骰子の眼

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2010-08-24 11:42


「ひとつ確信したのは孤独はいいことだということ」初のエッセイ集を上梓した鈴木祥子が語る〈音楽と文章〉

新刊『33 1/3の永遠』からプロデュース・ワークまで、クリエイティブな意欲の先にあるもの
「ひとつ確信したのは孤独はいいことだということ」初のエッセイ集を上梓した鈴木祥子が語る〈音楽と文章〉

シンガー・ソングライター鈴木祥子が、2002年よりCDジャーナル誌で連載を続けているエッセイ『33 1/3の永遠』を単行本として上梓した。ポップスやロックを中心に音楽への愛情、そして女性アーティストとして生きることを軽やかな筆致で綴り、雑誌掲載時より好評を博していた本作と合わせて、吉祥寺GBでジャック達そしてかわいしのぶと行ったライブ盤『SUZUKI SYOKO with JACK-TATI & KAWAI SHINOBU LIVE AT GB』、そしてコンポーザーそしてソングライターとしての側面からコンパイルされた『SYOKO SUZUKI Song Book I 鈴木祥子作品集 Vol.1(1989-2009)』と作品リリースが続く。「とにかく自分を肯定したいから表現している」「時代の中の自分よりも、まず自分という個人がどう感じるかということの方が大切」と語る彼女に、音楽家としてそして文筆家としての創作における共通点や差異、そこに表現される〈個〉について、2名の編集部スタッフが聞いた。

私的な思い出をその音楽の中に入り込んで書く

駒井(webDICE編集部):『33 1/3の永遠』ですが、モノとしても良い意味でカジュアルで、いいですね。

鈴木祥子(以下、鈴木):キャッチコピーも気を遣ったんです(“私はこれで人生決まっちゃいました”“人生は33 1/3回転のスピードで刻まれる音、そして旅”)。ちょっと笑えるくらい、重い感じや大げさじゃない方が良いかなと思って。

駒井:入り口は読みやすいディスクガイドなんですが、奥には鈴木さんのヘビーな葛藤がある。でもあくまでポップで読みやすい本になっているというのが素敵だと思いました。ひとつにまとめる時にそうした点は意識されていたのですか?

鈴木:はい。笑えないことが結構書いてあったりするので、女として、というような、女性の話題にしてもすぐ重いとか痛いとか言われがちなんですよね。痛いというニュアンスはわかるのですが、それは何なんだろうなというふうに一時期考えたことがあって。確かに客観性がないことを痛いといったりするのは、自分の世界に浸りすぎていたり、恋愛でも相手の都合を顧みず、自分の想いだけで突っ走ってしまうことなんでしょうけど、それ以外に女の人が何か本質的なことを言おうとしたり分かろうとした時に、無条件で痛いと言われてしまうような感じがしたんですよね。生きてれば痛いし重いのは当然なんだけど、見ないで済まそうとする。女性のことについては語っても、どこかしらユーモアがあったりバランスがとれているものが好きなので、それを心掛けてみたんです。

駒井:毎回のテーマは藤本さん(CDジャーナル編集長)と相談しながら決めていったのですか?

鈴木:いいえ、野放し状態で(笑)。最初は純粋に個人的なディスクガイドで、音楽誌だし自然なコンセプトなんですけど、だんだん私が暴走して好きなことを書くようになっちゃって、途中で「藤本さん、大丈夫ですかね。前にみたいに音楽のこと書いたほうがいいですか?」って確認したら、「いや、どんどんやってください」って。

駒井:ヘビーなテーマに向かうようになっていったのは、連載を続けていくなかで鈴木さんが次第にそういうモードになっていったのですか?

鈴木:そうですね。連載を始めたのが2002年で、女性としての自分の問題について考え始めたのが2005年ぐらいだったんです。ちょうどそのときに京都に引っ越したんですよね。京都って何か、新進気鋭のものとか考え方を好む県民性があるんです。大きい本屋さんなんかだと、ひとつのフロアとまではいかないんですけどジェンダー関係の本がすごく充実してて。女ってなんでこんな生きづらいのかなとか、男の人の中で仕事しなきゃいけない困難さとかをすごく考えていた頃に京都に行ったので、ジェンダー関係の本をいくつか選んで読んでいったら、なるほどと腑に落ちたんですよ。それで少し書く内容が変わって来たんじゃないかと思います。

駒井:毎回書くテーマに困ることはなかった?

