチャンナンチャン」の人気、音楽では「電気グルーヴ」の活躍も無視できない。いずれも当時、若者に絶大な人気を誇っていたニッポン放送の『オールナイトニッポン』にてパーソナリティを務めていたことも付け加えておこう。さらにたどると小堺一機と関根勤のラジオ番組『コサキン』もだろ!と突っ込まれそうだが、あまり何でもかんでも関係性があると書いていると頭がおかしくなりそうなのでやめておく。

こういった「笑い」のセンスはラジオ、テレビ、そしてマンガへとジャンルを越え共有されていくことになる。単行本はベストセラーになるわで大騒ぎ!これまで「不条理マンガ」を読まなかったサラリーマンや小学生にまで読者層を開拓した。そりゃあ、カワウソ君ショップが原宿の竹下通りにオープンもしますよ。マンガのキャラクターがタレントショップと肩を並べる前代未聞さです。09年の現在、30代前半の大人がこの時の出来事を思い出して思わず「懐かしい~」と飲み屋でつい盛り上がる姿が眼に浮かぶようです。

話を「GOMES」に戻そう。91年11月号より、天久聖一がマンガ家やミュージシャンにインタビューする企画「ほのぼのインタビュウ ほっぺにちゅう。」がスタート。記念すべき1回目のゲストはタナカカツキであった。その他には、ナゴムレコードからアルバムをリリースし、TV番組「いかすバンド天国」にも出演したバンド「マサ子さん」のマユタン、マンガ家の若林健次、最終回となる10回には『伝染るんです。』が大ヒットしていた吉田戦車が登場。天久の交友関係の広さが発揮されていた。そして翌11月号、満を持して『バカドリル』があのおっしゃれーでナウいパルコのフリーペーパー「GOMES」で開始することができたのはこういった時代背景からだ。「不条理マンガ」としてまさに、最後っ屁。だからこそ、破壊の限りが尽くせたのである。

「GOMES」の特徴である「ポップなイラストを使ったパルコから発売されていた面白雑誌」といえば……ピン!ときた人も多いだろう。さて、ここで「GOMES」の祖先ともいえる雑誌「ビックリハウス」を紹介せねばならない。そして、「ビックリハウス」が、ラジオやテレビなどマスメディアに与えた影響のことも語らねばなるまい。なぜなら、この連載がマンガ文脈「以外」のマンガを語っていこうという途方もない野心を燃やしているからだ。これが、サブカルチャー魂!サブカルマンガの元祖はマンガに非ず!だから誰も語ってくれないのよ、とほほのほ。

【はみだしコラム1】
「ビックリハウス」の影響

75年に渋谷のタウン誌として、「GOMES」と同じくパルコが創刊した「ビックリハウス」は、85年まで続いた雑誌。「GOMES」に「ビックリハウス」と似た「笑い」のセンスやテイストを感じた人、ビンゴである。出版元、執筆者の共通もさることながら、「ビックリハウス」の編集プロダクション「エンジンルーム」に所属していた故コイデヒロカズ(※2)が「GOMES」の編集スタッフであった。他にも「ビックリハウス」関係者の多くが「GOMES」の企画や編集に関わっていたようだ。

「ビックリハウス」は80年代的なキッチュ、ユーモア、パロディをモットーにした面白雑誌で10代後半の読者に圧倒的な支持を集め、当時の若者文化に多大な影響を与えていた。ちなみに80年12月号「ビックリハウスレポート集計結果」によると読者は10代後半のモテない童貞と処女。ちなみに編集者の平均年齢は26歳で全員未婚だったとそうだ。

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非モテ読者をイジって、編集者でオトす!粋なやりとり。「ビックリハウス」80年12月号「ビックリハウスレポート集計結果」より。

「ビックリハウス」の影響力は計り知れず。すでに「ビックリハウス」とはジャンルの一つとなっている。テレビ、雑誌はもちろん現在のインターネットにある読者参加型のコンテンツ、アイディアのほとんどが実現されている。「ビックリハウスは読者の上に読者を作らず、読者の下に編集者を作る」と初代編集長だった萩原朔美が表明したとおり、読者主導型のコンテンツの先駆けとして、2ちゃんねるや「ニコニコ動画」、ライターがくらだないことを実行する独自取材が売りのニフティのコンテンツ「デイリーポータルZ」などに類似性を見出すことはあまりにも簡単だ。

