(左から)石井志津男氏、川勝正幸氏
ジャマイカ音楽の巨人たちへのインタビューを中心に、その伝説に迫ったドキュメンタリー映画『Ruffn' Tuff』。出演者の一人であり、この10月に一周忌を迎えるアルトン・エリスへの追悼の意を込めて、2009年10月9日(金)、渋谷アップリンク・ファクトリーにて、監督の石井志津男氏とエディターの川勝正幸氏によるトークショウ付き上映会が開催された。この日は両氏のトーク・ショウが上映前に行われ、本編上映の後にアルトン・エリスの生前の未公開秘蔵インタヴュー映像を特別上映。これは映画制作時に行ったロング・インタヴューをこの日の為に編集したもので、11月のDVD再発にも収録されない、極めて貴重な映像。アルトンのレゲエ・ミュージックに対するひたむきさが感じられる、興味深い内容だった。
誰にも電話をしないでジャマイカに行った
川勝正幸(以下、川勝):(客席に向かって)今日は既に『ラフン・タフ』をご覧になっていて、アルトンのインタビュー目当てでいらしている方は? いらっしゃいますね。あと今日初めて『ラフン・タフ』をご覧になるかたは? では半々くらいの話でいこうかと思いますが、これは渋谷のシアターNで公開されたのが2006年、その後DVDになって本も出たんですけれど、諸事情により廃盤になっていたのが、11月に再発されると。それから明日がアルトンの命日?
石井"EC"志津男(以下、石井):10月10日は明日ですけれど、日本の時間でいえば11日ですね。ちょうど去年書いていたブログを見たら、12日に「昨日アルトンに電話しようと思って止めた」ということが書いてあって。作り話でもなんでもないんですけれど、そのときがどうやらアルトンが亡くなったときなんですよ。10月11日、朝の10時くらいですかね、受話器を取って彼に電話をしようとしたんですけれど、ロンドンの時間を調べたら、夜の2時くらいなので、ちょっと今電話しても迷惑だろうなと思って、止めたんです。その後夕方になって電話しようと思ったら、電話する用事はなにもない、小金貸してるぐらいかなと思って、止めたんです。
アルトン・エリス
川勝:それは虫の知らせみたいなものですね? 仕事関係の用事がなにもなかったんですね。
石井:そう、お金のことに関しても、はるかロンドンだし真剣に考えてるわけじゃない。だから用事はないので、電話しなかった。
川勝:お金を貸したのは『ラフン・タフ』の取材のときですか?
石井:この映画で「I'M STILL IN LOVE」という曲をアルトンがアカペラで歌ってるんですけど、そのレコーディング曲を彼が貸してくれるって言ってくれて、それでお金を送ったんですが、曲は送ってこなかった(笑)。それだけなんです。これから映画を観る方には確認していただきたいのですが、だからアカペラのあとにインストで外池満広さんというキーボーディストの人にお願いして被せてあります。できあがったらこっちのほうが雰囲気がよかったんですけれどね。でもそれも去年でさえとっくに映画制作は終わっていますから、今さら必要なものでもなんでもないし、なんかちょっと気になったんですね。
川勝:撮影は十日間だったそうなのですが、もともと構想は?
石井:グラディ(グラッドストン"グラディ"アンダーソン)というキーボードがシュガー・マイノットと来日して知り合ってアルバムを出して、ジャマイカにしょっちゅう行くようになって会ったりして、1987年にまた来日させて「グラディ・ミーツ・ミュートビート」というイベントをスパイラルでやって、それ以来グラディのことはずっと気にしていて、ジャマイカに行くたびにグラディから聞く60年代の話が楽しみだった。そのうち聞いているだけじゃなくてカセットテープに録ったりするようになって、5、6年前からはSONYのVX-7000ていうカメラを持っていってインタビューしてみたりはしていたんです。だから、そういうものを映像に残したいという気持ちはあった。ただそれは、自分が作りたいというのじゃなくて、誰かが作ればいいと思ってたんです。グラディも、今はぴんぴんしていますけれど、一度かなり具合が悪くなって入院して、もう誰かが作らないとなと。ジャマイカの国で古い音楽に金を出す人はそんなにいないかもしれないから、イギリス人などが作るのが一番いいんじゃないかとはずっと思っていたんです。ただ僕は僕で小さいカメラで撮っていたことを考えると、構想十年とかほざいているんですけれど、ほんとそういう感じですよね。