鈴木:いやいや今でもすごく困っているんですよ。どうしようかなとか思いながら。書いているうちにだんだん決まってくるような感じで。

駒井:最初の頃はアーティストを一般的なイメージとは違う面から、鈴木さんなりの視点で書いてみるスタイルが多かったように思いました。何か動機があったのですか?

鈴木:やっぱり音楽の中に思い入れがあって、音楽ってそのときの空気感、考えていたこととか生活感とが浮かんで来たりしますよね。だからどっちかといったら一般的に言われている評価というよりも、自分のそういう私的な思い出を、音楽の中に入り込んで聴いていた時期のことを思い出しながら書くというか。そうすることで、ひょっとしたらその記憶を誰かと共有できる、繋がることができるんじゃないかなと思って。

駒井:それは記憶をたぐり寄せていく作業なんですか?

鈴木:いや、レコードを聴いた瞬間に全部思い浮かぶぐらいにいろいろ入ってるんですよね。レコードなり音楽とそのくらい深く結びついていたから。今でも好きなものはそうですけど、ティーンエイジャーのころとかってとりわけそうじゃないかなと。その時の記憶でいまだに音楽をやっているようなところがあると思うし。

駒井:いまってそういう音楽体験は減ってきてますか?

鈴木:悲しいですけど減ってきてます。自分はもう感動は出来ないのかなとか思った時もあったんですけど、また感動を取り戻すような新しい出会いがあったり。そういうプロセス全体が音楽を聴くってことで。人生の流れみたいなものとシンクロするというか。キャッチコピーに人生という言葉が2回も出てくるんですけど、自分にとっては音と人生は切り離せない。音楽好きな人は誰でもそうじゃないかと思うんですよね。

駒井:例えばアルバム一枚を好きになるにしても、このレコード屋でこういう出会いがあって買って聴いてという過程を含めての体験ですよね。

鈴木:タイミングというかね。この本のなかに出てくるんですけど「NHKアーカイブス」で安部公房のインタビューをやってて。お笑い芸人さんとかバラエティばっかりのなかで、こういうことをテレビはもっと放送すべきなんじゃないかと思ったんですよね。なにかしら感銘を与えられたり素敵だなって思ったり、何かしらの感動のあることが、公共の電波で流れることが減ったじゃないですか。泣けるナントカ、みたいなのばっかりで。世の中の流れなのか何をみても軽い薄い感じになってて、またその方が重くて痛いよりも良いというような風潮もあって、すごく違和感を感じるんです。その安部公房インタビューをみた時に、ああこういう言葉が聴きたかったんだと思ったんです。「人間というのは、作品というのは無限の情報だ」と。そこにはいろんなものが入ってるわけじゃないですか。さっき駒井さんがおっしゃったみたいに、どこのレコード屋で買ったとか、そこに至るまでの自分の心のプロセス、それがもう無限の情報なんですよね。そういうことをいつも感じていられないと人生つまんないし、そういうことが感じられなければ自分で掴みに行くしかない。そういう不自由さって感じることないですか?

駒井:自分が間違っていなかったんだと確認するための情報しかなくて、例えば失敗したりとかテレビとかで自分とは違う意見を受けて違和感を覚えつつ、「こんなことを考えている人がいたんだ」と気付くとか、そういうことがぜんぜん減ってしまった。自分から探しにいかないと、そういうことが無くなってきてしまったなというのは思います。

鈴木:特にここ2、3年感じるかも。

駒井:だから良くないことは分かってるんですけど、映画を観たとか本を読んだということを確認するためだけのものになってしまう、麻痺してしまっているというのは自分でも感じます。

時代の流れで消えていってしまうものの方がむしろ自分のなかでは普通

駒井:前半では「ターンテーブルにレコードを載せて」という ような表現が出てきます。実際原稿を書く時にはアナログを聴くことが多かったんですか?

鈴木:最初は自分の好きなアナログ盤について、というのがテーマだったんです。連載のタイトルはレコードの回転数なんですね。自分の好きな音楽、というよりもレコード、アナログ盤に対しての思い入れを紹介するというコンセプトだったんです。

駒井:アナログでレコードを聴くという行為や、カセットデッキやアナログのレコーディングとか、失われてしまうものに対する鈴木さんの感覚がいろいろな形を変えてに出てくるなと思ったんです。でも、それを単に名残り惜しんでいるわけではないですよね。

