骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2011-02-25 19:31


エッセイスト・上遠恵子さんが語る映画『レイチェル・カーソンの感性の森』と「彼女がほんとうに書きたかったこと」

「命に対する優しさや愛情、政治家もこういう感性を持ってほしい」字幕監修をてがけた、日本のレイチェル・カーソン研究の第一人者にインタビュー。
エッセイスト・上遠恵子さんが語る映画『レイチェル・カーソンの感性の森』と「彼女がほんとうに書きたかったこと」
レイチェル・カーソンの書斎 写真:森本二太郎

代表作『沈黙の春』で地球の環境に警鐘を鳴らしたレイチェル・カーソンの映画『レイチェル・カーソンの感性の森』が2月26日(土)より渋谷アップリンクXで公開される。今作の字幕監修を手がけた上遠恵子さんは、レイチェル・カーソンの遺作となる『センス・オブ・ワンダー』の訳者であり、そしてレイチェル・カーソン日本協会会長を務めている。
美しい地球を未来の子供たちにゆずりわたすことができるように、という思いを込めて、国内のシンポジウムや国際的な交流集会に協賛・賛同するなどしてきた上遠さん。レイチェル・カーソンのメッセージを語り継ごうという気持ちで結ばれたこの作品について語っていただいた。

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上遠恵子さん

この映画でカイウラニ・リーさんの願いが実現した

── 上遠さんは『レイチェル・カーソンの感性の森』の原作『センス・オブ・ワンダー』も翻訳を手がけられ、本作の字幕監修も担当されていますが、主演のカイウラニ・リーさんにもお会いされたことがあるそうですね。

彼女に会ったのは20年くらい前です。今でもすてきな人だけれど、アメリカ人にしては恥じらいを含んだしっとりした方という印象でした。そのときに彼女から舞台で『センス・オブ・ワンダー』のひとり芝居をされていていることを聞きました。2005年には東京と愛知万博会場でその舞台を上演しました。今回の『レイチェル・カーソンの感性の森』は、実際にレイチェルが住んでいたメイン州の別荘で撮影されており、周りの美しい自然も収められているので、観ていてほんとうにそこにいるような気がして、とても説得力があっていいなと思いました。私は2001年、グループ現代が制作した映画『センス・オブ・ワンダー-レイチェル・カーソンの贈りもの-』に朗読者として参加しているので撮影で何回もあそこに行っているものですから、懐かしかったです。ほんとうにこの映画の通りの場所なんですよ。

── あのコテージは長きにわたりきれいなまま保たれているんですね。

1951年にレイチェルが『われらをめぐる海』を出版してそれがベストセラーになり、ようやく経済的に楽になったので、52年に建てたのです。今でも養子のロジャーが管理し、私たちもロケのときはそこを借りて合宿しました。映画でリーさんが座っている場所はほとんどあのまま。彼女が演じてよかったと思います。リーさんはかなり大柄だけれど、レイチェルは本や写真で見る限りはどちらかというとほっそり小柄のようですが、書いていることはかなり骨太なテーマですから、彼女とレイチェルがオーバーラップする方も多いと思います。

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レイチェル・カーソンが暮らしていたコテージ 写真:森本二太郎

── 舞台を続けてきたリーさんも念願の映画化だったんでしょうね。

この映画で彼女の願いが実現したと思います。『センス・オブ・ワンダー』は1964年に出版されていますし、著名なレイチェル・カーソンの作品だから、当然映画化されていると思っていたのですけれど、不思議なことにアメリカでは作られていなかったんですね。それが日本のグループ現代が作ったことによって、リーさんが触発されたのかなと思います。

── アメリカでレイチェル・カーソンについての本はたくさん発表されているのですか?現在のアメリカでの評価は?