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「ビックリハウス」78年8月号からスタートした『今月のポーズ コンポ』より。

「ビックリハウス」のコンテンツは大まかに2種類ある。まず、「ハウサー」「BH」と呼ばれる読者からの投稿を紹介するものでは、パロディ広告を募集したJPCFこと『日本パロディ・コマーシャル・フィルム』、糸井重里のお題に答える大喜利『ヘンタイよいこ新聞』、決められたポーズを決めた写真を送る「今月のポーズ コンポ」、架空のオモシロ商品を提案する『B-H CATALOG』など、投稿者には当時まだ10代だった大槻ケンヂ(ビッグムーン大槻)、鮫肌文殊、常盤響、串間努、犬童一心、香山リカ、故ナンシー関などが頭角を現し、そのまま投稿者から執筆者側にステップアップした人も多い。その後の彼らの活躍は周知のとおり。

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なぜか天丼を特集したにまつわるユーモアあふれる記事。パロディやおふざけだけでなくまっとうな天丼トリビアも満載。「ビックリハウス」80年7月号 特集『天丼殺』より。

【はみだしコラム2】
楽しいな♪ほかにもあったこんな特集、あんな特集

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投稿モノだけが「ビックリハウス」の特徴ではない!こんなくだらない特集、企画が目白押し。

右)93年にNTT出版より初代編集長であった萩原朔美監修による「ビックリハウス 驚愕大全」書影。当時の記事の一部が再録されている。懐かしい~と思った方は、手にとってみては?

●特集記事

「リンゴ百科事典」、「天丼殺」、「頭」、「桃」、「雑草」などテーマを決め、食料品から芸術までジャンルレスに対象を独自の視点で検証。75年6月号の「リンゴ百科事典」では、「ぼくらは リンゴ・ジェネレーション」とリンゴ復権宣言。リンゴイラスト、リンゴの辞典、詩「りんごの固執」作者である谷川俊太郎へのインタビューするなど、世の流行とはまったく関係なく「リンゴ」にこだわった。75年1月創刊号「大雑草物語」では、「東京という都会で食べられない雑草はないのだということ」ということで銀座や下北沢、渋谷などで雑草を採取、専門家へのインタビューをはさみ、採取した雑草をおいしくいただいている。パロディはもちろんのこと豆知識も充実していた。

●雑誌パロディ

「アン・アン」を「ワン・ワン」に、「暮らしの手帖」を「その日暮らしの手帖」、「少年チャンピオン」を「青少年チャンピオン」にするなど、雑誌をパロディに。

●豪華執筆陣

橋本治、おすぎとピーコ、栗本慎一郎、浅田彰など80年代オールスターズといった面々のコラムや小説が掲載されていた。また、「ガロ」とも交流があり当時編集部にいた手塚能理子が登場したり、鴨沢祐仁、みうらじゅん、安西水丸、ひさうちみちお、根本敬、蛭子よしかず、内田春菊、近藤ようこ、やまだ紫など「ガロ」でも活躍するマンガが掲載されたり表紙を飾ったりしていた。

●雑誌独自の賞

小説公募の「エンピツ賞」、マンガ公募の「カートゥーン賞」や、オモシロい人に賞をあげる「BH賞」は、獲ると売れるというジンクスが生まれるほどで、受賞者にはデビュー間もないタモリ、『がきデカ』のコマワリ君などが受賞している。さしずめ現在の「みうらじゅん賞」といったところか。自己紹介の際に「ビックリハウス賞作家の○○です」と使えば、自慢できそうだ。

●その他

増刊誌「ビックリハウススーパー」、メディアミックスとして、3ヶ月という短い期間ではあったが、TV番組「TVビックリハウス」(※3)、音版として「ビックリハウス音頭」(※4)や「音版ビックリハウス - 逆噴射症候群の巻」(※5)のリリース、3分間で審査員を笑わせたら勝ち!というお笑い勝ち抜きライブ「エビゾリングショウ」(※6)の開催などで、80年代の「笑い」を引率。当時のTV、雑誌などに与えた影響は大きく、ネタやデザインがパクられることも。しかし、それさえもネタにして笑い飛ばしていた。