鈴木:書いている途中はなくなっていくさみしさがあったと思うんですけど、自分の中では全然なくなっていない。アナログ盤もカセットもアナログ録音も、時代の流れで消えていってしまうんだという、それを名残惜しむような感じが本の中にあったとしたら、いまはちょっとスタンスが違いますね。そっちの方がむしろ自分のなかでは普通のことというか。自分の中でそれが現役だったら時代がどうであろうと関係ない、そういう感じにだんだん変わってきたんですよね。だからこれからまさにアナログ録音でレコーディングして、その曲をアナログでリリースしたいと思っているんですけど、それはノスタルジックなことではなくて。時代に合わせないと忘れられちゃう、なんて考える必要無いと思うんです。自分のなかでは普通のこと、それでいいじゃん、とだんだん思ってきました。

駒井:流行とかヒットとか世の中の動きではなくて、自分のなかで普遍的なものが見つかればいいということですね。

鈴木:はい。時代の中の自分というのも避けては通れないんですけど、まず自分という個人がどう思ってどう感じるかということの方が、時代の中に自分がいるよりも大ことなことなんじゃないかと思いますね。ひとりひとりがそう思っていればいいだけのことなんじゃないか、それが大きな流れというか、生命感を生んでいくんだと思うんです。

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恋愛はその人に一体化していきたいという気持ち

駒井:この本は、鈴木さんがそうした感情に至るまでの境地が綴られています。とりわけ〈ひとり感〉というか、孤独な音楽に凄く惹かれる描写が多いですね。

鈴木:そうですね。孤独というのが非常に大ことなことだと思います。孤独に対するトレランス(寛容)、受け入れる体制っていうのが実感としてわかりました。好きな人がいて恋愛してたら良くも悪くもその人の価値観に染まっちゃう。自分のインディビジュアルっていうのはなんなのかというのを考えながら恋愛するのって、男性にとっては簡単なのかもしれないけど、女にとってはものすご~く難しいんですよ。影響は受けて当然だけど、その部分と自分の個人のものというのを常に分けておくというのがね、難しいんですよ。

世木(webDICE編集部):それはもう何回恋愛しても難しいなと思いますね。

鈴木:身体が違うし、女の愛し方というのはその人に一体化していきたいという気持ちなんです。それはいくら男性はこうだからといわれても、変えられないんですよね。だから考えていくと、表現したいと思ったら恋愛とかうかうかできないし、してもそのひとと自分を切り離してないといけないという、非常にそれは孤独なことなんです。でもそれと同じようなことをレディー・ガガが言ってたんですよ!

世木:そうなんですか!!

鈴木:「私は永遠に孤独なの」「私は禁欲主義でセックスしない。セックスすると自分の創造性が無くなる」「表現している限り永遠に孤独」ってインタビューに書いてあったんですよ。すっごい共感する!って思って(笑)。

世木:若いのにすごい。

鈴木:でもいま世木さんとお話ししたことと通じると思うんですよ。女はやっぱり恋愛して人を好きになってセックスしてたら、感覚も身体も何もかもその人に限りなく寄り添っていっちゃうから。それは自然なことなんですが、表現するにはよろしくない、ってことになってしまうんですね。

世木:そこで孤独ということが必要なんですね。切り離して考えないといけない。

鈴木:孤独であるからこそ自分をいつも意識していられるというメリットもある。確信したのは、孤独ということはいいことだと。そう思いました。

対象と自分がだんだん近づいて一体化してきている

駒井:この8年間で文筆家として今作に収録された文章を毎月産み続けてきたことは、ソングライターやパフォーマーとしての部分にも影響しているでしょうか?

鈴木:同じだと思います。外に向けて何かを言うとか表現することは、書くことも歌詞を書くことも形式が違うだけで、むしろ書く方が音楽よりももっと赤裸々だったりとか。音楽は歌詞が重くても音楽で楽しくして調節出来るんですけど、書くことってそれが出来ないから、言葉がより無防備になっちゃうとこはあると思います。

駒井:そうした鈴木さんの表現の変化、作品や文章と鈴木さんご自身の密着の度合いというものが手に取るように分かります。いまはより近くなってるという意識はありますか?

鈴木:近くなってると思います。

駒井:それは文章だけではなくて曲に関しても?

