骰子の眼

books

東京都 ------

2010-02-08 10:00


『マンガ漂流者(ドリフター)』32回 「オッス!トン子ちゃん」の発売を記念して、トン子の魅力に迫る!(後編)
「オッス!トン子ちゃん」2巻カラーグラビアより

■前回までのあらすじ

前編の『マンガ漂流者(ドリフター)』31回では、トン子誕生までの軌跡を追った。しかし、その後、「トン子座談会番外編」を読み、Ustreamを聞いたところ、「トン子誕生は1998年」であるとの情報が!「タナカカツキのタナカタナ夫DVD」(2005年/アップリンク)に掲載されている内容から1999年と書いたのだが、事実はもはや分からないというかそんなことを書いたとしてもまったく無意味!なにしろ「トン子」は、マンガ雑誌に連載し、単行本化という通常の手順を踏んでいないイリーガルな作品のため、作者の発言が絶対なのだ。このような活動の掴みどころのなさが批評を遠ざけ、言葉で説明することなんて不可能なんじゃないかと途方に暮れる。タナカカツキは、おしゃべりが大好きだ。(ホームーページ、Ustream、デジオなど自前のメディアで、自ら的確な作品評を語ってしまう。すでに語ることがないじゃないかーっ!かーっ!かーっ!(エコー)。批評家封じ、いや、批評家殺しとはこのことだ。殺してないけど。

そんな風に飄々としているのがタナカカツキの魅力ダネ!と言ってしまえばそれまでで話が続かない。意地でも暴いてやる!という執着が大切だ。真っ赤なてんとう虫がぱんぱんにつまったビニール袋を掲げて登校した藤村のように。どきどきわくわく続きをどーぞ。

kodoku
今、こんな気持ち。でも、「やるんだよ!」(by.根本敬)「オッス!トン子ちゃん」1巻より

■トン子、その魅力

ちょっと太目の女の子トン子(職業・フリーター)ちゃんがいきつけの喫茶店で岡本太郎の作品集に出会う……。しかも、70~80年代の乙女ちっく少女マンガを模した絵柄と設定で。そんな風にはじまる「トン子」。トン子が生まれて、早10年。もはや、タナカカツキのライフワークといっても良い。すべてのタナカカツキ要素がふんだに詰まった集大成。それが「オッス!トン子ちゃん」なのだ!

ご存知「バカドリル」「バカドリルコミック」で使ったギャグの手法は「トン子」にもしっかり息づいている。例えば、作品内に登場する岡本太郎、モネ、レンプラント、佐藤玄々、ピカソといった実在する作家の作品たち。それらの芸術に触れたトン子は気が触れたように興奮状態に陥る。もちまえの批評眼を発揮し、作品の持ち味を解説しだすのだった。とはいえ、これはマンガである。140文字でつぶやくTwitterよりもキャッチーでなければ、セリフは生きない。すべてが極論として帰結し、キャラクターは過剰となり、暴走していく。まともな批評ではできない、ヴィヴィッドで暴力的、刺激的な言葉が飛び交うのである。もし、この言葉がマンガという表現形態を取らなかったとしたら、その言葉の強さゆえに打ちのめされ、読者を洗脳し、ひとつの理想の押し付けになってしまうかもしれない。しかし、これは良くも悪くもマンガである。ただのギャグマンガである。作者が自らの理想や作品論を語っても、マンガが面白くなるわけではないということをタナカカツキはよく分かっている。「面白い」の絶対的奴隷!言ってることは至極真っ当なのに何処かおかしい。反射的にゲラゲラ笑ってしまう。マンガなんて、それで良い。そのままで良いのだ。

芸術
佐藤玄々の作品を目の当たりにしてトランス状態に陥るトン子。「オッス!トン子ちゃん」2巻より

■トン子、面白さの秘訣

ハウトゥ雑学をデザインした本「じょうずなワニのつかまえ方」(主婦の友社)のような本来不必要なすっとこどっこいさを図鑑のように見せるデザイン、80年代パロディ文化の真髄ともいえる『ビックリハウス』(パルコ出版)にあったような1テーマでさまざまなネタを羅列するおかしさは、天久聖一とコンビを組んで描いた「バカドリル」ですでに試されていたものだ。それらの作品との類似性が見られるのが、90年代『GOMES』で連載していた頃の「バカドリル」である。同作では、基本的にコマを持たずに1発ネタを1ページに羅列するのがパターンであった。詳しくは、「『マンガ漂流者(ドリフター)』第21回:マンガ家らしくないマンガ家・タナカカツキの仕事vol.6」『マンガ漂流者(ドリフター)』第22回:マンガ家らしくないマンガ家・タナカカツキの仕事vol.7」 など過去の特集を読んでほしい。