川勝:まぁでもジャマイカやキングストンで取材をしたことがある人だったら、今挙げたグラディからU・ロイからボブ・アンディ、グレゴリー・アイザックス、イエローマン、ボビー・ディジタルとか、蒼々たるメンツを十日で撮るってありえないわけじゃないですか。僕はたまたま94年にランキン・タクシーさんと『ガリバー』という旅行雑誌で、ジャマイカの特集でキングストンに2週間いて取材したんです。(渡辺)佑くんが編集でした。ちゃんと日本人の旅行会社のコーディネーターの人をつけて、オーガスタス・パブロのアポイントメントを取れていたんですけれど、いざ行こうと電話をしたら、「今日はヴァイヴスが悪いので勘弁してほしい」と言われて、これが噂のラスタマン・ヴァイブレーションか!と思いました(笑)。アポを取ってもドタキャンされる人もいれば、アクエリアスという有名なレコ屋の前にホースマウス・ウォーレスがたむろをしていて、ランキンさんが来るなり話しかけてきたり。ちょうどシャバ・ランクスが「ティング・ア・リング」で一位だったり、ブジュ・バントンがデビューした頃で、ブジュには自宅の前で取材できたり。だから取材しようと思っていなくてもできたりする人もいれば、日本から仕込んできたのに結局ぜんぜんダメで、2週間いたけれどオーガスタス・パブロには会えなかったみたいなことがありました。
石井:なるほどね、まぁ、そういう国ですよね。
川勝:なので、この『ラフン・タフ』の企画自体、普通はやれないわけじゃないですか。やろうとしない。
石井:あんまり考えないですよ。僕も人がやってくれればいい、自分でやったら死んじゃうなぁと思っていたんです(笑)。
川勝:グラディはもともと石井さんの構想で柱だったから、日本から連絡して?
石井:というか、グラディはもちろん、誰にも連絡していないんですけれど。
川勝:もちろん!? あぁ行けば会えるという感じですか。
石井:住んでいるところは知っていますから。いちおうバラしますと、あるきっかけでやろうという話になって、僕がジャマイカに行く3日前かな、撮れるアーティストを60人くらいリストアップしたんですよ。夜それを見ていて、気持ち悪くなっちゃって。今まで20年間くらいジャマイカに通った中での、いろんな大変なことが思い出されてきて、胃がムカムカしてきてもうこのリストは見たくないって。だから実際には誰にも電話をしないで行ったんですよ。
川勝:もうその場で? お金を出した制作会社は石井さんが仕切っていると思っていたんですね。
石井:そうです。アポイントをとったら、ちゃんと来てくれる人もいるし、家で待ってくれている人もいるんですけれど、全体的にあてにならないというのが普通じゃないですか。だから、それじゃあ僕はストレスがたまっちゃうから、もうアポイントを日本からはとらないでと。
川勝:出たとこ勝負と。
石井:後付けですが、本当のドキュメントはこういうふうに作るんだと(笑)。
川勝:ご覧になれば解ると思いますけれど、運転手がいて石井さんが助手席にいて……カメラマンが助手席ですか?
石井:いえ、道の分かる僕が運転手。(客席に)上山くんいる? 彼が大変な目に遭った上山(亮二)くん(笑)。全部編集をやってくれたのが彼なんですよ。だからこの映画の9割は彼ですね。彼も途中までは知らなかったんです。そんなアポ無しプロジェクトだとは思ってなくて参加して。
川勝:あぁだまされたって、もう『蟹工船』みたいな感じ(笑)。あんなに怖そうなところにいきなり車で乗り付けて撮っているのが解ります。
石井:泊まってるホテルの朝食のときに、僕が「今日はこの人とこの人とこの人のところに行きます」って口で言って、メモすら渡さない。ロケハンは、夕陽を撮りに行こうとかはあるんですけれど、人間のロケハンはまったくしなかった。そしてジャマイカでの撮影も大体うまくいってきて最後の日に、朝食を食べながら、ちょっとナプキンにボールペンで「今日はこいつとこいつとこいつ」って3人くらい書いたんですよ。そうしたら、2人しか取材できませんでした。書かなきゃよかった(笑)。つまり書かなければ証拠はないし、だいたい計画通りにいったと自分で思えるから、ストレスがないでしょ。
川勝:もともとアルトンはイギリスで暮らしていたから、キングストンで取材できたのは偶然なんですよね?