参照:
※1 ロゴのデザインは映像作家でデザイナーのヨシマルシン。ヨシマルシンの公式サイト
※2 コイデカズヒロ
59年東京生まれ。編集者。パルコ出版「ビックリハウス」 編集部に在籍後、パルコのフリーペーパー「GOMES」をはじめ様々なサブカルチャー雑誌、書籍、デジタルメディアの編集に携わる。98年よりフジテレビのWebマガジン&デジタルコミック誌「少年タケシ」初代編集長を勤める。「ビックリハウス」「GOMES」で培ってきた知識や経験が生かされし、デジタルコミックの先駆けとして注目を集めた。かねてより病気療養中であったが、06年に逝去。享年50歳。現在も「少年タケシ」は続いている。参照:デジタルコミック屋「タケシ堂」
※3 「ビックリハウスアゲイン」77年から78年にかけて千葉テレビにて放映。
※4 79年にキングレコードから発売された12インチレコード。作曲は大瀧詠一、歌詞と歌をハウサーが担当。参照:http://www.ne.jp/asahi/gomasio/rf-2/otakara-11.html
※5 82年に100号記念として、YENレコードより発売されたコントや連載作の朗読、音楽を収録したカセットテープ。伊武雅刀が歌った「テクノ艶歌 飯場の恋の物語」(作詞秋山道男、作曲細野晴臣)の歌詞にクレームがつき即日回収された。その後、細野の「夢見る約束」に差し替えた「改訂版」が再リリースされた。参加ミュージシャンは同誌と関わりの深かったYMOの坂本龍一、細野晴臣、ムーンライダーズの鈴木慶一など。
※6 80年3月30日に西武劇場にて開催。司会はおすぎとピーコ。審査委員には、ツービート、三遊亭楽太郎、赤塚行雄と初代編集長萩原朔美と2代目編集長高橋章子。大賞は竹中直人、次点のパルコ賞には後のとんねるず、石橋貴明が輝いた。

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マンガのキャラクターの「頭」をクイズに。髪型ではないところがポイントか。「ビックリハウス」78年4月号 特集 『頭』より。

このように「ビックリハウス」の遺伝子を受け継いでいる「GOMES」にて連載され、同紙の雑誌カラーを決定付けた『バカドリル』。有名どころをネタにし、徹底的にパロディにした「ビックリハウス」は80年代的である。一方、「GOMES」はメジャーなネタとマイナーなネタをミックスし、オリジナリティが加味。マイナーなジャンルをネタにすることでピンポイントの笑いを誘うもの、ネタの形式だけをパロディや既に何が面白いのか分からない不条理ギャグまで複雑な笑い誘った。これが90年代的センス!である。あたかもディスクジョッキーと呼ばれ、MCと音楽をかけるラジオ番組のDJとクラブでレコードをミックスしていったDJが時代とともに変化していったように。

誤解がないように書くと、「ビックリハウス」にもパロディでは短編小説の公募『エンピツ賞』、“これからのマンガ”なるものを募集したマンガ賞『日本カートゥーン大賞』などオリジナル作品を募る投稿コーナーやビジュアルで実験する『PAPER PLAY ROUND』という連載もあった。後期になるとパロディだけでなく、オリジナルにも力を入れるようになっていく。これは規制が緩やかだった80年代のままではいられなくなっていったことを影響しているのかもしれない。

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紙でできる実験の限りを尽くした「PAPER PLAY ROUND」。「ビックリハウス」79年7月号より。

ついうっかり、「ビックリハウス」について紙数を割いてしまったことをご容赦願いたい。しかし、時代とは断絶しているものではなく、ちゃんと地続きに繋がっているということが分かっていただけたのではないだろうか。結局、雑誌とは読者が成長し、卒業していくのが自然である。人はその移り変わりにより、断絶してしまったように感じるのかもしれない。「ビックリハウス」最終号のキャッチコピーに習うなら「いつまでも、あると思うな、親と本。」である。

もう一つ、80年代と90年代の違いを書くと、編集者の存在感である。とにかく編集者がしゃしゃり出てきた80年代は「編集者の時代」、編集者が黒子に徹するようになった90年代を「作家の時代」と捉えることもできるだろう。ならば00年代は編集と作家不在の「読者の時代」だったと言われるのかもしれない。それは幸せだったのか不幸だったのか分からない。ただ、荒涼とした現実のみが眼前にある。

さて、次回は「GOMES」と「ビックリハウス」のマンガ賞について触れつつ、タナカカツキの描く「マンガ」とは何なのか。核心に迫りたい。一体、私たちが見ている「マンガ」とは何なんだろう?