カーソンの著作は、単行本としては出版された順に『潮風の下で』(宝島社)『われらをめぐる海』(ハヤカワ文庫)『海辺』(平河出版、平凡社ライブラリー)『沈黙の春』(新潮社)『センス・オブ・ワンダー』(新潮社)の5冊です。そのほかエッセイを集めた『失われた森』(集英社)があります。それらはアメリカではすべてロングセラーで今でも出版されています。伝記としては彼女の編集担当であり友人であったポール・ブルックスが1972年に著した『レイチェル・カーソン』(新潮社)とリンダ・リアが1997年に書いた『レイチェル―レイチェル・カーソン『沈黙の春』の生涯』(東京書籍)があります。ブルックス氏とリア女史とは私もお会いしていますが、私はブルックス氏の伝記の方が友人としてのあたたかな眼差しが感じられて好きです。リア女史の本は実に詳しい伝記です。リア女史はジョージタウン大学で環境史を講義していたこともある人です。その後ビアトリクス・ポターの伝記も書いています(『ビアトリクス・ポター ピーターラビットと大自然への愛』)。ポターもイギリスの湖水地帯のナショナル・トラストのパイオニア的な存在だから、エコロジストとしてのポターの視点で書いているし、レイチェルも『沈黙の春』を書いて自然に対する人間の傲慢さに警鐘を鳴らしたところに焦点を当てている。軸足を置いているところは環境です。

今日のアメリカではレイチェル・カーソンは環境に関心のある人とない人で知名度は違っているようです。1962年に『沈黙の春』、その前に海の3部作(『潮風の下で』『われらをめぐる海』『海辺』)を発表しましたが、半世紀前になってしまうと、知っている人は知っているけれど、そうではない人は関心がないかもしれません。しかし、『アメリカを変えた25冊の本』にも載り、タイム誌の『20世紀の偉大な知性100人』のなかに掲載されているのですから、いまもない彼女の鳴らした警鐘は人々のなかに生きていると思います。

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映画『レイチェル・カーソンの感性の森』より、主演のカイウラニ・リー

── 上遠さんがレイチェルのメッセージをずっと伝えてきたなかで、日本の受け手の変化はどのように感じていますか?

日本の環境運動は公害反対を主にして進んできました。最初に四日市喘息や水俣病、カネミ油症やイタイイタイ病といった公害問題が全面に出てしまったので、そのなかでレイチェルのことが語られることはあまりありませんでした。1960年代の後半に母乳のなかにDDT、BHCが含まれていることなどが報道されたり、学園紛争や全共闘運動などの反体制運動があり、そうした運動が突発的なものではなく、歴史的な事象として検証されるなかで環境問題を勉強する人が増えてきた。そこから『沈黙の春』やレイチェル・カーソンが語られはじめたのだと思います。多くの人がこれからは環境教育が必要だと思ってきた。

公害運動を担って来た世代を環境第一世代とすれば、1970年代から日本の環境運動の第二世代がそこにいるわけです。そこから広い視野で環境教育が語られはじめたのではないかなと思います。自然体験教育などが盛んになっていくのも1970年代の後半からです。

カーソンは『センス・オブ・ワンダー』を書き上げたとき、ボロボロになってしまっていた

そうした動きを辿っていくと、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』が原点という人がたくさんいます。みんながいろんな角度で環境を考えていくようになった。『沈黙の春』に触発されて、反農薬、反化学物質、そして自然をもっと体験して、自然を大好きになりましょうという運動になった。そのように『沈黙の春』をきっかけにいろんな活動に入っていった人がいるので、本の影響はとても大きかったと思います。でも日本人は『センス・オブ・ワンダー』も好きですね。

── 日本の風土に合うということでしょうか。

日本人のフィーリングに合ったんでしょうね。日本では1992年に最初の版が出たんですが「こういう本が読みたかった」「自分たちが考えてやっている運動のエッセンスがここに書かれている」と、ほんとうにすごく反響がありました。