石井:一緒に行ってくれたカメラマンの石田昌隆さんが、「スーパーで見た帽子を被っている後ろ姿はアルトンじゃないか?」って言ってくれて。じゃあ、あいつのアパートはたぶんあそこだから電話番号を調べようってことでうまく繋がるんですけれどね。
川勝:では石田さんがスーパーで見かけなければ、アルトンの出演はありえなかったんですか。でもこういう裏話をして、ありがたみがなくなるかもしれませんけれど(笑)、これぞジャマイカン・スタイルな感じですよね。
石井:BBCが作るドキュメントとは明らかに違いますよね。だから副題「行き当たりばったり」みたいな。
全てが偶然の産物のような気がする
川勝:でもこれはなんと、ラスベガス映画祭でファイナリスト賞を受賞されたという。『Riddim』誌にもトロフィーが載っています。
石井:『ラフン・タフ』というのは、これをきっかけにジャマイカの人でも、ジャマイカ以外の人でも、ああいう60 年代とかレゲエが生まれたものをモチーフにして、第二、第三のこういうテイストのものができたらいいなと思っているんです。完成品じゃないというと、観にきてくれた人に申し訳ないんですけれど……。
川勝:これが突破口になるような。石井さんが鉄砲玉になったので、後に続く人が出てほしいと。
石井:僕は第二弾を作るつもりは一切ないんですけれど、もっと作れるんですよ。ジャマイカっていうのは本当にモチーフがたくさんある。だから、もっと面白いものがたくさん作れると思うので、今日観にきてくれた人の中からも作って欲しいし、あいつらでもできるんだからって、突っ込んでいくっていう、チャンスになるような気がするんですよ。でも実際カナダでも作っているみたいですけれどね。
川勝:さっきアップリンクの方が「マーティン・スコセッシがボブ・マーリーのドキュメンタリーを作っている」とかいう話をしていましたけれどね。
石井:実は『ラフン・タフ』ではジャマイカともう一ヵ所だけ、モントリオールに1日だけ行ったんですよ。そこにはこの映画に出てるリン・テイトというギタリストがいまして、その人はトリニダード・トバゴ出身で、60年代初めの話なんですが、金をマネージャーに持ち逃げされて、ジャマイカからトリニダードに帰れなくなってしまい、ジャマイカでギタリストをやって、ロックステディという音楽のできあがりの要にいる人。でもジャマイカ人じゃないから、もっと住みやすいモントリオールに住んでしまったんです。その人には一度会ったことがあるので、どうしてもその人のインタビューがほしくて、僕だけモントリオールに行ってインタビューをしたシーンがちょっとだけ入ってるんです。そのときに、スカとかロックステディが好きな人に何人か会ったんです。たぶんそれがきっかけで、モントリオールのプロジェクトができたんじゃないかなと思うんですよ。去年ジャマイカに行ったときに、タフ・ゴング・スタジオで彼らとすれ違ったんです。挨拶はしなかったんですけれど、ケン・ブースとかグラディとかみんないて、なにかやってるんだって言ってました。へぇーそんな動きがあるんだと思いましたが、そのときはカナダと言っていたのでモントリオールの人だと解らなかった。
川勝:わりとジャッキー・ミットゥーのリイシューとか、カナダのレーベルから出たりしているので、そういう好きな人がいらっしゃるんですかね?
石井:トロントにはエアージャマイカが飛んでるんです。ヒューストンとかマイアミとかニューヨークとかそういうところにはジャマイカ人のコミュニティがありますよね。
川勝:そんな裏話がありまして、これから上映になりますが、こんなところを観てほしいというのはありますか?