鈴木:一方で近くなりつつ、一方でより客観的になる、ちょっと矛盾してるんですけど。その一体化している自分を観てる自分、というか。そのなかに完全に入り込んでいるときってやっぱり書けないんですけど、一体化してさらにそれを客観視する、二重構造みたいになってる。そのプロセスが面白いなって。前は楽しむどころじゃなくて、その中で必死にやってるだけだったんですけど。それはやっぱり孤独の産物ですね。

駒井:シンガー・ソングライターとして、一回作品を演奏者としてと歌い手としての双方で対象化することで、客観的になれる。文筆家よりも距離を置けるんですね。

鈴木:プロデューサー的な視点ですね。歌詞で生々しいこととかラブソングを書くと「こういう人なんだ」みたいに思われがちなんですけど、自分の意図としてはそういうラブソングを音楽としてプロダクトする過程、というのが好きなんですよ。どんな楽器を使って、何を強調して最終的にこういう意図があって、聴く人からもそう見えたら成功、みたいな。「この人はこういうツンデレみたいな人なんだろう」とか(笑)言われると、それは私の意図と違う、と思う時があります。でも女性のシンガー・ソングライターって〈書いてること=その人〉と思われる部分があるかもしれないですね。

世木:通して読ませて頂いて、鈴木さんが思い入れのあるディスクを解説されていくなかで一枚のアルバムに対するストーリーの濃さが面白いなと思ったんですね。知らないアーティストも載っていたので、女性必携みたいに書いてあると、これは聴かなきゃ、みたいなポイントもたくさんありました。全部知ってる音楽好きが読んでもふむふむと読めるものだし、私みたいなあんまり詳しくない人が見てもエッセイとして楽しめるなと思ったんですね。なので、この本をガイドとしてもっと音楽を探そうかなと。

駒井:さらに、知ってるアーティストでもまた手に取って聴きたくなるということでは、ディスクガイドとして理想的ですよね。

鈴木:ほんとですか。すごくうれしい。

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作品は発売するまでが自分の楽しむ時間です

駒井:今回合わせてリリースになる、5月に開催されたGBでのライブDVD『SUZUKI SYOKO with JACK-TATI & KAWAI SHINOBU LIVE AT GB』ではロックな鈴木さんもしっかりコンパイルされています。

鈴木:いますごいガン観してます。夜に「ん~、いいじゃん!」とか言って(笑)。(取材時の)いまこれから発売する、って時にいちばん観たり聴いたりしますよね。発売になってしまうともう人のものになるから。自分は次のところに行かなきゃと思うので、発売するまでが自分の楽しむ時間です。

駒井:これからの作品作りについても教えてください。シングル『my Sweet Surrender』に収録された「名前を呼んで~When you call my name」で手応えを感じられたという一人多重録音の手法が、今後増えてくるのでしょうか?

鈴木:増えてくると思います。Sindee & Forestonesという4人組のコーラス・グループという設定に人格を与えて、Sindeeがリーダーで、Forestonesというメンバーがいて、4人のメンバーが喧嘩したり、ぶつかったりしながらレコーディングをしていくというストーリーが自分のなかで出来上がっているんです。だからその過程をレコードにしたい。そのコーラス・グループをフィーチャーして、私はそのプロデューサーという立場でForestonesのメンバーを歌わせる。そういう二重構造は、先ほどお話した書く対象と一体化している自分と、それを客観的に観ている自分という二重構造と同じことだと思うんです。LET THE GIRLS SING、じゃないですけど、彼女達に歌わせて自分はそれをコントロールしてみたいというか。それを鈴木祥子という名前じゃなくてというSindee & Forestones名義で作品をいくつか創ってみたいなと思います。

やっぱり一からモノをつくるのが好き

駒井:さらに『SYOKO SUZUKI Song Book I 鈴木祥子作品集 Vol.1(1989-2009)』は、年代別に鈴木さんが他のアーティストに提供した楽曲が並んでいることで、作家としての鈴木さんの変遷をわかりやすく聴くことができるようになっています。特に後半の坂本美雨さんの「空中庭園」などに象徴されるように、作詞・作曲だけではなくてアレンジメントやプロデュースの部分まで鈴木さんの意欲が向かっているのではないかなと感じたのですが?