■ここでお知らせ!「マンガ漂流者(ドリフター)」が授業になった!
第二回9/28(月)20:00~@渋谷ブレインズ
「『少女マンガ』」を定義する!」(「『少女マンガ』がつまらない!(仮)」改め)

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佐々木敦さんの私塾ブレインズでの講義「マンガ漂流者(ドリフター)」第2回目の講義が決定しました。今回のテーマはずばり、「少女マンガ」。少女マンガが好きな人も少女マンガが読めない人も少女マンガに興味がある人はわんさか集まれ!


■授業内容

そもそも「少女マンガ」って、一体、どういうマンガを指すの?大胆不敵に少女マンガを定義!定義!定義!女性のためのマンガはどう変化してきたのか?少女マンガの歴史を辿りながら現在までの変化と進化を見つめていく。少女マンガとは女性の思想書である。少女マンガ=セカイ系?
今回は私の得意分野「少女マンガ」でいきます!

流れとしては……
・少女マンガの歴史おさらい
・「少女」から「女性」まで。どう変化してきたのか
・キスもできない少女たち
・精神世界へダイブ!少女マンガ開拓期
・ニューアカ洗礼!少女マンガを批評したがる男たち
・アンチ、24年組!少女のための少女マンガ家
・ターゲットは「少女」? それとも「少女精神」を持った少女「以外」?
・少女マンガには3つの大きな河がある(エンタメ/マニアック/ターゲット「少女」)
・90年代は「女」を語る女に価値があった
・少女マンガから女性マンガへ
・「萌え」マンガの少女マンガ性
・現在の少女マンガ
・で、「少女マンガ」って何!?

時間があればor懇親会用のネタ
・少女マンガは性をどう描いてきたか
・90年代の女性マンガ
・00年代の女性マンガ
・何故、今少女マンガがつまらないと言われるのか
・白泉社vs集英社
・24年組のマンガが読みにくい分け
・大島弓子論
・今、面白い少女マンガ
・男性マンガが少女マンガ化している

■おまけ

懇親会ではマンガにまつわる酒がふるまわれます!
気になる人は早めに予約を!読者のみなさんと授業で会えることを楽しみにしています。

■ご予約はこちらから!

webDICEでの連載では、作家をメインにしていますが、授業では「マンガ」とは何か?そのものを問い、全体を俯瞰し、さらに気になる部分を掘り下げ、現状の確認、そしてこれからについて考えていきます。連載では一部の引用しか見ることができませんが、授業には資料をいろいろ持参していきますので、原典を手にとってもらえることもメリットでしょうか。もちろん授業や連載の内容で分からなかったこと気になることがあった人も安心!毎回、懇親会(※料金含む)にて、それぞれの個人的な疑問、質問にお答えしています。

(文:吉田アミ)


【関連リンク】
タナカカツキ webDICEインタビュー(2008.12.5)


吉田アミPROFILE

音楽・文筆・前衛家。1990年頃より音楽活動を開始。2003年にセルフプロデュースのよるソロアルバム「虎鶫」をリリース。同年、アルスエレクトロニカデジタル・ミュージック部門「astrotwin+cosmos」で2003年度、グランプリにあたるゴールデンニカを受賞。文筆家としても活躍し、カルチャー誌や文芸誌を中心に小説、レビューや論考を発表している。著書に自身の体験をつづったノンフィクション作品「サマースプリング」(太田出版)がある。2009年4月にアーストワイルより、中村としまると共作したCDアルバム「蕎麦と薔薇」をリリース。6月に講談社BOXより小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」が発売される予定。また、「このマンガを読め!」(フリースタイル)、「まんたんウェブ」(毎日新聞)、「ユリイカ」(青土社)、「野性時代」(角川書店)、「週刊ビジスタニュース」(ソフトバンク クリエイティブ)などにマンガ批評、コラムを発表するほか、ロクニシコージ「こぐまレンサ」(講談社BOX)の復刻に携わり、解説も担当している。6月に講談社BOXより小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」が発売された。8月24日より、佐々木敦の主宰する私塾「ブレインズ」にて、マンガをテーマに講師を務める。
ブログ「日日ノ日キ」

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