── そして、オリジナルが発売された当時よりも、今読まれるべき作品ということも言えると思います。

レイチェルの『センス・オブ・ワンダー』が出版された時にアメリカでどんな反響があったかはよくは知りませんが、アメリカでもすごく読まれたみたいです。初版は1965年ハーパース&ロウ社から文章と写真を組み合わせた本として出版され、やがてネイチャーカンパニー社が同じ形で出版し、朗読CDまで発売しました。その後も出版社を変え本は売れ続けています。アメリカにもレイチェル・カーソン協会があって、化学物質についての啓蒙や、庭をセンス・オブ・ワンダー・ガーデンにしようなどという運動をしています。いろんなかたちでレイチェル・カーソンの本は読まれているのですが、日本のファンにはふたつの流れがあって、どちらかというと硬派な反公害運動寄りの『沈黙の春』派と『センス・オブ・ワンダー』派があるんです。別にケンカはしてませんけれどね(笑)。

── 『センス・オブ・ワンダー』は晩年に書かれたということで、レイチェル・カーソンの活動全体のなかで特別な作品と言ってよいのでしょうか。

カーソンの作品でいちばん有名なのは『沈黙の春』で20世紀後半の大きな問題提起の書ですが、海の3部作と『センス・オブ・ワンダー』は自然界の姿を書いている点で似ています。レイチェルは『沈黙の春』は書かねばならぬという使命感に溢れて書いた本でしたが、彼女が本当に書きたかったのは海のことであり自然界の生命のありのままの姿でした。『センス・オブ・ワンダー』の元となる『「あなたの子どもに驚異の目をみはらせよう』というエッセイがあります。それは1957年にウーマンズ・ホーム・コンパニオンという女性雑誌に掲載さたもので、レイチェルはそれをもっとふくらませて写真を加えた本を作りたいと願っていました。

ところが同じころに『沈黙の春』の執筆を決意し様々な状況の実証的な報告や文献を読まなければならないという大仕事。調べるにつれて事実はジグソウパズルのピースのように細分化されそれを組み立てることは心臓破りのエネルギーを必要としました。その間に彼女は癌になります。5年の歳月の後書き上げたときにはボロボロになっていました。そして『沈黙の春』出版後のすさまじい賛否両論の嵐は、ジャーナリスティックな報道、化学企業からの攻撃、サポートする人たちの激励の声、テレビ番組への出演、国会での公聴会などなどとして襲いかかり彼女の時間を奪いました。その間も自身の病気はどんどん進行し、ついに『センス・オブ・ワンダー』をもっと大きな本にできなかったことを心残りにしながら1964年の4月14日に世を去りました。没後、マリー・ローデルなど友人たちが遺志をついで写真をたくさん入れた単行本として1965年に出版されました。

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写真:森本二太郎

『センス・オブ・ワンダー』は、自分の読むときの気分で心に染みる箇所が違うんです

──『センス・オブ・ワンダー』の後書きに、この本の翻訳をされる際に立ち止まってしまうこともあった、ということを書かれていますが、原著の世界観を日本語にされることの大変さがあったのですか。

書かれている情景は浮かぶのですけれど、それを日本語で表現するにはどんな日本語があるだろうかということです。彼女の文章は非常に美しいから美しい日本語にしたかった。でも私の英語力と日本語力で立ち止まったんだと思うんです。この本にとても惚れ込んでしまったから、早くいろんな人に読んでもらいたかった。そのためには、正確に、そしてきれいな日本語で書きたかったので、苦労しました。翻訳の勝負は、英語力とともに日本語力だと思いました。

── あらためてレイチェル・カーソンの伝える、身近なところから自分たちでできることを行い、視点を変えるだけでいろんな物事の感じ方が変わるんだということを感じました。

『センス・オブ・ワンダー』の面白いのは、自分の読むときの気分で心に染みる箇所が違うんです。くたびれた時は最後の「地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう」というところ、孫と遊んでいると「子供たちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています」というところを読むと、そうだなと思うし。ただ、私がいちばん読んでいて共感したのが、「子供たちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、様々な情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです」というところでした。小学校に行く前の子供たちが心の感性の土を豊かに耕すことで、生命の大切さや自然界の不思議を感じることはとても大切。いまは物知りの子供はいっぱいいるけれど、ほんとうの森の中のいい匂いや、落ち葉のふかふかな感じを知りません。小さいときにそういうことをたくさん体験させてあげたいなと思います。一緒にいいねって言える気持ちで、親も一緒に体験してほしいんです。