鈴木:最初は曲を作ってお渡しするだけ、スタジオにも行かないし、できあがったものを聴くだけという感じだったのが、だんだん自分の意見を言うようになって、後半になるにしたがってプロデュースやアレンジもやらせていただくようになったんです。お仕事の一環としてというよりは、何にもないところからアイディアを出して、脈絡のとれた、人が聴いて楽しめるひとつの曲なり音楽をプロダクトする、それが自分が一番やりたいことなんだ、自分はやっぱり一からモノを作り上げるのが好きだ、というのは発見でした。いまおっしゃったように、今の自分の方向性を再認識できたんです。シンガーというよりはものつくりの職人ですね。そういうスタンスが一番合っているんだと思います。

駒井:DISC 2に収録されているデモでは、鈴木さんの最初のアイディアから、こういうふうに曲が出来上がっていったんだという過程がすごくよくわかるようになっているのも興味深いです。

鈴木:ほんとはもっとあったんですけどね。引っ越してるうちになくなっちゃったんですよ。

駒井:プロデュース・ワークも含めた活動が楽しみです。鈴木さんはいま新しい作品をクリエイトしていくモードなんですね。

鈴木:そうですね。一時期ライブへの興味が高まってライブばっかりやっていたんですけども、いまは人の作品に参加することもそうですし、自分の作品をプロデュースするということもそうですが、創る方に興味があります。音楽活動を始めた20年前から、歌うことが女性の役割で、プロデュースやアレンジは男性の役割みたいな、そういう先入観があったんです。けれどそれをちょっと外して、自分でイニシアチブをとってひとつのものを創っていく過程を楽しむことを女がやってもいいじゃんというか、それが当然になればいい。女はこういうものというイメージと闘う、そういうと大げさなんですけど、自分なりのペースで草の根運動をやりつつ、考えていければいいんじゃないかって。今回本と作品集を出してみてそんな風に思っています。

駒井:今日お話をうかがって、自分の中の普遍性を求め続ける鈴木さんが『33 1/3の永遠』というタイトルをつけられた意味がわかりました。

鈴木:まわってるから永遠なんですよね。

(インタビュー:駒井憲嗣、世木亜矢子 文・構成:駒井憲嗣)


鈴木祥子 プロフィール

1988年、エピックソニーよりシングル「夏はどこへ行った」でデビュー以来、14枚のオリジナルアルバムを発表。日本を代表するシンガーソングライターとして活動を続ける。中学の頃からピアノを習い始め、高校時代になり一風堂の藤井章司に師事しドラムを学ぶ。卒業後、原田真二やビートニクス(高橋幸宏・鈴木慶一)、小泉今日子のバッキングメンバーを経て、デビュー後は国内では数少ない女性のマルチプレイヤーとしても地位を確立する。またソングライターやサウンドプロデューサーとして小泉今日子、松田聖子、PUFFY、金子マリ、渡辺満里奈、川村カオリ、坂本真綾など、数多くのアーティストを手がけ、高い評価を得ている。2008年、デビュー20周年を記念して渋谷C.C.Lomonホールでライブを開催。2009年には出演・撮影・主題歌を手がけたドキュメンタリー映画『無言歌~romances sans parole~』が公開された。2010年、約5年ぶりとなるシングルCD『my Sweet Surrender』をUPLINK RECORDSより4月8日にリリース。その後発売記念ツアーを梅田シャングリラと吉祥寺ROCK JOINT GBで成功に収めた。7月にはCDジャーナルでの人気連載をまとめた書籍『33 1/3の永遠』と、ソングライターとして他のアーティストに提供した作品を集めたCD『SYOKO SUZUKI Song Book I 鈴木祥子作品集 Vol.1 (1989-2009)』を同時発売。8月6日には5月の吉祥寺ROCK JOINT GBでのライブを収めたDVD+CD『SUZUKI SYOKO with JACK-TATI & KAWAI SHINOBU LIVE AT GB』をリリースした。

UPLINK RECORDS公式サイト
公式twitter


『33 1/3の永遠』
発売中

著:鈴木祥子
2,000円(税込)
音楽出版社



『SUZUKI SYOKO with JACK-TATI & KAWAI SHINOBU LIVE AT GB』
発売中

2010年/ULD-562/本編81分+特典/カラー/ドルビー
5,040円(税込)
UPLINK RECORDS



『SYOKO SUZUKI Song Book I 鈴木祥子作品集 Vol.1(1989-2009)』
発売中

MHCL-1786
3,000円(税込)
ソニー・ミュージックダイレクト



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ライブ情報

Billboard LIVE 鈴木祥子

出演:鈴木祥子
Special Guest:カーネーション
日時:2010年10月17日(日)
会場:Billboard Live TOKYO
料金:サービスエリア 7,500円/カジュアルエリア 5,500円
公演時間:1stステージ 17:00開場/18:00開演
2ndステージ20:00開場/21:00開演
前売り予約取り扱い・お問い合わせ:Billboard Live TOKYO
東京都港区赤坂9丁目7番4号東京ミッドタウンガーデンテラス4F
TEL:03-3405-1133

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