石井:ジャマイカってもうあまり手間のかかるアコースティック・ピアノが無くてあきらめていたんですよ。どうしてもピアノを弾かせたいなと思ったら、偶然アクエリアス・スタジオに誰かがピアノを借りてきてあったり。音といい天気といい人といい、全てが偶然の産物のような気がするんです。だから、あるスタジオに行ったら、ちょうどグレゴリー・アイザックスとジョン・ホルトが車で帰るところで「明日ちょっとインタビューしたいよ」とか。うまくエディットしてくれたのは上山くんなんだけれど、素材の新鮮さに関しては本当に勘と偶然。天気だって。海岸でギターを弾いているシーンがあるんです。リロイ・シブルズというヘプトーンズのリーダーだった男なんですけれど、そのシーンもぜひ観てもらいたい。もちろんリロイ・シブルズはその気持ち悪くなった60人のリストのなかに入っていたんですけど(笑)、それもやらせじゃない素晴らしい偶然なんですよ。アポイントを取るのはだいたい前日で、そのときはコーディネイトを弟に頼んでいて、弟が電話しながら「海へ行こうって行ってるよ」って言うから、海ならギターだなって「ギターを借りていくからって彼に言って」って言ったら、「ギターなら持ってるからOKだ」って、それで翌日の4時にリロイ・シブルズの家に行ったら彼はほんとうにギターを持ってきて、車でヘルシャという海岸に行ったんです。観光客はいなくてキングストンの地元の人たちが泳ぐところで、そこからキングストンの方を見ると、むこうがもう豪雨で空も真っ黒になって撮影どころじゃない。でもヘルシャは夕焼けでなんとなくいい感じなんです。彼が海岸をギターを持ってちょっと静かなところに行こうぜって歩いていると、彼は顔が売れているから後からぞろぞろとおっさんがあとをついて集まってくるんです。今のダンスホールのあんちゃんじゃないちょっと昔のシンガーですから、年配の人がぞろぞろ着いてきて。そこで、僕らみんながセッティングをしようとしているときに、リロイ・シブルズが丸太に腰掛けて勝手に歌い始めたので、じゃあ撮っちゃうおうぜって。夕焼けの中「I SHALL BE RELEASED」を歌うと、周りの人たちがコーラスを勝手にやりだすんです。それも一切やらせじゃないんですよ。それがすごかった。うまく撮れたからリロイ・シブルズに「じゃあこれでみんなにビール買ってあげたほうがいいよ」ってチップを渡して。普通は「歌ってください」っていう演出があるんだろうけれど、2テイク、3テイクなんていうのはまったく必要なかった。全てこの調子。
リロイ・シブルズ
川勝:『Rockers』の配給から、ジャマイカにずぶずぶとはまった石井さんの〈引き〉の強さみたいなものが凝縮しているんじゃないですか。
石井:今はこのアップリンクが『Rockers』を配給していますけど、1980年くらいにあの映画に出会って、1981年から5年間だけ配給の権利を持ってオーバーヒートがやってたんです。そのときはぜんぜん考えていなかったんですけれど、その後アップリンクの浅井さんと出会うこともあって、今夜ここで『ラフン・タフ』を上映する。『Rockers』っていうひとつの映画で繋がってると思うと、感慨深いですね。
川勝:すごいですね、四半世紀以上ですから。最後はちょっとしみじみしちゃいましたけれど、映画はエキサイティングです(笑)。
(構成・文:駒井憲嗣)
映画『Ruffn’Tuff ~永遠のリディムの創造者たち~』
監督:石井“EC”志津男
出演:グラッドストン“グラディ”アンダーソン、リン・テイト、U・ロイ、アルトン・エリス、ボブ・アンディ、リロイ・シブルス、グレゴリー・アイザックス、キング・タビー、カールトン・マニング、イエローマン、ストレンジャー・コール、高津直由、ボビー・ディジタル、クリーヴィ、ほか
(2006年/日本/カラー/82分/英語・パトワ語/HD/2006『ラフン・タフ』フィルム・パートナーズ)
2009年11月25日(水)DVDリリース
発売元:オーバーヒートミュージック
XQEY-2001
¥3,150(税込)
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石井“EC”志津男 プロフィール
(株)OVERHEAT MUSIC代表であり、OVERHEAT RECORDSプロデューサー、雑誌『Riddim』発行人。1981年(~85)に映画『Rockers』を日本配給したことがきっかけでジャマイカ、 NYのレゲエアーティストたちとの親交が始まる。これまでに、サロンミュージック、MUTE BEAT、Thriller U、MOOMIN、Pushim、H-MAN、t-Aceなどのアーティストのマネージメントを行う。監督としてジャマイカのヴィンテージミュージックのドキュメント映画『ラフン・タフ』(2006年)、著書/監修として『レゲエ・ディスク・ガイド』(音楽の友社)、「ラフン タフ: ジャマイカンミュージックの創造者たち」リットーミュージック他、日本のレゲエ・ミュージックの立役者として幅広い活動を行う。
http://www.overheat.com/
川勝正幸 プロフィール
1956年博多生まれ。音楽や映画など、ポップ・カルチャー関係の仕事が好きなエディター&ライター。主な著書にコラム集『21世紀のポップ中毒者』(08)等が、編著書に『勝新図鑑 -絵になる男・勝新太郎のすべて-』(03)、デイヴィッド・リンチ監督作『インランド・エンパイア』劇場用パンフレット(07)他がある。松本隆作詞活動30周年記念CD BOX『風街図鑑』(01)、『はっぴいえんどBOX』(04)のクリエイティヴ・ディレクションも手がけた。2008年12月で第1期が終了した〈文化デリックのPOP寄席〉の活動については公式サイトに詳しい。2009年2月、取材・執筆・編集に5年をかけたノン・フィクション『丘の上のパンク-時代をエディットする男・藤原ヒロシ半生記-』を出版した。
http://profile.ameba.jp/popholic/