bucth

また、「バカドリル」から発生し、独立した「ブッチュくん」も「トン子」ギャグの源流といえるだろう。「ブッチュくん」は、「ドラえもん」「オバケのQ太郎」をはじめとした藤子不二夫作品を研究、分析し、パロディにしたもの。しかし、単なるパロディではない。ここにひねりや変化球を投げるのが、作者らしい。99年に発売された「ブッチュくんオール百科」(ソニー・マガジンズ)は、子ども向け百科辞典「コロタン文庫」(小学館)シリーズを模し、名場面集、全巻解説、キャラクター図鑑、原稿紛失でお蔵入りとなった作品の下描き、アニメ放映リスト、映画版絵コンテ集などを収録。大ヒットした子ども向け作品のファンブックをパロディにしている。ただし、ありがちなものとしてパロディにするのではなく、大人になった主人公たちの現在を描いた真の最終回の再掲(※3)や、しずちゃん的役回りであるヒロイン・ヒカルのどす黒い心の内をのぞくことができる「ヒカルのときめきダイアリー」など、大人の妄想をかきたてる子ども向け作品では絶対にありえない内容になっている。

現在、絶版となっている「ブッチュくんオール百科」(ソニー・マガジンズ)

20070630231923
「ブッチュくんオール百科」(ソニー・マガジンズ)より

「トン子」には、「バカドリル」や「ブッチュくん」で確立した手法がマンガとして、自然に紛れ込んでいる。その手法が分かりやすく活かされているのが「トン子」2巻P.168からの展開、「待夢」のマスターの過去が語られるシーンだろう。

蕎麦
「そば屋と寿司屋の出前持ちが衝突するプロジェクト」2巻より

画面を2分割にし、マスターが行ってきた前衛プロジェクトの様子が描かれている。ここでネタ元となっているのは、60年代に赤瀬川源平らが行っていた芸術活動(※1)海外の現代美術のアーティストの作品(※2)だろう。「ブッチュくん」で子ども向けマンガをパロディにしたように、いまや形骸化した前衛芸術や現代美術をパターン化し、パロディにできてしまうことは、前衛芸術や現代美術がもはや単なるジャンルの1種に過ぎないということを痛烈に批判している。作品を描かずとも読者と共有できてしまう、体験する前から理解できてしまうものが「前衛」であるわけがない。こうしたパフォーマンスを模倣し、実際に美術の世界で似たような作品を作るのではなく、あくまでマンガというエンターテーメントに昇華してしまうという乱暴さこそが、前衛がすぎる!芸術はアートと名を変え、ソフィスティケイテッドされてしまった現在。何の危うさがない芸術に価値あるのだろうか? パロディにされてしまうほど、いわゆる前衛芸術が普遍化してしまった今、それは最早、前衛とは呼べない。

「トン子」では、そんな形骸化したいわゆる前衛芸術をパロディ化し、ギャグへと昇華している。例えば、100匹のタコに腕組をさせ、輸血を受けながら血でファンシーイラストを描き、タコの墨だけで巨大な「スルメ」という文字を書き、ルンペンに100万円をあげる瞬間をスーパースローカメラで撮影し、カンヌで上映するプロジェクトといったいかにもありそうでありえないけどあってもおかしくない、リアリティのある描写がなされている。

前衛とは何か。繰り返しになるが、作品そのものと対峙せずに、言葉として代替可能ならもうそれは前衛ではない。前衛とは、これまでにない作品を作り続ける挑戦のことである。見たことのない作品なら鑑賞の仕方、楽しみ方が定まっていないはずだ。だからこそ、絶えず観る者を揺り動かさねばならない。タナカカツキは、前衛芸術をネタにすることで、そのことをやんわりと、それでいて蜂のように鋭く指摘している。

1Picnik コラージュ
前衛とは芸術とは一体、何なんだろう。トン子、マスターの過去を知りおおいに悩むのだった。「オッス!トン子ちゃん」2巻より

マスターは真の意味での「前衛」を理解している。だからこそ、前衛芸術に興じた過去の自分を「こんなのは芸術でもなんでもない!」否定し、彼なりの答えを出している。またもや繰り返すが「トン子」はただのマンガである。間違っても批評でも芸術作品でもない。結論が重要ではないのだ。

ここで描かれているのは、自分の過去を恥じ、なかったことにしてしまいたいと思い悩んでいる人間の葛藤である。思えば「トン子」1巻では、喫茶店にやってくるミュージシャン気取りのプチクリエーターや内輪で盛り上がるだけで挑戦しようとしない軽薄なアート嗜好の連中を徹底的に見下していたトン子。しかし、彼女もまた孤独だ。自己嫌悪の中で、彼らを見下せるほど、立派な人間ではないという事実に打ちのめされている。そして、岡本太郎の作品と出会い自分とは何かを問う。導き出されたのは、自分がただの「デブで陰鬱でデリカシーのない女」という丸裸の事実。そこではじめて、自分自身を認め、好きになることができるのだ。もう一人の主人公といってもよいマスター。彼もまた、スーパーアヴァンギャルド前衛芸術集団を組織していた過去恥じており、トン子と同じように自分自身を直視することができないでいた。マスターは自分を許すことができるのだろうか? ラストまでの怒涛の展開をぜひ、自分の目で確かめてほしい。