「美しいものを美しいものと感じる感覚、新しいものや未知なものに触れたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまななかたちの感情がひとたびよびさまされると、次はその対象になるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます」。自分が面白いな、不思議だな、と調べてみることでみつけた知識こそがずっと身になっていく。それは私実感で思うの。この歳になっても、学生時代に自分がほんとうに面白いと思ってやったことはけっこう忘れないですから。「国際人にしたいので英会話を習わせています」と言ったお母さんがいたけれど、本当の国際人は自分の意見をしっかり持って、しかもそれを自国語できちんと発表できるようになってこそだと思うのです。

レイチェルは小さい時にそういう育ち方をしているから、『沈黙の春』を書けたのだと思います。人間の科学技術が進歩がもたらす問題について警告を発することができたのは、『センス・オブ・ワンダー』のような感性を持っていたから。それは結局、生命に対する優しさや愛情ではないでしょうか。政治家もこういう感性を持ってほしいと思います。日本は教育が進んでいるからあまり子供っぽいことを言うとばかにされるのではないかと利口ぶることがあるけれど、もっとみんな素朴でいいのですよ。自然界の生き物たちはみんなそれぞれかかわり合ってバランスのとれた生態系を形作っているように、人間同士も気の利いたことが言えなくても自分の言葉で語りお互いの立場や見方を柔軟に尊重したらもっと優しくなれるのではないかしら。

(インタビュー・文:駒井憲嗣、平井淳子)




■上遠恵子 プロフィール

1929年生まれ。エッセイスト、レイチェル・カーソン日本協会会長。東京大学農学部農芸化学科研究室、社団法人日本農芸化学会、植物科学調節学会勤務を経て、88年レイチェル・カーソン日本協会を設立。訳書にレイチェル・カーソン著『センス・オブ・ワンダー』、『潮風の下で』、『海辺』などがある。
レイチェル・カーソン日本協会HP




『レイチェル・カーソンの感性の森』
2011年2月26日(土)、渋谷アップリンクほか全国順次公開

監督:クリストファー・マンガー
エグゼクティブ・プロデューサー、脚本、出演:カイウラニ・リー
プロデューサー:カレン・モンゴメリー
撮影:ハスケル・ウェクスラー
編集:タマラ・M・マロニー
2008年/アメリカ/カラー/16:9HD/英語/55分
配給:アップリンク

公式HP




★イベント情報

『レイチェル・カーソンの感性の森』上映+上遠恵子さんトークショー
日時:2011年2月26日(土)開場18:30/開演19:00
場所:渋谷アップリンク・ファクトリー
出演:上遠恵子 (エッセイスト、レイチェル・カーソン日本協会会長)
★本イベントは、ご予約が定員に達したため、ご予約の受付を終了させていただきました。当日券は、予約キャンセルが出た場合のみ若干数発行予定です。
イベント詳細はこちら

『レイチェル・カーソンの感性の森』上遠恵子×甲野善紀 対談付き上映
日時:2011年3月13日(日)19:00開場/19:30開演
場所:渋谷アップリンク・ファクトリー
出演:
上遠恵子 (エッセイスト、レイチェル・カーソン日本協会)
甲野善紀(武術研究者、松聲館主宰)
★本イベントは、ご予約が定員に達したため、ご予約の受付を終了させていただきました。当日券は、予約キャンセルが出た場合のみ若干数発行予定です。
イベント詳細はこちら




レイチェル・カーソン
『センス・オブ・ワンダー』

訳:上遠恵子
写真:森本二太郎
定価:1,470円
発行:新潮社

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