20070713152544
自由人たちをめった斬る!「オッス!トン子ちゃん」1巻より

実は「トン子」には、自己承認の物語という側面もあるのだった。それは、あくまでも一要素であり、作品のすべてではない。だって、マンガなんだもの。

■トン子の正体

芸術とは、美術とは、マンガとは、そして、笑いとは一体、何なのだろう? そう悩むのは大人だけだ。何も知らない子どもからしてみれば、等しく同じに見えるだろう。強烈なこと。何モノにも変えがたいもの、それが面白さの正体だ。ギャグマンガの王様・赤塚不二夫を思い出してほしい。代表作「天才!バカボン」では、1ページ1コママンガ、左手で描く、毎回ペンネームを変えるなど、思いつく限りの実験をマンガで試み、私生活もマンガのような人生になってしまったことを。表現方法は違えども、ルールを覆すという点においては、ギャグマンガと前衛はたいして違わない。英語で「gag」の第一義は、自動詞で「(吐こうとして)ゲーゲーする」「のどが詰まる」「…に耐えられない」、名詞ではご存知のようにSM用語の猿ぐつわを意味することも付け加えておこう。ギャグの本質と前衛はかくもよく似ているのだ。

作者がくだらないことに力を注ぎ、熱くなればなるほどおかしく、そして、他人から見ればそこまでこだわってしまう情熱は異常であり、恐ろしい。意味が分からないし、理解できないからだ。表現方法は何だって良い。誰にも理解されなくても良い。根拠なく、明日に向かって根拠なく走り出せそうとする運動を前衛と呼ぼうではないか。それが間違っていようがくだらなかろうが。ただ、目の前の異常を笑い、畏怖すること。それが前衛(=ギャグ)の醍醐味なのだ。

こんなにもエキサイティングな出合いがあるだろうか。タナカカツキが「トン子」を通して伝えたかったことの一つには、芸術だから高尚だ、マンガだから低俗だという固定概念を打ち壊てろ!ではなかった。アウトサイダーからアウトロー、一見、まともに見えるあの人からはたまた狂人まで……。作品内でパロディにされるネタ一つとっても「金八先生」から佐藤玄々、ピカソ、渡辺篤史の「建もの探訪」とさまざまだ。どんなものからも何かを得よう、本質を見つけようと目を凝らす、感受性が豊か過ぎる女・トン子の視点を通して、読者にもまた作品に触れる単純な楽しさを思い起こさせてくれる。それは受け手の一つの理想の姿なのかもしれない。その姿はあまりにも美しい。

kotoba
「オッス!トン子ちゃん」3巻、小田島等による巻末マンガ「オッス!トン子ちゃん」より。どんな解説よりも雄弁にタナカカツキについて語っている
一見してギャグマンガのように見える「オッス!トン子ちゃん」。そこに込められた魂の叫びは悲痛なほど面白い。本質に、真理に迫れば迫るほど、正論を吐けば吐くだけ、ギャグの面白さは倍増する。

切実に本質を見つめようとする真理への挑戦する根拠や約束など何処にもない。ただ、明日に向かって意味もなく全力疾走せよ!タナカカツキが前衛芸術をネタに「トン子」を描いたのにはそんな理由が含まれているのかもしれない。

※1 千円札を肉筆で拡大模写した作品を発表し、通貨及証券模造取締法違反で起訴された「千円札裁判」が有名か。最近では西尾維新原作、シャフト製作のアニメ「化物語」でもネタにされていた。
※2 パッと連想したのは、整形手術を繰り返すパフォーマンスのオルラン、昆虫の羽を使った作品を作るヤン・ファーブルなど、いっぱいいる。80~90年代の『美術手帖』を読むと良い。
※3 作者本人が子ども向けに描いた作品を大人向けにセルフパロディした作品をパロディにしている。藤子不二夫なら「劇画・オバQ」、水木しげるなら「続ゲゲゲの鬼太郎」を連想すると分かりやすい。青年誌に掲載されたという設定など芸が細かい。


吉田アミPROFILE

音楽・文筆・前衛家。1990年頃より音楽活動を開始。2003年にセルフプロデュースによるソロアルバム「虎鶫」をリリース。同年、アルスエレクトロニカ デジタル・ミュージック部門「astrotwin+cosmos」で2003年度、グランプリにあたるゴールデンニカを受賞。文筆家としても活躍し、カルチャー誌や文芸誌を中心に小説、レビューや論考を発表している。著書に自身の体験をつづったノンフィクション作品「サマースプリング」(太田出版)、小説「雪ちゃんの言うことは絶対。」(講談社)がある。2009年4月にアーストワイルより、中村としまると共作したCDアルバム「蕎麦と薔薇」をリリース。また、「ユリイカ」(青土社)、「野性時代」(角川書店)、「週刊ビジスタニュース」(ソフトバンク クリエイティブ)などにマンガ批評、コラムを発表するほか、ロクニシコージ「こぐまレンサ」(講談社)やタナカカツキ「逆光の頃」の復刻に携わっている。現在、マンガ批評の本を準備中。
ブログ「日日ノ日キ」

レビュー(0)


コメント(0)